草原の満ち潮、豊穣の荒野
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46 River, Sea, Ocean 2〜月と椰子の木

ヒダルゴの夕暮れ。

いつもの酒場は酒処として夜の開店準備をしている。
ブルーはなしくずし的に住み込む形になっていた。
酒場の主人が女房子供に出て行かれた過去を
切々と語るのを聞きながらブルーは酒瓶を厨房へ
運び込んでいる。

「まいどー。珍しい品がよーやっと入ってきたんで
試しに一本飲んでみてやー」

「はい?」

不機嫌そうな青い店員がいぶかし気に振り返った。

「兄ちゃん聞こえんかったん?試飲用に1本サービスする言うてるんじゃ」

「....」

ブルーは地上の言葉は大抵理解出来た。
幸い地上はひとつの言語が公用語のように
ほとんどの場所で使われている。
少なくともブルーが歩いて旅できる範囲においては。
加えて彼はやろうと思えば声から情報を得る事もできる。
普段は特に必要もない能力だったが。


丸い黒眼鏡の男。
辺りはとっぷりと暮れている。盲目なのだろうか。

そんな事を思いながらブルーは彼の声を注意深く聞いた。

「わははは、あんさん新顔かいな。ほなよろしゅうな?
俺はナタク言うんよ。あちこちから酒仕入れては
卸しの仕事しとるまあ、流しの酒屋みたいなもんやな」

「...流しの酒屋ぁ?」


ブルーは頭を抱えた。
混乱を呼ぶ喋り方、いわゆる訛り。
旅の道中でもこんな奇っ怪な喋り方をする者なんか
初めてだ。
尤もブルー自身、旅商人の男から『ものすごい訛り』と
称された『異国人』なのだが。


「いや、失礼。その...なんというか...
聞き慣れない言葉なもんですから」


慎重に言葉を選ぶ。
ブルーにとって街の人間全てがどう商売に繋がるかわからない。
以前ならわかんねえよ、お前、だったけれど。

「故郷(くに)がここらとは違うて遠くやからなー。
まあ、これ飲んでみぃ?」


ナタクと名乗った男はボトルを一本ブルーに放り渡して
かかか、と笑った。

前開きのシャツに細綾織りの丈夫な綿布製ズボン。
やや長めの黒髪をうなじの辺りで縛り
額に縞模様のバンダナを巻いた流しの酒屋。
黒眼鏡が怪しさを醸し出しまくってひと回りし
かえって妙な親しみすら持たせている。

「あ...こりゃどうも。私はブルー。
頂きます」

酒を酌み交わす相手にとりあえず敵はなし。
適当な持論でブルーは受け取った酒を呷った。

「あ、うめえ」

「そーやろー?こーゆう美味い酒に遭うために
世界中渡り歩いとるけんな。
趣味が高じてこの仕事、ちうわけ」





開店準備もそっちのけで酒宴開始。
呆れ顔の店主がせめて開けてからにしてくれ、とやってきた。
背中には青い子供がくっついて歩いている。
息子と年が近い、と鼻水をすする店主は
息子をすっ飛ばして孫にメロメロのじいさん、と言った方が正しい。

「なんならそいつ、あんたにやるよ」

ブルーがラッパ飲みしながら面倒臭そうに言った。


「...ブルー殿」

「は?...うわっ!!」

ブルーは危うくボトルを落としかけ、後ずさった。
黒い服の男が明らかに機嫌の悪い顔で立っている。
右手にはあの森で見た銀色の棍が握られていた。

「おお、カーくん」

酒屋がのんびりした緊張感の無い言葉を口にした。

「カーくんはよせ」

「久しぶりなんやき、ええやん。
カーくん暇元気そうでなによりやし」

「....お知り合いですか」

「10年来のつき合いやからねぇ。
なんぞカーくんについて聞きたい事があるんか?
当たり障り無い範囲なら教えちゃってもええで?」

「当たり障り無い.....って....」

ブルーが暗い顔で呟く。
森での一件を思い出すだけでも気が重い。

「教えるな」

カノンはその顔と同じくらい不機嫌な声で言い放った。

「カーくん、相変わらずやな」

「....だからカーくんはやめろと言ってるんだ」

「なんだか知らんが私は開店準備がありますんで」

「待ちなさい、保護者殿」

「誰が保護者だ」

「先日言いそびれた事があってね。
少しばかり時間をもらえないか?」

「仕事がありますんで」

「ブルー、司祭の言う事は聞くもんだぞ。
こっちはいいから」

「...良くねえよ」


店主の迷惑な計らい。
逃げ損なったブルーは酒場の隅に座り、ふてくされ顔で
煙草に火を付けた。

「あんたもやるかい?」

「君はシラフじゃ話もできないのか」


煙草をくわえたまま、ブルーは肩で笑った。
吐き出す煙りの匂いはいわゆる『煙草』とは別物。

「ビミョウなもん吸うとるな、ブルー殿」

ナタクが子供を煙の来ない風向きに押しやって苦笑した。
ブルーはわざとらしく煙を吹き、卑猥な歌を口にして
噛み付くように言った。

「ああ、そうだよ。
こういうロクデナシをもうひとり作りたくなきゃ
そのガキゃ、とっとと連れてってくれ」

「そのつもりだよ」

「はん?」

カノンは眉ひとつ動かさず続けた。

「神殿にその子を昼間だけでも寄越さないかと言いに来た。
問題のありすぎる人物が保護者であれば
サポートがあった方がいいだろう。
神殿には孤児や親の手が回らない子供に
読み書きを教えたりする援助活動の場が設けられている。
君としてもその方が楽になるはずだと思うが?」

「あくまでも保護者扱いか」

「君の事情がどうであれ、そんな瑣末に興味はない」

「...ムカつく奴だな」

「なんや二人とも喧嘩腰じゃなぁ。
もちっと穏やかに話しせんと、まとまるモンもまとまらんやろう...」

「ナタクは黙っていてくれ」

「ケンカを売ってるのは司祭様ですぜ」


風向きが怪しい。
酒屋はやれやれ、と子供の手を引いて言った。

「しゃーないのう。ほなルーくん、あっちで遊ぼか?」

「ルーくんて誰だ」

「ブルー殿のちっさい版やから仮にルーくんでええやろ。
ブーくんじゃなんだし、な。それに
カノンもカーく...」


カノンが氷青の目でナタクを睨んだ。

「へいへい、お父ちゃん達はほっといていこか」

「だから親父じゃないって...」

ブルーが頭を抱えた。






「ブルー殿、大人だという自覚があるのなら
もう少ししっかりしたらどうなんだ」

カノンが口火を切る。

「複雑な事情があると言うのなら少なくとも
説明する努力はすべきだろう。
心当たりがない、知らなかった、で済む問題ばかりじゃ無いのは
君も判っていると思っていたが?」

「.....ふうん。
で、誰を信用して説明しろ、と?
あんたの言う神殿はオレにとっちゃ得体が知れねえ。
そもそも深夜に...」


ブルーの言葉を遮ってカノンが言った。


「...僕を信頼しろとは言わないがね。
信用がおけないところに預けるぐらいなら
厄介払いにその辺に放り出して、野垂れ死にさせた方が
ましだとでも言う気かい」


ブルーは煙草に似たシロモノを足で踏み消し
唸るように言った。

「とっとと行きやがれ。さもなきゃオレはあんたを
ブン殴るまで諦めねえぞ」

「それが君の応えか。子供以下だな」

ブルーが床を蹴ってカノンに殴りかかった。




「やめんかいな!!」




間に割って入ったのは酒屋。
右手でブルーの拳を止め、左手でカノンの棍を掴んで
立っていた。

「ったく、さっきから聞いとったら何や。
そろいも揃うてガキ同士の言い合いと変わらんやんかお前ら。
カーくん、慇懃無礼も程々にしとき。

ブルー殿も負けるケンカ売ってボコられるんが趣味か?
とにかく、問題はルー君の事やろが。事情はよう知らんけども
俺がここに滞在する間は相談にのるけん、結論急がずに一旦退けや。
せやないと、両成敗で一発喰らわしたるでホンマに」

先にカノンが棍を下ろした。
ブルーだけが納得のいかない顔で動かない。

「...ブルー殿、聞けんか?」

「....」

黙ってブルーはカノンを睨んでいる。

「ちょい、あのなぁブルー殿...」

ナタクが空いた左手でブルーを手招いた。
ブルーがカノンから視線を外した僅か1秒間。
もし誰かがその1秒を目に止められていたなら
凄まじい力でブルーを拳ごと床に叩き付けた
酒屋の姿が見られただろう。

鈍い音と共にブルーは床に伸びていた。
声ひとつ上げる事もなく。


「スマンなぁ。けど、カーくんに突っ掛かるぐらいやったら
こっちの方がマシやけんな。
......たく、カーくんもな、自分より弱いの判ってて
何たき付けとんのよ」

「カーくんはよせ」

「まあとにかく。言うたからには、こっち居る間
この子の様子見ながら相談のっちゃるよ。
ぐだぐだ言うたかて、昼間ぐらい神殿に預かって貰うた方が
ブルー殿も楽なんは事実やから、その辺り話つけたるわ。
それでええやろ?」

「....わかった」

「まあ、俺もそんな長居は出来んけどな。
それでもカーくんがごり押しするよりゃ、うまくに話しとく」


「ならば...僕はこれで退散しよう。彼が起きないうちに」

「おう、行け行け。ご苦労さんや」


カノンは店主に挨拶をして出て行き
ブルーはその数分後に目を開けた。


「...くそったれ」

「気ぃついたか?カーくんはもうおらんでー」

「あの野郎、いつか絶対ボコる」

「威勢がええのはかまわんけども。
そればあじゃカーくんをボコるのはずーっと無理やな。
たんこぶ出来とるで」

「ナタさん、あんた一体何者なんです?」

ブルーは頭のこぶを押さえながら黒眼鏡の怪力男に訊ねた。


「俺は酒がめっちゃ好きなだけの流しの酒屋や」

「は?」

「酒場は酒を楽しむ所や。喧嘩はアカン。...というよりな
割れよった日にゃ酒が泣くわい。始末は面倒、ええ事ないで。
……俺は今日遇うたばっかし、よう知らんけども
ブルー殿もそらいろいろあるやろ。
まあ飲みや。そんな時ゃ飲んでから考えたらええねん」

流しの酒屋はブルーの肩に手を掛け、ほれ、と酒を勧めた。

「どうも...」

口にした酒は確かにテーブルにブチまけるには惜しい香り。
いらついた神経をなだめるのに丁度良かった。


「おう、飲め飲め。でもな、せめてご機嫌な酔っ払いまでで
やめとくんが身の為やで。あんま、わけわからんモンまで
やっとったら長生きできんし」

ブルーは踏み消した『微妙な煙草』を拾い上げポケットに
突っ込むと呟いた。

「酒が切れてのたくってる酔っ払いより
飲んでご機嫌な酔っ払いの方がまだいくらかマシだよ。
...酒に漬けた果物はもう元には戻らねえ。
果物なら捨てりゃいいけど...」

「それはシャレにならんで、ブルー殿」

「いや、オレの事じゃないですよ。
アレ、薬の代用品みたいなもんでね。商売で
ちょいと作ったばっかのを試してみただけで」

「ブルー殿、薬屋なん?」

「おおまかには、ね。同じ薬でもやばめの方が金になる。
文無しで旅、ってわけにはいかないし
かといって、あんまり外道は好きじゃねえから
せいぜいチンケな悪徳薬売りってとこかな」

「そら環境子供向きやないなあ、確かに。
せやかてちっさいルーくん放るわけいかんし
ブルー殿かてニンゲンひとり背負い込めば
たまらんやろ。
...ところでほんまにブルー殿、身に覚えないんか?」

「断じて無いッ」

「わはは、冗談や。ちうか、身元がわかりゃええんやから
なんぞ手がかりないやろか?俺も遠くやら行った先で気い付けとくし」

「そっちも無いですよ。オレだって、ひとり放り出されたガキが
どんな気分になるかくらいわかるけど
知らないものを知ってるとは言えないでしょうよ」


ブルーは一気にボトルを呷って咳き込んだ。
続いて思いきり鼻をかむ音。


「うへ。鼻から出さんといてや。せっかくの酒やぞ。若造。

それにしてもなあ、ブルー殿、カーくんにもそう言うとれば
あんまり話ややこしならんですんだんやけどなあ」

「けっ」

「またそない子供みたいな事。ブルー殿。
ま、僅かばかりなら力になれるかもしれんし、なれんかもしらん。
約束はでけんが、酒だけは間違いなくええモン持って来るよってな」


「....ナタさん、あんたいい奴だ」

「ありゃりゃ、ブルー殿、もう回っとるんかいな」

「いや、そうじゃない。そうじゃなくってさ...
昔聞いたのとあんまり違うから...南の浜もなきゃ
特別な椰子の木もない。
夢の薬欲しがってまで見た夢がこれか、って思うとさ
シラフでやってられるかってんだ....」


そのへんの酒瓶を空にした挙げ句、ブルーはよくわからない言葉や
歌らしきものを口にしながら椅子からズリ落ちた。


「やれやれ、潰れてもうた。ちと度数も高かったし
ちゃんぽんはやっぱあかんで、ブルー殿」

酒屋は床に転がった若造を引っぱり起こしながら
黒眼鏡の奥で『ルー』を見ていた。




「…なんちゅうかホンマ、こらややこしそうやなぁ」

酔い潰れて眠り込んだブルーを見ながら
ひとりごとのように呟く。

ルーが駆け寄ってブルーを覗き込むと笑った。
額にあった大きなコブが引いて行くのを見ながら
酒屋は表情ひとつ変えなかった。

「ブルー殿の手に余るんは間違いなさげやな……。見てしもうた以上
放るわけにもいかんしな…。たく、何時でも面倒ごとは
芋蔓式なんやから…
なあ、ルーくん。あんさんほんまどっから来たんかね……」


青い子供はにこにこ笑いながら酒屋を見ているばかり。



     むかしむかし、南の浜に特別な椰子の木が
     はえていました。

     その木はまっすぐ月に向かってはえていました。
     その木は神様の木で、特別でした。

     月や星をひとやすみさせるために
     はえている木でした。
          
     それはとても高く、空にむかってのびていました。
     月や星はその枝に腰掛けて、こっそり
     ひとやすみしては、夜空へ登っていったのです.....          










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クリップアートはcoolmoon様からお借りしました。