SAY-TEN DAIRY 〜晴天日記〜

2005年03月21日(月) 旅立ちの日

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

忘れない忘れるはずもない  そのぬくもり そのくちびる

でも切ないけどそのすべてが  夢のように消えていった

SO LONG MY LOVE  今はただ SO LONG MY LOVE 

また逢えるその時まで・・・ SEE YOU “NEXT TIME”

        ( SO LONG MY LOVE  / 小田 和正 )

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


デニスが日本を離れる日が来た。
jakeとYUKIと僕とで、国際空港まで見送る事になった。

デニスは、2月に行なった彼女の卒業ライブ、そして
YUKIが音頭をとったお別れ会の後、
一旦故郷の香港へ帰っていた。
そこで1ヶ月弱程滞在した後、今住む場所である
カナダに帰る計画だったそうだ。
そして、最後の日本に立ち寄った、その為にこの前のライブに
ゲスト参加できるようになった――――という事である。

そして―――今度いつ日本に来るかはわからない。
もう来ないかも知れないし、またいつか・・・かもしれない。
前者の方が確率は高そうだが。

とある待ち合わせ場所で、jakeの彼女が運転する車が
拾ってくれる段取りになっていた。

その場所へ行くまで、そして車を待っている間、
ずっとこの前のライブ音源を聞く。

お金を出して、ホール側が録ってくれた音源は、
MDウォークマンのボリュームをMAXにしても
全く聞こえない・・・という代物だった。
さらにPA卓での音源ゆえに、あの日ステージの上で鳴っていた
――1階席でお客さんが聴いた――ものと同じだった。
調子っ外れのキーボードが爆音で鳴っている・・・と言う・・・。

昨夜はやり場のない悔しさ・憤りで眠れなかった。
こんな事は、いろんなバンド・ライブを経験して初めてのことだ・・・。

音源を聴きながら、そんな感情をもてあましている時に、
jake達が現れた。
jakeの彼女が運転する車の中には、
デニスと彼女のルームメイトが乗っていた。
ルームメイトは僕と同年代の方か?姉御肌で面倒見のよさそうな
そして気の強そうな女性だった。
きっとデニスは日本に居る時は、彼女の下で
いい意味でも悪い意味でも窮屈だったろう(苦笑)。
・・・・それくらいでちょうどいいと思うけれど。

YUKIをミナミで拾って、計6人の一行は
高速に乗らずに空港へ向かうことになった。
道中、僕が何度も何度も聴いたSAY-TENの練習音源が
エンドレスで流れる。
その間、自画自賛タイム(爆笑)。
「何でこんな曲や歌詞が書けたんだろう?」とか
「ここのフレーズやリフ、天才やなぁ〜」とか(苦笑)
この練習音源の持つムードや力が、
ライブ本番で発揮できるようにならないと――――。

空港へは1時間ほどで着いた。
彼女のたくさんの荷物をカートに乗せ、ロービーへ向かう。
荷物を一時預かり所で預けた後、軽い食事をしようということになった。

賑やかに混み合うレストランの6席分の空席を探して、
彼女を囲む最後の歓談。
かと言って、特別な話や、湿っぽい話をするわけでもなく、
淡々と時間が流れて・・・。
「SAY-TENでの動向を向こう(カナダ)でも知りたいから、
HPを作って。」
彼女の要望・・・叶えなきゃと思った。
今後、細かい情報はメールやメッセンジャーで・・・ということになった。

空港のロービーへ戻る。
見送る側がもう戻らないと・・・という事になって、
ルームメイトを残してここでさよなら・・・ということになった。

デニスが、見送るひとりひとりにハグをしてきた。
最後の4人目が僕だった。
抱き合った時に「SAY-TENでの日々、ありがとう」と
英語で言われた。

涙腺が緩みそうになった。

「・・・じゃあ!『NO GOOBYE』!」
彼女の書いた歌のタイトルを叫んで、僕達は手をふった。
デニスも無邪気に手をふり返す。
彼女と、気の強そうなルームメイトの背中を見送った後、
「あのルームメイトが、本当の別れ際で一番泣くんだろうな・・・?」
そうYUKIがつぶやいた。

YUKIにはデニスから、スノーマンの絵本がプレゼントされていた。
表紙の裏には、彼女からのメッセージが書かれていた。
「あまりに達筆な“筆記体”なんで読みにくい!」
YUKIは苦笑いしながら、それでも彼女の想いを汲み取ろうと
必死で意訳と格闘していた。

デニスはかつてこんな事を言ってたそうだ。
日本に来て前半期と後半期に分ければ、
前半は彼氏と共に日本へ来て、気ままに観光気分で
時間を過ごしていたが、彼氏が先にカナダに帰った後、
孤独と不安の中で暮らしていた矢先、
YUKIを始めとするSAY−TENメンバーと出会うことができ
それからはものすごいスピードと充実感で時間が過ぎていった。
私は、日本で暮らした「後半期」がとても印象に残り
思い出も友人知人もたくさん増えて、
そして素敵な音楽に携われる事ができた――――と。

「とにかく、いい子だったね・・・。」
誰彼ともなく呟いたその言葉に、彼女のすべてが集約される。
ほんとうに心根のきれいな子だった。

高速は、大きな赤い橋に近づき、我々の住む現実の街へ
引き戻した。

彼女との思い出を胸に
そして、いつか・・・またいつかきっと逢える事を信じて
明日から、また新たな日々を
明日から、また新たな出会いを。

今日は、そんな僕たちの、それぞれの旅立ちの日だった。


 < 過去  INDEX  未来 >


れのん [MAIL] [BBS]

My追加