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『広告批評』天野祐吉さんのことば
「世の中の言葉でね、本質的なるものと違う風に解釈されて 毛嫌いされている言葉のひとつに“批評”っていうのがあると思いますね。
僕の考える批評っていうのは、対象を捕まえてあーだこーだと けなすことじゃなくてね、基本的には対象をほめることだと思ってるんです。 ほめない批評っていうのはあまり認めない。ただそのほめ方がどれだけ 本質につながっているかどうかが問題ですよね。
で、書いた人(批評される対象者)も気がついていないところで ほめなきゃいけないというのが難しい。書いた人が得々としているところで ほめたんじゃバカみたいなんですよね。向こうの手に乗るだけのことで。
書いた人も“え?俺そんなことまで考えてなかったなぁ、そうか俺エライんだなぁ” っていう風に思ってもらうところまで書かなきゃ批評にならないって思うんですね。
暗に“ここまで考えなきゃダメなんじゃないの?”ということを上品に伝えられると、 言われた人は次からそのことを分かってつくる、今まで無意識にやっていたことが 今度は意識的につくるようになるから、もっといいものが出てくるかもしれない… という期待を込めて書くんです。
ただ、あんまり理詰めで言っちゃうとかえってその人が楽になってしまう。 無意識だからこそいいという部分もあってね。その辺の微妙さが非常に 難しいところだと考えてますね。
対象を育てるだなんてそんなエラそうなことは思ってはいないけど、なんか その人の役に立ちたいという思いですよね。だから、嫌いな人のことを 批評はできないんですよ。まず好きであることが僕の場合の批評の出発点。
“好きなのにあなたはどうしてこうなのよ、もっとよくなるのに!”と。 って女言葉で考えてるわけじゃないですが(笑)」
(茂木健一郎氏との対談より)
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