たまごやき


2004年07月16日(金)
えっ、どうして?あの作品、ワンスモア!と思っても「それが叶わなくて・・シルベスタスタローン」ってことがあるわよね?ウン、それ、それなのよ。それが私にとっての「たまごやき」なのよ。

ねぇ、読んでみたいと思わない?うん、読んでみたい、僕読んでみたい!世界中からたくさんのリクエストが集まっております!(ニュースキャスターのマネをしつつ)

そう、いつだって青パジャマ。

-----------------------------------------------

たまごやき(掲載ストップ中)


小説というのは読み終えた後に人それぞれに違った感動を与える事がある。
感動というのは、素晴らしいものに接して心を奪われることであって、その素晴らしさの感じる、というのは読書に限らず、人それぞれに許された個々の感情の特権である。その特権を充分に堪能できる作品。

「はやと」という存在を、目に見える形ではないものの、人は誰しも持っていて、その存在がないと人の感情は外側に発散される一方になる。そしてそれはいずれ「暴走する感情」と名づけるのにふさわしいものになる。母を失った絶望感を、また、父から受ける暴力を、収束する場所が「はやと」であったのではないかと思う。収束しすぎたのち、有限確定の値に近づきすぎて、発散を強いられる。その発散を後悔する・・というのは、人生の中でそう少ないことではない。

たまごやきの甘さ、色、ひらがなの不規則な集まりから生まれる文体の柔らかさに相反して、限界の収束から生まれる息苦しさをより強く感じる。対極にある二つのものを、子供の口調で淡々と書き続けているが為に、概念に邪魔されず、子供の頃の自分を重ね、読み手一人一人が全く別の感動を生み出す。

最後に現実に戻るきっかけを作者が与えてくれたのは、個人の感動の自由への配慮なのかもしれない。そして、その感動を元に、読者が物語のその後に各々の思いを巡らし続ける事が出来る。


My追加