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いま自分が作ったり楽しんだりしていることは 写真そのものというより画像、もっといえば虚像なんだろう。
ただストイックに写真を撮ることも見せることも 半端に続けてきたから面白さは知っているつもりだが、 いじることも別の面白さがあってやめられない。
イメージの解体とか再構築とか、 それをやって何になるの?という声もある。 それより中身を見たい、内容を見たい、と。
物語を見たいというのは脳の欲求らしい。 断片を想像で埋めるということ。解釈すること。連想。 その運動がどういうフローで行われるのか、に興味がある。 写真にどんな物語が紡がれているのかではなく、どんな物語を ひとが見いだそうとするのか。突き詰めれば、写真単体に物語はない。
ただ、装置をつくる段階で膨大な数の写真を撮らねばならない。 その意味では、浪人時代のスライドショーから変わっていない。 複数枚の写真から、イメージの継ぎ目を自覚したい。
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写真はもとより映像というのは「うつし」だから うつされるもの、スクリーン、つまり器がないと存在できない。 紙に定着させたりプロジェクションしたり、モニタに受像させたり。 その器を選ぶだけで、作品の性質まで変わってくる。
卒業制作展では写真を使った作品というより、 器をどう提示するかに焦点を絞った作品だったと思う。 時間を与えたり奥行きを作ったり、ふだん写真を見て想像することを インスタレーションの器のなかに用意した、といってもいいのかも。
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それとは全く別に、ふつうに写真集をつくっている。 けどやり始めたら何よりも厄介で、シャッフルさせたり 知り合いに見せたりしているが、ものすごく時間がかかりそう。
もっと外していきたい。 堀内孝雄ばりに。
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