草原の満ち潮、豊穣の荒野
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78 魔鳥    2黒い女神、黒い男

ルーが盲滅法街を走り回っている頃。

若い神官を引っぱり込んでよろしくやっていた黒い女神が
次の獲物、と窓のカーテンを開けた。

「わっ!!」


素っ裸の女神、もといデライラが男のような叫び声を上げ、
瞬時にカーテンを戻した。

「な、なんですか...」

ベッドで眠りこけていた若い金髪の神官(彼もまた素っ裸だったので
職業も何もあったものではなかったが)が起き上がってもそもそパンツを履いた。
線の細い二枚目の男は鏡に向かって髪を整え角度を付けては
くしゃくしゃと前髪を払う。

「パンツ一丁でナニやってんだかこのアホンダラ」

「はい?」


素っ裸に長い黒髪で仁王立ちするデライラ。
そこそこ鍛え上げられた筋肉に支えられた豊満な胸が
途方も無い存在感を伴って揺れる。
男の方が恥ずかしくなり、急いで自分の制服を身につけた。

「ね、あんたちょっと煙草買って来てくれる?」

「は、はあ。しかしそろそろ戻りませんと...」

「どっちだっていいわよ。あんた先に行っててちょうだい」


若い金髪の二枚目神官はもう用済みかよ、と呟きながら
建物の扉を開けた。




「うひゃあああ.....」




情けない悲鳴と同時、青い肌の人間が150人ばかり彼に覆い被さり
そのまま見えなくなった。
デライラは素早く黒いローブを褐色の素肌にひっかけ笑った。

「ははん、なんだか知らないけど面白そうな事になってんじゃないのさ」


もう一度彼女はカーテンを開けた。

「ぎゃっ!!」

窓に青い顔、髪の人間が山のように張り付いている。
デライラを見て数人がドアへ向かった。

「なんなのよ、ブルーみたいな連中がてんこもりじゃない」



バン!とドアが開き、数人の青い男がフラフラ突っ込んで来た。
デライラは瞬時で好みの男がいないと判断した。

「あら、嫌ね。さっきの奴キープしときゃよかったわ」

ふらふら一人の男がデライラに手を伸ばした。
痩せぎすで生気のない顔。
もっとも肌の青さがそれを倍増していたのだが。
デライラはローブを軽く腰紐で結わえ微笑んだ。

「あんた、顔色悪いけど、具合でも悪いのかしら。
見てあげるからいらっしゃい」

仁王立ちに素肌の太ももがローブから覗く。
当然わざとである。
彼女は黒い手袋だけ素早くつけ手招いた。
青い男は表情も無く吸い寄せられるように近付いていく。

「顔よーく見せて...」


デライラが妖艶に微笑んだ。
次の瞬間青い男は鼻から黒い血を噴いて仰向けに倒れた。

「ふははははは!」

右手を固く握り突き上げたままデライラは笑い狂った。
手袋に仕込まれた鈍器。
黒い女神は足場と逃げ道を確認しながら次々に
グープラス鈍器で青い人間達をタコ殴りにしていった。

「これあんまり手が疲れなくていいわね。
アルファルドの売り物ってほんと役に立つわ」


彼女は更に強烈な足も使った。
ひょいとサンダルでもつっかけるようにつま先に刃物を仕込み
一閃させた。
演舞のように長い黒髪と足が廻る度、青い人間から黒い血が噴き上がる。
さながらその姿は黒い翼の女妖魔が足の爪で切り裂きまくる地獄図。
脱出出来る所まで反撃すると彼女は笑いながら走り出した。

なんて気持ちがいい朝なのだろう。
街の様子を走り抜けながら見て彼女はある程度の状況を把握した。


「青い連中がヤバい事になってんだわ」

彼女は人気のない道や物陰を選んでは走った。
そして時折青い人間を殴り倒す。


「ちっ、また来たわね」



デライラは今度は家の陰に潜んだ。
勿論やりすごすわけもなく、不意打ちのつもりである。
道の向こうから青い人影がもの凄いスピードで走って来る。
さながら元気のいい小僧、と言ったところか。


「坊や、もう少し育ってから来な」

すっ飛んで来た人影にデライラは着ていたローブを脱ぎ
網のように真横から被せた。

「あはははははは!!!」

ローブの下でもがく獲物を必殺の拳が狙う。

「ちっ」

獲物も半端ではないもがき方で頭を狙っても
ぶんぶん右、左となかなか定まらない。
デライラはローブを引っぱり獲物を放り出した。
引き寄せて仕留める方法に切り替えたのだ。

「ひゃあ!」


青い人間がすっとんきょうな声をあげた。
いきなり目の前が真っ暗になったかと思うと
視界が開いた先にすっぽんぽんの裸女。
大股開きの仁王立ちである。
声の主はいきなり鼻血を噴いた。
目のちょうど前に股がある。
青い少年には刺激が大きすぎた。
多感な年頃まで行かないにしても男の子である。


「あら、鼻血ブーってあんたあのガキじゃないの」

「ふが...」

鼻を押さえた青いガキ、すなわちルーは黒い死神司祭から逃げた直後
黒い猛禽女神に遭遇してしまったのだ....





「ふーん、そうなんだ」


デライラはルーの動作が今まで見た青い連中と明らかに
違う事で、彼の言う事を信用してやった。
鼻血に気を良くしたのもある。

「で、あんたの親父はどうしたの」

「親父って誰」

「ブルーに決まってんじゃん。
そこまで同じ間抜け面並べて寝言言うのも大概におし」


ルーの記憶は街を出て、神殿で老人に会った所までしかない。
またかよ、とうんざりして思わず自分の左の頬を撫でた。
いつの間にか傷痕のような物が浮き上がっている。ルーは問いかけたかった事をようやく口に出した。

「あのさあ、そもそもここ何処?」

デライラは反対に問いかけられて首をかしげた。

「あんたブルーに連れられて来たんでしょ」

「だから知らないってば。オレ人魚の街に行ってそれから...」

デライラはいぶかしげな顔をした後で気の毒そうな表情になった。

「もういいよ。あんたの親父ほんとにバカだもんね。
どこの港町から来たんだか知らないけど
もう少しまともな作り話考えりゃいいのに」

「へ?」

「そう、あんたは人魚姫の連れ子だとかなんかそういう
ホラ話吹き込まれたのね。いいこと、あんたの親父は..」

「!!」


デライラが息を飲んだ。
正面にいるルーの背後を見て顔色を変えている。

「...........」



そこにひとりの青い男が座っていた。
青い肌に薄い水色に近い長い銀髪。
そして何よりもデライラが驚いたのは...
彼の下半身がイルカとも巨大な魚ともつかない足のない尾であった事。
彼はブルーによく似た顔で微笑みながら木にもたれて座っていた。

「ブ..ブルー!?」

振り向いたルーは驚かなかった。
彼にとってその姿は海で時折見かけるものであったから。
『人魚』と呼ばれる特権階級の連中。
驚くよりもルーは苦い記憶を持て余して俯いた。



男人魚の瞳は蒼かったがその奥は暗く、微笑みもまたゾっとさせる虚を漂わせていた。
彼がゆっくり手招くと、デライラは魂が抜けたように立ち上がった。
ルーは本能的に彼女の腰にしがみついて叫んだ。

「※※※※!!」


男人魚は驚愕した顔でルーを睨んだ。

「オレ、あんたのこと覚えてる!」

ルーが続けて叫び、男人魚はそれを聞くと
凶暴な顔で人魚というより大蛇の如く、上半身を揺らした。
めりめりと伸びて行く胴と裂けた口の端に牙が覗く。

「あんたの名前は※※...」

人魚は言葉を遮るように長い胴を一気に伸ばし
デライラとルーに絡み付いた。
何重にも絡み付いた胴は腐肉と骨が見え隠れしている。
ルーは締め付けられた息苦しさに気が遠くなりながら呟いた。

「あの時助けてくれたのは...」

『もうこいつじゃねェな』


唐突な返答が頭に響いた瞬間、大蛇が叫び声を上げて砕け散った。


「!?」

デライラとルーが地面に尻餅をついた時、大蛇も
銀髪の人魚も消え失せていた。
そのかわり目の前に黒い服の男の後ろ姿があった。
ルーが叫んだ。

「カノン!?」

『ブー』


ちらりと振り返った黒服の男は顔をはっきり見せる間もなく
からかうようなウィンクを残してかき消えた。

「....???」


ルーの胸元がやけに明るい。
我に返ったデライラがルーの襟の中に手を突っ込んだ。

「うわ、なにすんだよッ」

「何コレ」


ルーの首にかかった銀の鎖の先、そこから光がゆらめいていた。
潰れた銀細工に辛うじてはめ込まれた赤い石。
原型は曲がり煤けてわからない。
しかし刻まれた呪文のような文字が点滅し、それに応えるように
赤い石は発光していた。
その光はさながら小さな焔。

しかし数度の点滅後それは消え、ただの潰れた銀細工に戻った。
デライラはそれを見るとつまらなそうにル−に戻した。

「今そこにいた人見た?」

「ええ、しっかりとね」

「黒髪で」

「銀髪の」

「は?」


デライラとルーは顔を見合わせた。

「今さ、黒い服着た男がそこに...」

「あたしが見たのは銀髪の男人魚...」

「人魚じゃなくってもうひとり」

「知らないわよ」

「え?」

ルーはあたりを見回した。人魚はおろかそこには誰一人いない。
彼は胸元の銀細工をまじまじと見ると呟いた。

「なんかあの死神に似てたような気もするんだけどなあ」

そうだ、確かにカノンとよく似た出で立ちだった...
顔はよく見えなかったけれど。


「はあ?死神がどうしたって?」

「いや、なんでもない..ってあれ、その腕...」

デライラの腕から血が流れている。

「ああ、さっき少しすりむいたのね」

「ちょっといい?」

「?」

ルーがデライラの腕を手に取って笑った。

「........」

「あれ?」


「あんた何ニヤニヤ笑いながら人の腕触ってんのよ気色悪い」

デライラは腕を引っ込め傷を自分の舌でぺろりと舐めた。

「...おかしいなあ」


ルーはその仕草に狼狽しながら首を捻った。
いろんな事を思い出した気がした筈なのに...
かつて『出来た事』も...


「まあ、いいや...」

「坊や、とにかくどっかまともな連中がいるところに行くわよ。
あんたが来るなら一緒においで、嫌なら置いてくよ」

「あ、行く行く..」


ルーはあわてて黒い女神を追った。
そういえば自分はパンをくれた
桜色のドレスの人を捜さなきゃならないんだった...

ルーとデライラは目立たないように足音を偲ばせながら
建物の陰を歩いて行った。
カノンもその頃ひとり同じように歩いていた。
ナタクが戻るまで鎌を振るい、ただひたすら為すべき事を遂行しながら...