「Library L」雑記帳
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2007年02月17日(土) 「Speed」と時間論 〜「Speed」覚書〜

ええと、すみません。
HTMLを打ったり背景画像を探したりするヒマがないので、とりあえずココにアップさせていただきます。
大した内容でもないですが、楽しんでいただければ幸いです。



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「Speed」と時間論

ええと、いきなり抽象的なところから始まってしまってすみません。
しかもこれ「覚書」なので、ある意味思いつくままにいろいろと書き散らしてしまいますが、ご容赦あれ。
ちなみに、この「『Speed』ken究」なるエッセイ集は、以前「L-Note」としてやってたことを、この際完全にけんちゃんに特化して、
しかもそれを「Speed」(曲もPVも写真集のポエムも全部含め)に引っ掛けて展開してみようじゃないか、という試みでして。
今は全く書く時間が取れないので、本格的な始動は11月以降(一応今年の司法試験に合格することが前提/笑)となりますが、
その前に、私の頭の中にある思考の断片を、「覚書」という形で残しておきたいな、と。
で、その第一弾(と言いつつ第二弾以降があるか否かは今の時点では未定ですが)がこの「時間論」。
「時間論」というと大袈裟かも知れませんが、要はけんちゃんの「時間」に対する感覚とでもいいでしょうか、
それがちょっと独特なんじゃないかと、常々思ってまして・・・
それはたとえば、自らを「微分積分の人」と評したり、「メメント」(記憶が10分しか保たない男を描いた映画)と表現してみたり、
あるいは、「生きることって暇つぶしみたいに感じることがある」なんてことを言ったりする辺りにも垣間見えますが、
それが、今回の「Speed」の歌詞やPVや写真集のポエム(けんちゃん的にはあれは「ポエム」らしい)等にも現れてるような。
詳しい話は後日ちゃんとしたエッセイとして書きますので、今回はサワリの部分をちらっとご披露。





「光陰矢の如し」という言葉に代表されるように、いわゆる「時間の矢」を観念する、
つまり、時間を直線的に捉え、たった一本の時間軸が過去・現在・未来と伸びてるような「時間」感覚が
現代日本に生きる私たちの間ではごく一般的だと思うんですが。
実はこういう時間の捉え方は極めて歴史的なもので、古代世界では総じて、
時間は循環的なもの、周期的なもの、もしくは円環的なものだと想定されていたのだそうです。
これは別にどっちが正しいとか間違ってるとかそういう話ではないんですが(要は物の見方の問題ですから)、
ただ仮に時間が直線的なものだとすると、当然「始期」と「終期」が存在しなければならず・・・・・・
人の一生なら「誕生」と「死」で説明できますけど、これが時間となるとなかなか説明が難しい。
逆に言えば、本来直線的時間という観念は、時間に「始期」と「終期」があることを前提とする宗教、つまり、
「天地創造」と「世界の終末」を観念するユダヤ=キリスト教、イスラム教といった文化圏に特有のものだったわけです。
これらの宗教においては、唯一回の創造と終末の間に張り渡された直線的時間というものが観念され、
だからこそ終末の審判により永遠の生命にあずかるという救済観が唱えられたわけで、そう考えると、
直線的時間というのは極めて宗教色の強い、ごく限られた文化圏でのみ整合性を持つものだといえるでしょう。
となると、そういう文化圏にない人々(たとえば無宗教の日本人とか)にとっては、
わざわざ直線的時間を観念する必要があまりない(現に日本語には英語と違って「時制」がないですしね)わけで、
むしろ日常感覚に合っている円環的時間(これは朝晩のくり返しや四季の巡りなどを想起していただければ)の方に
親近感を持つ人間がいてもおかしくない。
そう、以前「聖と俗のパラドックス」で書いたように、
「セックス=やらしい」という感覚が本来キリスト教圏特有のもので、近代以前の日本人にはなかった価値観であるのと同様、
直線的時間もまたキリスト教その他の「終末思想」に根ざした歴史的な時間感覚である以上、
その「舶来モノ」の時間感覚を自己内在化しきれず、一風変わった時間感覚を持つに至ることも十分ありうるのでは・・・・・・?
とまあ、こんな風に考えるとですね、けんちゃんのあの不思議な時間感覚を紐解く手がかりになるんじゃないかと。
実際、「Speed」の歌詞でも、「哀しみ」や「安らぎ」といった感情の動きを春夏秋冬の四季の巡りになぞらえて表現してますしね。
で、もう一つ面白いと思ったのが、あのPV。
あの中で少年が時計の針を逆に回す、つまり時間を巻き戻すということをやってますが、
あれは実は時間が直線的でなければできないことだとされています。
この辺の話は、ホーキング博士の「時間順序保護仮説」を自分なりに把握してから改めて論じたいと思いますが。

(注:「ホーキング博士」と聞いてピンと来た方はかなりの「けんマニア」ではないかしら/笑
「ぷっすま」のクイズで相対性理論について訊かれたけんちゃんが、「アインシュタイン」ではなく「ホーキング博士」と答えてたんです。
その場では「誰それ」と笑われてましたが、相対性理論をかじってる人間ならホーキング博士の名が出てくる方がむしろ自然なのでは?)


で、あのPVに出てくる西洋人の老人ですが、黒装束に黒の丸帽子と言えばユダヤ教を信仰するユダヤ人の象徴、
さらに、亀を手にした黒装束の女性はペルシャ人っぽいですが、ペルシャと言えば、
ユダヤ教やイスラム教の終末思想の原型と言われるゾロアスター教発祥の地であったりするわけです。
ゾロアスター教は日本では「拝火教」とも呼ばれ、火を「聖」「善」の象徴として何よりも尊ぶ宗教であり、
PVの中で「火」が象徴的に使われている(けんちゃんが木片を燃やすシーンや砂丘を火が連続的に渡っていくシーンなど)のも
何となくゾロアスター教を彷彿とさせるなあと思ったり思わなかったり。
(ちなみに中国ではゾロアスター教を祆(ケン)教と呼ぶんですが・・・これはさすがに関係ないかな?/笑)
で、これら終末思想を持つ宗教にありがちなのが、この世を善と悪の対立として捉える二元論、
(この辺の話は、「構造主義的ラルク論」の中で簡単に触れてます)
となると、あの白いドレスの金髪の少女と、黒を基調とした服装のけんちゃんの関係も、何となくそれっぽいような。
そうすると、「Speed」は実は時間論を裏テーマにしてるのかも・・・・・・なんて考えて、妙にドキドキしちゃったりするわけです(笑)
何たって相手はあの「複雑系」の代表選手みたいなけんちゃんですからね、いやあ、興味は尽きません。
ちなみにあのPVは、けんちゃんが監督さんにイメージを伝えて、それを監督さんの世界観で表現したものらしいので、
「Speed」の歌詞や写真集と合わせて見ると、さらにいろいろ面白いことが見えてきそうです。
この辺をうまく辻褄を合わせてまとめると結構面白いモノが書けそうなので・・・・・・
あとは本編をお楽しみに、ということで、どうかひとつ。





う〜ん、どうにも中途半端で申し訳ない。
最近小説の方ばかり書いてたので(や、司法試験の論文の方がずっと多いですが/笑)、どうもエッセイの勘が取り戻せなくて。
でもそれぞれ面白さがあるので、時間ができたらどちらも万遍なく取り組めたらと思います。

ではでは、また。最後までお読みいただきまして、有難うございました!
(多謝)


水城 |MAILSITEINDEXbacknext

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