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----------2005年07月15日(金) トド雑感

その昔、ほんのわずかの期間だけれど日本中の社会福祉協議会に電話+FAXをしまくる仕事をしていた。そのときに、北海道の南端にある「椴法華村(とどほっけむら)」という強烈なインパクトを持った名前の村に衝撃を受けて、行きたいっす、絶対ここ行ってみたいっす! と当時の上司であったM女史に持ちかけてみたところ「水無海浜温泉」という海と温泉の境目がどこにあるのか分からないような温泉があるらしいよー、休み取れたら行ってみよっかー、とありがたいお誘いを受けたのだけれどまあそんなのが「いつかねー」「きっとねー」の社交辞令の枠を超えないことくらい分かっている、主題はそんなことではない。

「平成の大合併」のせいでなんとも味わい深い「椴法華村」は消え去り、函館市に編入されてしまった。今の仕事柄西日本の合併事情には精通しているのだけれどまさかあのアコガレの椴法華村にまで魔の手が伸びていようとは。

なーんかやたらひらがなの地名が増えた。「うきは市」だとか「さつま町」だとか。無味乾燥な地名も増えた。「四国中央市」だとか「山陽小野田市」だとか。行政上なんらかのメリットはあるのだろうけれど、生まれ育った地名がなくなっていくのはきっと寂しいだろうと思う。

さっきニュースを見ていたら知床の漁師さんが「人を殺してトドを生かすなんてのはおかしいだろう」と息巻いていた。希少動物であるトドは漁師さんの網に穴をあけ、生活の糧である魚を食い散らすらしい。

そんなのは、人間の勝手な言い分じゃないか。

スケトウダラはトドと人間ではんぶんこすればいいじゃないか。

かつてトドの領域だった海を侵犯してるのは強欲な人間の方じゃないか。

圧倒的な不均衡、非対称の構図が

と突っ走りそうになる思考を「生活」の二文字が止める。

豊かさ、っていったい、何なのだろう。

トド、という名前を殺し、存在を殺し、人間の「生活」の側からの要求を押し付けて、それで? 

椴法華村に住まうわけでもなく、トドに生活を乱される恐れもない私が何かを言う権利はない。ただトドのいない風景を寂しいと思うだけ、トドと一緒に生き延びる術を見つけ出して欲しいと他力本願に願うだけ、そうして無性に人間の「営み」を腹立たしいと思うだけ、

そう、ただ本当に、「トド」の不在を寂しいと思うだけ。