いぶし銀
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こんにちワン・ツー。 こんな時こそいつも通りでいきたい管理人ですけどー。
被災地の皆さんにお見舞い、と同時に、みんなで生き抜きましょう!誰も独りじゃないんです!明日は必ずやって来ます!みんなで頑張りましょう! 今回ばかりはホントに死ぬかと思いました。 猛烈な大きな横揺れが延々と続いて、ストーブの耐震装置が働いて火が消えて、資料として棚の上に置いてあった本がバサバサと落ちてきて、ドアを開けて逃げ道確保しようとしても玄関に歩いていくことさえ出来ない揺れで足を広げて踏ん張って柱に捕まってないと立ってられなくて……岩手や宮城に比べれば揺れは小さいとはいえ、震度5強って命の危機を感じる揺れですよ。 いつもの’すげー揺れるなー’なんて考えてる余裕は全くありません。 ヤバイ!逃げなきゃ!って思うのに逃げられない……死ぬかと思った…。 そして、昼夜問わず延々とやってくる余震。 そのせいで、常に揺れてる感覚があって、揺れてないのにハッとして周りを見回して何事もないのが分かると安心して……。 大きな余震が3日以内に70%という予想は、大きな地震があれば大きな余震が必ずあると経験して分かっているだけに恐さが大きくなります。 地震が来る前、テレビで地震速報は出ませんでした。 揺れ始めてすぐ停電してテレビ画面は真っ黒になったので何の情報も得られませんでした。 窓を閉めて、ガスの元栓を締めて、電気のブレーカーを落として、夜シフトだったけど走りました。 停電してるので信号も消えてて、車に乗るのは渋滞の一因になるし危ないので走りました。 建物が比較的新しいので耐震設計がしっかりしてるハズなんですが、相当揺れたようで、机の上がグチャグチャになって床に書類が散乱してました。 とにかく原稿を「打て!打て!」と言われて打ち続けました。 歩いて来れないところの人がほとんどなので、翌朝まで一人で作業しました。 停電で必要最小限の非常電源しかないので、パソコン画面の灯りと懐中電灯で作業を続けました。 恐怖と興奮で喉は渇かないし、食欲もなくてナンにも口にしないままでした。 それじゃダメだと言われて、朝に事務のおばちゃんが買ってきてくれたおにぎりとお茶を口にしました。 おにぎりは1個の半分も食べられなかったけど、お茶は2本も飲みました。 恐怖と興奮の中の人間心理が少し分かった気がします。 お腹へってなくても、のど渇いてなくても、ムリヤリでも口に入れないといけないんだと分かりました。 停電が解消されたのが地震から約26時間後。 家のコトがあるので帰れと言われて帰ってきて、やっと落ち着いてテレビを見ましたが、あまりの光景に恐くなりました。 宮城県内に住むおじさんの安否が分からなくて、オトンもオカンもおじさんたちも必死に連絡取ろうとしてるという連絡が来ました。 いろいろ手を尽くしたところ、自宅は津波で床上浸水、職場の人たちと高台に避難するというメールが家族にあった後は連絡が取れないらしいです。 どこかの避難所にいるだろうとオトンは言ってましたが、心配は消えません。 我が家のように身内の安否が分からなくて心配している人はたくさんいるんだろうと思います。 その気持ちがよく分かります。 おじさんは宮城県に住む限り大きな地震の心配は必ずあるとよく言ってますので、心の備えはちゃんとしてると思います。 連絡手段が確保できて無事を知らせてくれるのを待ちたいと思います。 恐くてお風呂に入れなくて、頭は水を使わないシャンプーで、体はタオルで拭いて、という有様です。 この恐怖はいつまで続くのか……ホント、怖いです。 友人も、物的被害があった人なかった人いろいろですが、みんなケガもなく無事だということで安心してます。 明雄っちは無事でしょうか? すっかり自分のおじーちゃん気分の明雄っちなので、元気でいてくれることを願ってます。 命が無事なら前に進めます。 人間はひとりぼっちじゃないんだから、東北人は粘り強いんだから、負けずに生き抜いて頑張りましょう!
道頓堀の看板の電気をいち早く消したグリコ、GJ!
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