けろよんの日記
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2018年04月21日(土) 参照点の変動とか違和感の追求。

 セクハラと売春について。


 売春が違法行為ってわかっていてそれでも自分を商品として
 販売する、という点で本人の責任はないのかな?

 と考えると、
 
 セクハラされるとわかっていて取材にいくということに対して
 NOという選択はなかったのかな?

 というコメントがネットで見かけられてなるほどもしかしたら
 この発想は地続きなのか思う。
 記者の人を叩く人たちと発想は大して変わらないかも。
 
 それは女はモノ化してもいいという一部男性の声との相似なのだという。
  
 なるほどそうかもしれぬ。

 でも、それでもせクハラを行った事務次官の方がひどいよなー
 と思ってしまう。

 
  前者に関してはやむにやまれぬ事情があるのかないのか、
 売春を行ったという点で被った被害というか背景が全くみえないので、
 記者の人と同等の被害という風に見ることができないという点が1点。

 
  一方で、売春という事実は数万円、数十万円の対価と引き換えにするには
 失うものが大きすぎる。(特に女性のほうが大きい)いう事実は痛ましい。

  まして成人していたとはいえ若年の女性を知性も教養も権力もある大人が
 お金で買うという事態もおぞましい。
 落ち着いて考えると、若くても若くなくてもおぞましい。

 
 2点目、
 記者の仕事は取材して記事をまとめることであり、セクハラを
 受けることは含まれていない。セクハラは一方的である。

  例えばキャバクラやクラブでお酒を飲む人の相手をする、という
 仕事の人にそれ以上要望を求めるのはアウトだと思う。
 ここはそういうお店ではないから。
 また風俗業のお店(いろいろあると思うけど)の人に
 最初の取り決め以上のものを要求するのもアウトだ。
 だってそういう約束じゃないから。

 売春は不法行為でそもそも契約そのものが無効であるので、
 こう考えること自体が前提条件をなしていないので無意味な考えで
 あるにも関わらず
 
「自身を商品として売ることで対価を得る」という取り決めが
 あったわけで、その取り決め事態の不公平差は置いといて
 そういう合意があったんですよね。 と思ってしまう。
 また違法であるとわかっていてなぜ行うのか?
 という点で共犯として罪が一部相殺されてしまうように感じる。

 だから、モノのように扱って痛めつけたり傷つけたりしていい
 かと思うとそこは違っている。彼女の身体は彼女のものであって
 客のものではない。時間と行為のみが切り売りされているだけです。
 
 さらに言うと、もしその彼女が特別な事情があって泣く泣く
 自分を売っているのであれば、また違った見方になる。
 
 うまいたとえが思いつかないのだけど、
 例えば本屋さんで同じ本を万引きしたこどもが2人いたとして、
 1人は同級生に脅されて追い詰められてやったという事情が
 あった、で、もう一人は楽しみの追求とかお金のためだったとかいうと
 ものを盗むのはいけませんという同じ話でも子供たち対する心情は
 変わってくるのかなと。
  
 というか、こういう考え方事態が男性を中心とする社会の
 考え方なのです。と言われたとしたら人権意識が薄くてすみません
 もうしばらく勉強させていただきます、と頭を垂れるほかない。
 そんで感度が低いという点についても恥じたいと
 思います。

 

 

 

 





 
  


  


 
 


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