不意に表題映画のお気に入り点を思い出したので、メモの意味でここに書いておくことにします。どこの映画館でも一番観客が笑っているのは、ソフィーと荒地の魔女が宮殿の階段を上っているシーンだと思いますが、あのおかしさの後押しをしているのが「いつの間にやら仇敵のはずの荒地の魔女を、ソフィーが心配している」という点ではないでしょうか。完全に頭にきていたはずの呪いの一件を忘れた理由は、相手がなんか大変そうだったから。しかも、いったん忘れたら二度と思い出しません。犬がスパイとかの件なんぞ、一瞬にして忘れ去られています。犬自身も同レベルですが。
映画のシーンそのものよりも、この基本的に攻撃性が欠如している雰囲気を、ごく自然に愛する日本人の特性が、わたしは嫌いではありません。
ちょっと前ですが、新幹線のホームで行列に並んでいたところ、前に並んでいたおじさんが「ちょっと荷物見ててくれる?」と一言言い残して、十分ほど姿を消したことがあります。もちろん、知らん人です。向こうにとってだって同じことです。そして、この状態は決して超レアな事件ではないと思います。
荷物自体が非常にデカくて、おいそれと持っていけるようなものではないとか、(おそらく)そもそも他人にとって価値のあるものが入っているわけではないとかいった事情はさて置き、移動中の人間にとっての荷物は準自分の体と言えます。何らかの信用がなければ、預けられるものではありません。
わたしについての情報がゼロに等しい、あのおじさんに、ホームで焼き鳥を立ち食いしているどっかの女を信用させたものはなんでしょうか。
異論もありましょうが、わたしはおじさんが荷物を預けていったのは、私自身ではなく日本という社会だと考えます。縁もゆかりもない人間の大切なものを、同じように大切に扱ってくれるだろうという信頼感、ならびにそれを疑いなく信じている以上、本人も他人の大事なものを大切にできるという自負。自己責任を基本に考えれば、このおじさんの行為は相互依存にもとづいた軽はずみな思考ということになるのでしょうが、わたしは決して嫌いではありません。十分間荷物のそばを離れることもできない社会の、いったい何が自由かと思うのです。
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