メグの日記
SMAP大好き

2004年09月05日(日) vol.218 震度4&阪神大震災

19時過ぎ久しぶりに大きな地震が来ました
キッチンで夕食の準備中
セロリと豚バラのおみそ汁を炊いていました
あらっ?って感じで揺れ始めて段々と揺れが大きくなりました
あわてて火を止めてリビングへ
それからが長くていつまでもゆらゆらと揺れ続けました

24時前すま友さん家でチャット中に2度目の大きな地震
今度は縦揺れも加わって長く大きく揺れました
寝ていた娘も起きてきました
前の小学校のプールの水が海のように波打っています


阪神大震災から約10年
震災の時のことを思い出しました
突き上げる凄い揺れで目覚めた朝
とっさに幼い娘の上に覆い被さりました
私の顔を見上げて目をパチクリさせていた娘の顔が
今でもはっきりと思い出されます
小2だった息子は部屋の両端をおとうさんとおかあさんが持って
揺すっている夢を見て目が覚めたそうです
どんな力持ちでしょう。わたしって・・・

長い長い揺れのあと割れた食器で散乱した台所
二人の子供に上靴を履かせて家の中を片付け
実家の母からの電話で無事を確認
神戸に住むダーママにも電話が通じました
壁が崩れているけれど無事とのこと
しばらくして停電が復旧
炊飯器がピピピとご飯の炊けた音を鳴らしました

幼稚園に仕事に行こうとしたら電車が動いていない
芦屋に住む先生に電話をしたら周りの家も道路もぐちゃぐちゃで
とても出かけられないとのことでした

実家に子供達を預けてダーママの家に向かいました
車で2時間かかっても普段の20分くらいで行けるところが精一杯
電話も完全に通じなくなりとうとう諦めて帰りました

カーラジオの中で続々と被害状況が流れ事の重大さが分かってきました
実家に戻り母達の様子を聞きました
父の部屋はドア付近に置いていたロッカーが倒れなかなか外に出られず
母は和箪笥の上部がベッドの上に落ちてきて下敷きに
分厚い布団が母を守ってくれたようです
重い電子レンジもカウンターから落ちていました

夜中にダーが車で神戸に向かいました
冷蔵庫にあった鮭を焼いて、他にも色々おかずとご飯を
タッパーに詰めて持っていって貰いました
通行禁止の六甲トンネルを通って
実家の被害は大きく、その後全壊と診断されました
母と祖母、母の姉達神戸にすむ親戚は長田区の弟のマンションに避難しました

数日後に西宮に住む叔母が倒れた家の下敷きになり亡くなったと知りました
連絡も取れず、やっと避難所の学校に安置されていると分かりました
火葬にも出来なくて
何日も経って堺の市営斎場で荼毘に付すことができました

六甲に住む姉の処は電気・ガス・水道が途絶えてました
店も開いてなくてマンションの友だちの分も頼まれ、買い物をして夜中にダーが届けました
電池・ガスボンベ・ラーメン・ウエットティッシュetc.etc.
若いお嬢さんが何人かいらして困っていると聞き、
スーパーのかご2つにいっぱい生理用品を買いました

阪神電車が青木まで通るようになり園に通いました
ジーパンにジャンパー使い捨てカイロ、リュックにお弁当水筒を入れ
軍手をはいて震災ルックです
園は被害の大きかった魚崎にあります
青木から歩いて通いました
歩道は倒れた家で埋まっていて道路の中央を歩きました

まともな家はほとんどありません
青木の駅前は焼け野原、魚崎のあたりは全壊
園は平屋建てのためか建物は大丈夫でしたが
ピアノが倒れ壁に穴があいています
職員室はキャビネットが倒れ机がひっくり返っています
もし時間がずれていたら間違いなく死んでいたでしょう
講堂には避難の方々が生活していました

それから園児の消息を探し始めました
ほとんどの子供が自宅から離れています
地区内の学校や公民館を回って避難されている方の中に
園児がいないか探して歩きました
全員の行方をつかむのに1ヶ月ほどかかりました

地震による死者6400余人
全壊の住宅約10万5000
仮設住宅入居約4万6000
忘れてはならない出来事です



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