遠雷

bluelotus【MAIL

街角
2004年07月26日(月)

もういないのだ、ということに慣れて来たと思ってついつい油断をしてしまいます。

この一年は、私の職場とHの部屋が電車で10分程だったため、部屋は勿論ですが職場近くで待ち合わせることが多くありました。この街でけんかもしたし、ふざけあって、食事をして、あまりに思い出が多すぎます。

どこもかしこもHが歩いている気がするのに、いつもの待ち合わせ場所に、なぜ立っていないのでしょうか。なぜ、待ち合わせの時間潰しによく行っていた本屋でくだらない本を真剣に立ち読みしていないのでしょうか。

直後は人目もはばからず涙を流して歩いて、よくお茶を飲んだ店に行っては泣き、喧嘩をして仲直りした場所に行っては泣いていたのですが、さすがにもう恥ずかしいまねをしなくていい程度に落ち着いたものと思っていました、が。だめですね。落ち着いたように思っても、ひと月くらいするとまた悲しみがぶりかえすよと言われていたのは本当でした。たまに違う道を歩いてみたりすると、それだけで苦しくて叫びだしたくなります。そんな、「わたし悲しいの!!」というアピールをしてるかのような自分はとても嫌なのですけれど。
今日もしばらく足を踏み入れていなかった路地に行ってしまったので、どうにもならなくなってしまいました。かろうじて泣き出さなかったので良しとしますが。

ただ、もしかしたら、最近泣くことにも慣れ、不在にも慣れて、泣くことが減ってきたことが辛いので無理に自分を追い込もうとしている気もします。
そうなると、純粋に彼だけの為に泣いているのか、自分の為に泣いているのかわからなくなってきて、よけい自分を追い込むのです。そうなるとまた、Hがうらめしくて憎らしいのに、やっぱり歩いていると居ないことが寂しくて会いたくて。

ぐるぐる街を歩き廻りながら、私の思考も感情もずっとぐるぐる回り続けています。
こうして書いていても回り続けています。
もう存在していない彼を中心に。



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