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2005年02月17日(木) 回り道

いま自分が作ったり楽しんだりしていることは
写真そのものというより画像、もっといえば虚像なんだろう。

ただストイックに写真を撮ることも見せることも
半端に続けてきたから面白さは知っているつもりだが、
いじることも別の面白さがあってやめられない。

イメージの解体とか再構築とか、
それをやって何になるの?という声もある。
それより中身を見たい、内容を見たい、と。

物語を見たいというのは脳の欲求らしい。
断片を想像で埋めるということ。解釈すること。連想。
その運動がどういうフローで行われるのか、に興味がある。
写真にどんな物語が紡がれているのかではなく、どんな物語を
ひとが見いだそうとするのか。突き詰めれば、写真単体に物語はない。


ただ、装置をつくる段階で膨大な数の写真を撮らねばならない。
その意味では、浪人時代のスライドショーから変わっていない。
複数枚の写真から、イメージの継ぎ目を自覚したい。

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写真はもとより映像というのは「うつし」だから
うつされるもの、スクリーン、つまり器がないと存在できない。
紙に定着させたりプロジェクションしたり、モニタに受像させたり。
その器を選ぶだけで、作品の性質まで変わってくる。

卒業制作展では写真を使った作品というより、
器をどう提示するかに焦点を絞った作品だったと思う。
時間を与えたり奥行きを作ったり、ふだん写真を見て想像することを
インスタレーションの器のなかに用意した、といってもいいのかも。

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それとは全く別に、ふつうに写真集をつくっている。
けどやり始めたら何よりも厄介で、シャッフルさせたり
知り合いに見せたりしているが、ものすごく時間がかかりそう。

もっと外していきたい。
堀内孝雄ばりに。




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