そらあい
摂食障害・AC6年目 今を生きる。

2004年06月17日(木) 2000年 高校退学・再入学

学校を休む変わりに朝に過食をしていない日は図書館に通った。
数十冊の摂食障害の本、不登校の本を読み漁った。
よく書かれていたのは「良い子」「母親との関係」だった。
私は「良い子」のつもりはなかったし成績優秀でもなんでもなかった。
ピンと来なかった。
嘔吐するわけでもなく拒食なわけでもない。
「あぁ、嘔吐しない過食は稀だから当てはまらないのか」と自分を納得させていた。

担任に度々呼び出された。
「×曜日はこれ以上休むと進級出来ないから寝ててもいいから授業に出ましょう」
「せめて1年が終わってから辞める事を改めて考えてみたら?」
担任は熱心に接してくれたと思う。
辞める気持ちを固めていた私は2000年の1月、高校1年で学校を辞めた。
荷物を取りに行って、クラスメートに軽く報告をして。
クラスメートは驚いていた。らしい。
公立全日制高校に再受験をするつもりだったけれど母が持ってきた資料の単位制の高校の方がという事で
その高校に向けて中学の時さぼっていた分の勉強をした。
小学校の時に通っていた塾にお世話になって勉強に励み2月、受験をしめでたく合格した。
過食は週に1,2回程。クリニックにも通ってカウンセリングを受けていた。
お弁当や晩御飯を作るのはやめた。
作ったら作った分、全部食べてしまう事が多々あったから。
体重はダイエットをする前に戻っていた。


春になり初めて通学定期を手に学校に通い始めた。
現役の子や私と同じように中退した子がいりまじった新入生。
年は関係なく新しい友達が出来たような気がした。
最初の一ヶ月は楽しかった。
男女共学で、彼氏が出来た。
いざこざがあり、すぐ別れてしまい
学校の最寄り駅でバイトを始めた。
部活も悩んだ末、6月ごろバレー部に入った。
部員が少ないお陰か、中学から弱小ながらやっていたお陰かすぐにレギュラーになれて
沢山出来たと錯覚した友達は随分減って片手で数えられるぐらいになったけれどバレーを励みにバイトをしつつ
過食した日はやっぱり学校をさぼってボチボチ毎日過ごした。

門限は暗黙のうちになくなっていった。
病気になってから母が少しずつ変わっていった。
過食をして辛い辛いと言ってる私を慰めたり、元気付けようと洋服を買ってくれたり。

正直、2000年の後半は記憶が薄い。
バイトを冬直前に辞め、大会が終わった部活はボチボチしか熱してなくて過食も増え、授業もサボる事が多く
単位を落として行く気がうせていった。そんな記憶。
通院していたクリニックで不安定になりやすい私は薬を処方してもらうようなっていて
カウンセリングを必要としなくなった。
カウンセラーは「××さんは良い子でいなくていいのよ」とよく言っていたが
私は良い子のつもりは全くなく、そしてその時の悩みを一生懸命話しているカウンセラーが眠そうな顔をして聞いているのを苦痛に感じた、
そのうち、そのクリニックに通うのをやめてネットで探したクリニックに通うことにした。
今度の主治医に胡散臭さを感じなく、診察時間に時間を割いてくれて病院じゃない雰囲気の待合室のクリニックは居心地が良かった。


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