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----------2005年07月22日(金) 駄馬哀歌
駄馬は走ったので、相当走ったので、旅行で使ったお金くらいの賞金を得ることはできたと確信した。
友人の良血馬は出産が近づいていて、大きく膨らんだおなかを誇らしげに突き出しながらあいかわらずメルセデスに乗って駄馬を迎えにやってきた。
駄馬はみすぼらしく痩せている自分の馬体を恥ずかしく思った。
ひとりっていいじゃん、と良血馬はため息をついていたけれど、駄馬は良血馬が少し羨ましかった。たしかにひとりはいい。何にも誰にも遠慮はいらないし、駄馬の両親は殺しても死なないくらいに健在で家に一銭のお金を入れる必要もないし(それどころか駄馬はここだけの話、いまだにお弁当代と称してはおかーちゃんから一日1000円せしめているし、おとーちゃんには水虫のクスリとヂのクスリあわせて10000円、だとかズボンの裾あげ5000円、だとかタバコ一箱500円、だとか法外な値段をふっかけて小銭をせしめている、中学生並みである)、本を読んだりオンガクを聞いたりしているだけで満ち足りてしまうし、電話を待って苛々することもなければ洋服のセンスをとやかく言われることもない、そう、たしかにひとりは素晴らしいのだけれど、やっぱり、何かが欠落している、という想いが時折脳裏を掠める。
ときには安堵であったり癒しであったり信頼であったりする、ときには束縛であったり重荷であったり疑念であったりする、何か。
とにかく駄馬には何かが欠落している、良血馬と駄馬の間にはどうしても埋めることのできない間隙が絶対的に存在している、
と感じたので、駄馬は財布の中身がすっからかんになるまで阿呆のように買い物を続け、次々にカードを使い、大荷物を抱えて家に帰った。
大荷物は駄馬の欠落を埋めないどころかまた明日からも必死で走ることを駄馬に強いるだけだった。
嗚呼走れども走れどもダバダバダ。
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