INDEXpastwill

2005年06月07日(火) さちこい。「てのひら」

 槙原先生はみんなから槙ちゃんと呼ばれる。それはそれはとても愛情を込めて。先生はまだ先生になって二年目で、若くて中途半端にだらしなくて手に届きそうな大人だから、みんなが親しげに槙ちゃんと呼んで先生にぴたっとくっつこうとする。男子も女子も。昼休みはドッヂボールもする。授業中は面白い話もする。だからみんなの槙ちゃんはみんなに慕われている。
 だけど私は槙原先生のことを先生と呼ぶ。ずっとずっと。先生と呼ぶ。



 先生からメールが入る。「いま、ひとり」。先生からのメールはひらがなだけのことが多い。女子高生のメールみたいにごてごて飾り付けたりはしない。
 ぃまから行くょ。そんなメールを打つと先生は怒る。先生は滅多に生徒に怒らないけれど、私にだけは怒る。だから私は友達みたいにそれほど高校生じみたメールを打たないのに、怒る。
 私はいつもそのメールをもらうとどきどきしながら階段を上る。階段を上る速度と私の心臓の音は同じぐらいのペースで心地がよく思える。
 先生は放課後いつも社会科準備室にいる。本当はサッカー部の顧問なのだけど、一度もサッカー部にいるところを見たことがない。サッカー部にはコーチがいるから、素人の先生が行ってもしかたない、だって。だから先生は放課後職員室で会議がないときはいつだって社会科準備室にいる。
 扉をノックする。先生しかいないことは解っているけれど、ノックする。答えはなかったけど、開けてみると先生は新人だからって一番扉に近い位置の机で煙草を吸っていた。
 先生は煙草をくゆらせてじっと窓の外を眺めている。私が入ってきたことに私はそっと近づいていってみる。なのに先生は振り返らない。だから、そーっと、先生の目に両手のひらを押し当ててみる。だれだ、なんてことは言わない。言わなくても、先生には解るから。
「先生」
 先生は口の端を上げて、私の手をそっと掴む。そしてデスクに座る先生を見下ろすように立っている私を覗き込む。
「遅い」
「ごめんなさい。だって、優と一緒にいたから」
「遅い」
 先生はくるっと椅子を回して私のほうを向いた。眼鏡の奥の目がちょっとだけ怒っている。私といるときの先生はおとなのはずなのだけどちょっとだけ子供みたいだ。
 だけど先生はすぐにまた口の端を上げる。
「あんまり遅いから一人でポッキー食べちまった」
「あー!」
 デスクの上の、先生の持っているいっぱい赤書きの付いた教科書の隣に新発売のポッキーの箱がある。それを指差して思わず私は叫んでしまった。
「ずるい。ずるい。ずるい! 一人だけで食べるなんてずるい!」
「仕方ない。サチコが遅いから悪い」
「私の名前は幸! サチ、なの。コ、付かないの」
「サチコ」
 なんて先生がかわいく笑うから、私はいつもいつも許してしまう。私は先生の前だけサチコになる。先生だけの特別なサチコになる。
 みんなの槙ちゃんじゃない先生は、私だけの特別な先生だ。
 いつも二人きりになった社会科準備室で私たちはお茶を飲む。先生が淹れてくれる特別な紅茶。先生は紅茶を淹れるのがうまい。先生はコーヒー派だけど、私といるときは紅茶を一緒に飲んでくれる。私や先生が持ち寄ったお菓子を紅茶と一緒に食べながら、私たちはいつも他愛のない話をする。
「そろそろ仕事せななー」
 なんて先生が伸びをする。
 もう窓の外はすっかり太陽が傾いている。下校時刻を知らせる帰りの音楽が流れている。先生は私といるときは決して先生の仕事をしない。私が帰る時間に合わせておうちに帰って仕事をする。
 もう帰りの時間。私はなんだか名残惜しい。別に先生には毎日世界史の授業でも学校のどこででも会えるのに。
 私はなんだか帰りがたくて先生の手に自分の手のひらを重ねる。
「先生の手、大きい」
「サチコが小さいんだよ」
「昔、ピアノ習っていたのに」
「そんなんじゃ鍵盤届かないだろ」
「うん」
 ドとドが届かなくって、ピアノはやめた。他にも何か無理があってやめなくちゃいけないことは、いままでにも何度かある。だけど、先生は。私は先生の手のひらに自分の手のひらを押し付ける。先生といることは、別に何も無理がないからやめなくてもいい。たぶん。
「先生の手、熱いね」
「サチコが冷えてるんだよ」
「女は冷えるの」
「まあ、結構そうだな」
 なんて先生は言う。男の人の手は結構熱いのだろうか。私は先生しか男の人を知らないから、他の人の手のことなんて知らない。だけど私は先生の手のひらを知っている。他のみんなが知らない、先生の手のひらを知っている。
 みんなは槙ちゃんだなんて先生と仲がいいフリをしているけど、実際の先生のことをみんなは何も知らないのだ。先生がコーヒー好きだとか。先生が紅茶淹れるの好きだとか。
 先生が私のことを特別にサチコと呼ぶことや。
 先生が私のこと好きだなんていうことや。
 先生が私の手のひらをぎゅっと握る。握っては開いて。それを繰り返す。
「あー、サチコの手もあっつくなってきたな」
「先生がにぎにぎするから」
「だってサチコの手、ぷにぷにしてるじゃん」
「……どーせ太いもん」
「気持ちいいじゃん」
 なんて先生はにぎにぎを繰り返す。だけど、先生がすっごく嬉しそうに笑うので私はなすがままにされている。先生の指と指と私の指と指が擦れあって、なんだか妙な密着感に締め付けられる。
 先生は私とだけいるときはちっとも先生らしくなくておかしい。
 それが私にとっての先生。槙ちゃんじゃなくなった先生。
 最終下校時刻になったので、私は先生と社会科準備室を出る。もう、二人きりじゃないので手を握ったりはしない。私は下駄箱、先生は先生用下駄箱に向かって、別れる。私は自転車置き場に直接行って自転車に乗る。先生は駐車場に直接行って車に乗る。私たちはまるで槙ちゃんと生徒みたいな感じになってバラバラにおうちに帰っていく。
 だけど校門を抜けるときに、先生の車がすーっと私の自転車の隣に並んだ。窓が開いて。先生は右手をハンドルから離して、手を伸ばす。
「サチコー」
 私は、手を伸ばして、先生の手と手のひらを合わせる。
 先生の手は相変わらず熱い。
 先生の車がいなくなって、一人で自転車を漕いでいるときも、なんだか先生の熱が私に伝染したみたいに体中が火照って熱い。
 なんだか恥ずかしくなってむちゃくちゃに自転車を漕いだ。
 私と先生は、どうしようもないぐらいに両思いだ。誰も知らないことだけど、私だけがそれを知っている。それがとても嬉しいような恥ずかしいような、不思議な感覚で、それを考えるとき、私の冷え性の体はいつも火照ってしまうのだ。











 私は甘いのに飢えていたらしい……!!!!!!(((((((( ;゚Д゚)))))))



 何のストーリーもない……ある意味すごい……。
 レミオロメンの南風で朝目覚めたら、「手のひら合わせたら世界が巡る」というフレーズが一日中こびりついていたので、書いてしまった話。
 ……さちと槙ちゃん先生しか設定はなかったんだが、確か。
 槙ちゃん先生がとても先生らしくなくてびっくりした……まるで春人だ。
 あんまり真面目に書く気がないので日記を流用……ふはははは……。
 しかしこの話ならこの同盟に入れるだろうか……(ぼくにちでも入れると思ったが、今入るととてもシュールな感じがしてダメダ)。とはいえ、ここの「そんなつもりはないのに書く話がことごとく甘いと言われてしまう……」とか明らかに私違うのだがな……(甘くないよ、実際……)。




一言ございましたら。

    トップ
    紹介
    小説
    短編小説
    日記
    リンク
    メール