Jacarandaの日記
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2026年06月10日(水) 第五福竜丸展示館 開館50年


展示館に展示されている第五福竜丸


今日6月10日で、江東区にある都立第五福竜丸展示館が開館50周年を迎えた。

「第五福竜丸」事件とは、
1954年3月1日、アメリカの太平洋のビキニ環礁で実施した水爆実験によって、被爆した遠洋マグロ漁船に乗船していた乗組員23名全員が
多量の放射性降下物(死の灰)を浴び、内一人が亡くなったという事件だ。
これにより日本は、広島・長崎への原爆投下に次ぐ「日本を巻き込んだ第三の原子力災害」と見做され、
原子爆弾と水素爆弾の両方の兵器による原子力災害(被爆と被曝)を
経験した国となった。

この事件後、日本国内において
・原水爆禁止運動
・核兵器廃絶運動
が、大きく広がるきっかけとなった。

この1954年当時は、米ソ冷戦の真っただ中という世界情勢の時。
アメリカは、アイゼンハワー大統領を中心に、
共産主義封じ込め政策を推進しており、ソ連との核開発競争を進めていた。
一方、ソ連も、1953年にスターリンが死去し、
フルシチョフが実験を握り始めたころだった。
同様に、アメリカに対抗して核兵器開発を加速していっていた。

つまり、第五福竜丸は、その核兵器開発競争の副産物ともいえるものだった。

国連は、この被ばく事件後の対応の動きとして、

1963年 部分的核実験禁止条約(PTBT)を
      米・英・ソが締結。

      この条約は、大気圏内、水中、宇宙空間での核実験を禁止。

968年  核拡散禁止条約(NTP)
      採択。
      1970年 発効。

      米、ソ連、英、仏、中国の核保有5か国を「核兵器国」と
      認めた上で、非核兵器国が、新たに核兵器を持たない
      ということを中心した条約。

      現在の核不拡散体制の中心となっている。

1996年 包括的核実験禁止条約 ( CTBT)     
      国連総会で採択。
      あらゆる核実験を禁止。

      しかし、

      アメリカ
      中国
      インド
      パキスタン
      北朝鮮
      
      など、核保有国の批准問題があり、
      現在も正式発効はしていない。
      
2017年 核兵器禁止条約(TPNW)     
      国連で採択。
      2021年発効。

      核兵器の開発、保有、使用、威嚇 などを全面的に禁止。

      ただし、

      アメリカ
      ロシア
      中国
      イギリス
      フランス
    
      など、核保有国および非核保有国の日本等は参加していない。


 ❖ 第五福竜丸被曝事件と核軍縮の流れ ❖

1954年 第五福竜丸被曝事件
    日本や世界で反核運動が高まるきっかけとなった。

1954年 米ソの核開発競争激化
    冷戦下で核開発が進んだ。

1963年 部分的核実験禁止条約(PTBT)
    大気圏内などでの核実験を禁止した。

1968年 核拡散防止条約(NPT)
    核保有国の増加を防ぐ国際体制の基礎となった。

1996年 包括的核実験禁止条約(CTBT)
    あらゆる核実験の禁止を目指した。

2017年 核兵器禁止条約(TPNW)
    核兵器そのものの廃絶を目指した。


  《 流れのまとめ 》

第五福竜丸被曝事件 → 世界的な反核世論の高まり →
部分的核実験禁止条約 → 核拡散防止条約 → 核兵器禁止条約



       



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