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ムシトリ日記
加藤夏来
→ご意見・ご指摘等は

2006年07月31日(月)
言い訳です。

こんばんは。さて、昨日のアレの説明というか、言い訳です。別場所で「何を言いたいのかよく分からない」という意見を頂きました。分からないなら分からないなりに、魅力があれば読ませるものになるのですが、この展開にはそこまでの力はありません。ただ今のところはここが限界のようです。

まず基本的な構造から説明しますと、ユーナーン王はビザンツ帝国の人です。つまり、この国全体がキリスト教徒です。それに対してターバンを巻いているドゥバーン博士は、一人だけ紛れ込んだイスラムの人です。それほど強固な信仰を持っているわけでもなさそうですが、少なくともファラスの人にとって重要なのはそこです。未だにやってますがこの二つの宗教は歴史的な敵対関係にあり、当然砂漠で戦ってきたというユーナーン王の相手も基本的にはイスラムになります。

ってそもそもここまでの説明を本文でしないといけないのですが、それだと本筋を外れすぎですし、読んでいただいた方はお分かりかと思いますがこの話、ネタ自体は非常に小さいのです。

かといってテーマを削ってしまうと骨だけになってしまうため、死に対する対立した考え方、というところだけ何とかシンプルにまとめようとしてみました。二人がキリスト教とイスラムの話をしているという事実からしてできるだけシェイプアップして、単に殺されようとしている男と殺そうとしている君主、まで持って行きたかったのですが、ここでやりすぎちゃってもやもやしたものが残ってしまったようです。

ただ、基本的な思想は本文中で王自身が言っている通りです。「何故それがそれほど大事なものだったか、人には分からない」。いかに生き、いかに死ぬべきかなんていう根本的な哲学は、精神の世界すなわち死の国に置くしかないし、それを人に発する場合、一番そのままの方法は『分からない』という状態そのものを伝えることです。構造的な問題ですね。

例えばドゥバーン博士の行動の意味づけをこれこれですよ〜と言い切ることはできますが、それは実は私が言いたかったこととは真逆の行為になってしまいます。

ただそれ以前に凄くすごく根本的な問題があってDQ8マルクク同人を見に来てる閲覧者にこんなの見せてどうすんだと……。いや、はい、サイトを整理すればいいだけです。前向きに検討します。