ゼロノオト

2009年09月11日(金) めしをくう

学生のころバイトしていたラーメン屋は隣にお弁当屋さん、反対のお隣さんにはスナックというかパブのようなお店。そのまた隣にはマクドナルドという立地。
うちのラーメン屋はいまどきのオサレ感は一切ない、閑古鳥が鳴き続けるわけでもなく、かと思えば行列ができる店になる一時があったりもする、シティーハンターと竜馬の漫画本がおいてあるお店だった。
時々、ごく稀に、ごはん切れに陥るほど混みあうことがあって、そんなときはお隣のお弁当屋さんに空のどんぶり持ってって、白米を「借りる」のであった。同様にお弁当屋さんのほうも、ごはん切れを起こすと、ウチへごはんを借りに来るのであった。借りたごはんは当日中、または翌日炊き上がったらおよそ同量返すのだ。

スナックのおねえちゃんたちがラーメンを「テイクアウト」してったこともあったし、年末大掃除か何かで店を早じまいにしなくちゃいけないときに、いつものまかないの代わりに「マックでごはん食べてきて」なんてこともあった。(ひどくさみしい深夜近くのマックで食べるハンバーガーの味気なさったらなかった)

いま思い返してみても現代とは思えないほどに、なんとも牧歌的なご近所付き合いだったなあと、懐かしく思うのでありました。


思えば学生の頃のほうが仕事運があったのか、やる気があったのか、時間があったのか、ほかにすることがなかったのか、時期によってはがっつり稼いでいた。正直、こんなんでこんなにもらえるのか!労働ってのは!楽勝ではないか!とすら思っていた。
しかしあれは、生きるための労働ではなく、「単なるバイト」だったからこそ持ちえた感想だったのだと思う。部活とか習い事の延長のような感覚だったし、長くても学生でいるまでの期間限定のおしごとだからがんばれた。飽きたらやめることだってできた。逆に、学校を卒業して社会にでて働く、となると、「卒業」のない、無期限の、いわば終身刑のような恐ろしさを想像していた。そんなわけもあって、学校と社会の狭間みたいなところで数年をのらりくらりとやってきたのでありました。

けれども、いざ社会へ出てみると、なんのことはない、生活するために働く、ごはんたべるために働く、いたってシンプルなことだったんだと。そんで、せっかくなら辛いよりは楽しく働くために、興味のあることを仕事にするんだなあって。働き方はさまざまあるけど、生活の大半を仕事に費やすのだから、働くということは、どう生きるのかということなんだなあと。

というわけで、だいぶフォトショップと仲良くなりました。久々の再会だったOS9やMOといった環境にも慣れてきました。お給料はそんなに望めませんが(学生時代の出版社バイトのほうがぜんぜん時給いいし…!)、毎日働けていることや、建設的な暮らしができているであろうこと、それらをありがたく思いつつ日々を過ごしている。めしをくっている。




<過去
未来>
<過去一覧