明けない夜はないはずだった
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2004年07月05日(月) 過去

私の初めての記憶は、まだ母の背中におぶられている頃
母の背中越しに見ているのは姉だった
机に座ったまま寝ている姉を見て、母が言った一言
「可哀想に」
以後、この言葉は呪いの様に私に繰り返される事になる

彼女が小学四年生の時
私と、彼女の友達を小学校の庭まで連れて行った
訳が判らないまま、そのまま彼女について行くと
彼女は、自分のクラスの教室に忍び込み
そのまま先生の机をあさりだした
「あった」と笑う彼女の手に握られていたのは
集金袋だった、そこからお金を出すと
彼女は素早くポケットに入れた
私は何が起こっているか判らないまま
促されるままにその場を走り出た

校庭の大きな松の木の前まで走ったところで
彼女は大きな目を見開いて、私に低い声でこういった
「このこと、家で誰かに言ったらお前を殴るからな」
恐ろしさに私は、何度も首を縦に振った

それから暫く後、授業中の事だった
一年生だった私のクラスに4年生の彼女の担任が来た
しばらく私の担任と話をしていたと思うと、いきなり
4年生の担任に廊下に呼ばれた、クラス中ざわめいていた
何の事か判らず、ただ怯えながら出て行く私に
4年生の先生は、定規、文具セットを差し出した
そして怖い顔で私に「これは貴女のものですか?」と聞いた
その定規には、すべて私の名前が大きくひらがなで書いてあった。

ピカピカのとても可愛いその定規に私はまったく心辺りが無かった
まだ、定規など授業で使わない一年生だ
「知らない、私のじゃないです」そう答えるしか無かった。
「そう、やっぱり」先生は怖い顔で言うと、そのまま小走りで戻っていった
私は後でクラスの友達にその事を散々問い詰められたが
首をふるしか方法が無かった
ただ判っていたのは(彼女がまた何かしたのかな)
の事だけ....
その後の事情は、大人は誰も話してくれなかった
だけど、それから4年生の子にあった時、いきなりこう言われた
「どろぼうの妹だっ、定規泥棒だ」
彼女は、定規が授業で必要だった日に、友達の定規を盗み
それに私の名前を書いていた、そして問い詰めた先生に
「これは妹の持ち物を借りた」

とそう言ったらしい、新しい自分の文具に知らない子の名前を
書かれた本当の持ち主は、きっとどれほど傷ついた事だろう

私達一家は、後に生まれ育ったその町を引っ越す事になる
私達姉妹の喘息の治療という事だった
友達も沢山居たその町を離れるのは、本当に辛くて泣いた
大人になってから母親に引っ越した理由を尋ねた時に
「K子の色々な噂が団地内に立っていて、居られなくなったのよ」
その時、集金のお金をポケットに入れた彼女の顔と、そして
私の名前が書いてある定規を思い出して、暗い気持ちになった

---------------------------追記-----------------------------
現在の事

数年前に絶縁した父親と姉の話はよく私の耳に入ってきた
主に、複数の叔父や叔母、祖母から。。。
その話の殆どは、勿論良い意味では無く
その度に「迷惑かけてご免なさい」とか「宜しくお願いします」とか
言い続けた、「いや、よっちゃんが苦労しているのは判っているよ」
「あんたが謝る事はないんよ」と返す肉親達に申し訳なくて
胸が痛んだ、私達は大人なのでもう面と向かって本人達に言う事は無く
面倒な事は避けたいだけだっだ、それを判らず「うわべ」をそのまま受け取り
ほんの少しの本心を知ると「自分達をないがしろにした」と恫喝し始める
その人達には疲れて、何歩も離れた暮らしをしていた。

父親が姉と暮らすと聞いたのは一年前
祖母と少し行き違いが出来た時だった
その時も、止せばいいのに祖母は父にお金を渡し
また父親を甘やかした
祖母は父を甘やかし、その同じやり方で父は彼女を甘やかす

何かある度に父に泣きつき、逃げていた彼女だが
今回は無職になり年も取った父と暮らすらしい
いままで面倒を見続けてもらっていた人間に
人の面倒なんてみれるものか
私は心の中でせせら笑った、きっと一年も持たないだろう
案の定、一年持たず父は姉に例のごとく恫喝され姉の旦那に酷い事を言われ
戻ってきた、その話を親戚から聞いたのは1ヶ月以上前の事だ。
働いてきた時の貯金は全て渡して、利用価値の無い年老いて頑固になった人と
責任をとらないまま生きてきた人が一緒に住めるわけが無い

戻ってきた父は、一ヶ月ほど何度も人を使って私の子供たちに会いたがった
私は面倒な事に巻き込まれたくなくて無視をした
目の前の自分の生活は、誰もそうだと思うが私も大変なのだ
なにより私の子供はもう大きくて、親戚や祖母、私の話を横で聞いていて
自分で判断出来る年なのだ

それが間違いだった...

たまたま、そのやつれた父を見かけた母は、父の面倒を見始めた
毎日食事を作り届け世話を焼きだした
「ろくな事にならないから、なるべく会わない方が良いよ」
私は忠告をしたが、母は私に対しては「もう会ってない」と言い
父は私に「もうやっと懲りた、2度とK子には会わない」と言いながら
縁を切られた姉の所に、わざわざ仕事道具を取りに行く名目で
高血圧の母を連れて行き、現在母は倒れ、父はまた錯乱し、
そして私達夫婦に決定的な亀裂を作った。

何時も私達家族を引き裂き続けて、傷口に塩を塗り続け
平穏な生活を壊し、金銭だけを受け取りながら
被害者ぶる姉なのだ、そして後始末はまた私らしい

もう沢山だ
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