草原の満ち潮、豊穣の荒野
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草原の満ち潮、豊穣の荒野 外伝 5 弱肉強食

満天の星空の下、
真っ黒い海の平原を小舟がするすると進んでいた。

夕刻の騒がしい船出から数日舟に揺られている子供ふたり。
人魚になったディアナは青い尾を水面に着け、仰向けに星空を眺めた。


「ブルー、海の中潜ってみてもいい?この体なんだし」

「ダメだ。海で何かあったら大変な事になる。何度も言わせんな」

「つまんないつまんない、あんたの顔眺めてるのもう飽きた!」

「おもしれえ顔じゃなくて悪かったな」

「何それ、自分がハンサムだとでも言いたいわけ?」

「へっ、お前の膨れっ面よりマシかもな」



ディアナは鱗の尾で思いきりブルーに回し蹴りを食らわせた。


ドボン!


「ぶわ、何すんだっ」

ブルーは舟から叩き落とされ水面から怒鳴った。


「あはははは!なんか面白い!」

ディアナは気晴らしとばかり手を叩いて喜んでいる。

「このバカ女!無茶苦茶しやがってあったまきた!
ブン殴らねえとわかんねえんだな、よーし」


ブルーは舟によじのぼりながら片手を振り回した。


「あっ…」


ディアナが口を押えて後ずさる。

「あ、あの…ディアナ?」

彼女は顔面蒼白に加え震えだした。

「あ、いや、その…ご、ごめん!」

ブルーは舟に掴まったままあわてて謝った。

「ごめん!脅かしただけだって!オレ女とチビは殴らねえ。ホントだよ」

「……」

「うわあ!ディアナ頼む泣かないで。オレが悪かったマジで悪かった!」


「ブ、ブルー」


彼女はかたかたと震えながらブルーを指差し更に後ずさった。

「何もそこまでこわがらなくても…オレ傷付くよ」


「ブルー!!後ろーーーーーー!」

ディアナは金切り声でそう叫ぶとそのままのけぞって海に落ちた。


「ぎゃ」


振り向いたブルーの真後ろにあったのは巨大なサメの口。

「うわーーーっすげえ歯並びッ」

「何言ってんのバカー!」

「に、逃げろ!」

「いやーーっ!大きいこわい!」

「ディアナ!泳げ!」

素早く舟の下に潜ってブルーはディアナの手を掴んだ。

「さあ、今なら出来る!泳げ!」

「さっきはダメって言ったじゃないの!」

「状況読め!」



ふたりはいっせいに水中を泳ぎ出した。

「ああ、嘘みたい」

ディアナは人魚の尾でブルーより速く泳いだ。

「ディアナ、どこか隠れられる岩場を探せ!」


巨大なサメはせせら笑うようにゆったり追ってくる。

「陸はどこ!」

「海のド真ん中だ、潜るしかねえ。デカいのが入れない岩場に隠れろ」

「わかった」


ふたりは手をつないで夜の海底へ潜って行った。
真っ暗で何も見えない。

「こっちだ」

ブルーはするすると海藻やサンゴを避けながら進んで行く。
ディアナはあっちこっちに体をぶつけて悲鳴をあげた。


「難破船だ!」


古い時代の大きな帆船の残骸。

「いや!骸骨!!」

「サメの方がこわいって!」

辛うじて二人は帆船の舟底へ隠れた。

「ここならデカいサメは入って来れない。
しばらくやりすごそう」


サメは船の周りをぐるぐる旋回している。

「群れでなくて良かった。
デカいけどあいつ普通のサメみたいだ。たまに化け物がいるからラッキーだったぜ」

「ブルー!」

ディアナが抱きついて来た。

「だ、大丈夫、こわくねえから」

……マンザラデモネエナア……


「がは!」

ディアナがもの凄い力でブルーにしがみついてくる。

……コンナ状況デサエナケリャナア……

「あれ?」

「ブ、ブルー、い、息が…」

ディアナの口からゴボゴボ空気の泡が溢れ出した。

「うわっ!」

金色の光。
いや、暗い海の底の灯りのように少女の金髪が輝き波打った。
さっきまでは濃い青だった長い髪。


「くる…しい」

「ディアナ!」

ブルーの目の前にいるのは人魚ではなく、ごく普通の金髪の少女だった。


「なんでこんな時に!?」



外にはまだサメがいる。だが今ディアナは…


「ええい、コンチクショウ!」


ブルーはまっすぐに海面目指してディアナを抱き抱えて泳いだ。
ブルー自身はイルカ達のように長い時間潜っていられる。
ディアナもこの状態でさえなければ多分そのはずだった…

サメはゆっくり追って来た。
ゆっくりだが船に辿り着く前には追いつかれるだろう。

「がんばれあと少しだ!」

ブルーは海面間近で力一杯ディアナを投げた。
海上に顔を出して息さえ出来ればあとはなんとか自分が…


「!」


ブルーの真正面にもう一匹サメが待っていた。
サメは人形のようにディアナをくわえるとジャンプした。





「チクショウ!!てめえらブッ殺す!」




ブルーの脳裏を幼い頃の記憶がよぎる。
たくさんのサメに囲まれ叫ぶ父親の声。
涙に滲んだ母親の後ろ姿。


ガッ!


ブルーの拳がサメの鼻先を打った。
ナイフもない素手。
敵うはずもない巨大なサメ。
海で生きるものにはよくある事でもある死がやってくる…


「チクショウ!ただで喰われてたまるか!親父が待ってんだクソ!!」


ブルーの握りこぶしは何度もサメの鼻や頬を打った。
サメはそれをただじっと表情のない目で見ていた。

「チクショウ…こいつ小魚かなんかだと思って弄んでやがる」

足、拳、歯、ありとあらゆるものを使ってブルーは抵抗した。
しまいには頭突きでも。
サメはビクともしなかった。


『ブルー』


フラフラで拳を振り上げるブルーの耳に誰かの声が響いた。


「?」


ゆらりとサメが大きな口を開けるのが目に入る。
恐怖のあまりの幻聴か。



「誰がビビって死ぬかよ!
オレはオレは…」