index|
back |
next
----------2005年02月17日(木) 氷の華
「デカルト的な挙措の有する意味は、フーコーが断言するごとく、「思考する私は狂人ではあり得ない」ということではなく、むしろ、狂人であろうがなかろうが、我思う、我在り、「私の思考するものの全体が虚偽もしくは狂気に侵されていたにせよ(・・・)私は思考し、私は思考している間は存在しているのである」、といったことなのである。」(ショシャナ・フェルマン「狂気と文学的事象」/水声社)
ザッツライト、ファッキンライト。
もう多分狂ってるよ、だって話通じないし、皆がナニ話してるのかも分かんないし、少なくとも50メートルくらいは置いていかれてるのかそれとも超越してるのか、とにかく私は今全体を俯瞰してるの、全体がすべて私とは無関係なの、離れたとこにぽつんといる私は「こいつらアホだなー」とか「こいつらアホだけど幸せそうだなー」とかぼんやり思ってるの、ただそれだけのことなの。
そうしてもう二度とその全体の中に自分が戻れないことに気づいてる。そんな人は多分たくさんいるけれど、おのおのが自分だけの宇宙を形成してしまっているので手を取り合えることはまずない。
だけど忘れないで、あなたが考えるのをやめたとき、その氷の華は溶けてなくなる。
|