| 2004年05月25日(火) 目的としての芯・手段としての芯 |

さて、そろそろゲイサイこと芸術祭の集まりなどが催される時期ですね。
今の時点で「何をしようかな」などと考えているようじゃホントは駄目なんですけどね。
まぁ考えてないこともないけど、まだ中身には至ってなくて、
ただ、今年は「ゲイサイのために『作品っぽいもの』を作る」んじゃなくて
日々の中からむにゅっと生まれたテーマを、どう表現すればよいか、を、
考え中・・・・・・・・・・・・・・・・なわけで、、、
例えばデザインすることが目的になっちゃ意味がなくて、
目的を成し遂げるための手段としてデザインやらが必要なのであって、
(って受け売りなんですけど、ほんと、そうだな、と実感してて、)
だから今その目的を模索中なわけで、
まいにち中身を探していて、
でもなかなか見つからなくて。
まぁそのうち見つかるんじゃないかと。思うわけです。
それが見つかってしまえば技術とかはある程度は身につくと思うし、
(技術なんて今なくたって会社はいったり必要に迫られればすぐ身につくよ、
って、社会経験のある編入生の友達も言ってたし、)
まぁ、技術の無い人間の僻みです。とにかく見つかってしまえばあとはすいすい、と。
だから大切なのは今のうちにどれだけ中身を見つけられるか、
または中身を見つけるための望遠鏡とか、虫眼鏡とか、サングラスとか、を
獲得できるかにかかっているんじゃないかと。日々考えているわけですが、
うちのトイレにある某み○をの一言付日めくりカレンダーに
「考えてばかりいると日がくれちゃうよ」
と一蹴されかけたので夕日に向かって走ろうと思います。
ジョニー!!
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