ゼロノオト

2005年05月22日(日) 視覚→触覚

視覚的な写真、イメージ、映像ではなく
触覚的なそれ。
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話はまったく別のところへ。

某ソーシャルネットワーキングサイトやブログ、しいてはコメント機能のついたブログというものの登場がもたらしたものは果たして有益といえるのか。
更新のしやすさやそれに対する反応の速さは確かにネット上を盛り上げているように見える。実際に盛り上がっているのかもしれない。けれど、一体どれだけの記事に価値があるといえるのだろう。まぁそんなことを言い出せば、それ以前からそこかしこに増殖してきた記事の全てにちゃんとした価値があるかどうかは怪しいところなのだけど。
朝何時に起床しただの、どこへ行って誰と会って楽しかっただの、それに対する「いいなーわたしも誰々に会いたい」だの「俺も今日はどこどこ行ったよ」だのというコメント。そういうもんを爆発的に増殖させただけではないのだろうか。
と、ちょっと攻撃的に書いてみたけれど、自分の文章だってそれらに含まれている。価値なんてない。
じゃぁ何に対してそんなに息巻いているのかっていうと、どこかのだれかが作り出したシステムに、我々が知らぬ間に組み込まれ、組み込まれたことにだって気づかないうちに、ハムスターの回し車を走るがごとく無意味、無価値ななにかを作りだしつづけていることについてだ。しかもいくら回し車を高速で走ったってどこにも行けやしない。いずれ息を切らして脱落していく。体力のある者もいるだろうが、どちらにしろ飽きが来て結局脱落していく。なんと無情な。そして人生は無常だ。括弧笑い。
いや、別にシステムがどうとかこうとかどうでもよいぞ。別に怒ってなんかない。ただ無意味に文章を書いているだけだ。ただ回し車の上を走っているだけだ。
話がまとまらない上に次から次へと考えが膨れ上がってきてどうしようもない上に今日は日に焼けた。そう、こういう文章こそがまったくもって無意味なのだ。「日焼けにはなになにがいいらしいよ」なんて書き込みがされやしないかとどきどきする。が、幸いここにはコメント機能はないので安心だ。安心な僕らは旅に出ようか。回し車を降りて旅に出ようか。




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