今年もまた4月11日が巡ってまいりました。圭介脱走139周年です。…新暦とか旧暦とかは言いっこなしの方向で。 で、ですね。記念日更新はやっぱり無理でございました…。 週末の甲斐の旅が効いた。さらに帰宅後の大河が決定打。頭ン中すっかり四百有余年前に逆戻りでごいす。 お蔭様で、歴史に嵌る楽しさの原点を思い出しましたが。史跡巡りも、歴史上の人物を主人公に創作するのも、武田が最初でしたからねえ。初心に帰った気持ちです。 かつての自分の創作を読みかえしてたら、トークページに「歴史創作は1%の史実と99%のハッタリでいい」とか書いてあって、自分で書いたことなのに目から鱗でした(笑) 十年前の自分の言葉に救いを見出すというのも如何なのか。
甲斐の国は、大河効果で一段と「武田度」が上がってて、すっかりミラクルワールドでした。お前らそんなにお屋形様が好きか!というかんじ。我々も当然、便乗して大いに盛り上がってきました。 私と相方がそれぞれ連れを伴って4人の道行きだったのですが、1日目(土曜日)は途中まで2組に分かれて、私と連れが山梨県立博物館(かいじあむ)の風林火山展、相方とその連れが武田神社の戦勝祈願祭と陣屋めぐりをして、3時過ぎに舞鶴城で合流。情報交換をしつつ甲州軍団出陣式を見て、それから市街に出て、軍団出陣パレードを見学。 パレード中に結構な雨に降られましたが、武者ども(地元青年団や会社役員、社員などで構成)も我々もそっちのけで大フィーバーでした…(苦笑) 軍団の人たちは皆、それぞれ勝手知ったる仲間内で隊を組んでるし、陣屋で酒を呑みまくってるので、ノリのいいこと。面白いパフォーマンスを色々とやらかしてくれます。微妙に統率が取れてないともいうけど(笑) 私も久々の信玄公祭り、相方と昔の話をしたり(ミ●ージュとかな!)(…)、懐かしくも楽しい一時でした。 そうそう、出陣式は、大河に合わせて永禄4年の第4回川中島合戦への出陣、という形式を取ってました。ちゃんと勘介がお屋形様に「きつつき戦法」を進言するのですよー。ただ、可笑しかったのは、「武田二十四将」というのが晴信/信玄の在位中の全武将から時代も年齢も考慮せず選ばれているので、現実には永禄4年にもう死んでる人や、まだ初陣してない人なんかが居るということ。板垣・甘利なんてとっくの昔に討死しとるわな!(笑) 「え、亡霊?」「換生したのか?」とか好き勝手言い合ってた我々…。 パレード終了後は、ほうとうを食し、湯村温泉に宿泊しました。 翌日(日曜日)は、レンタカーで小淵沢まで。風林火山館を見学してから、桃・桜・李の花の満開コンボを眺めながらドライブしつつ、棒道、新府城址、武田八幡宮などに行きました。 風林火山館では、土産物屋に大ウケ。「武川衆」と書かれた看板がありましてね…。「武川衆売ってるの!?」「『おっちゃん、馬場一丁!』『あいよ!』とか?」と爆笑してました(お手軽な…) ↑店名でした。野菜とか漬物とか米とか無造作に並べて売ってる超ローカルな雰囲気の店で、「武川らしい〜」「馬場〜!」とそこでまた大笑い(武川在住の皆様に失礼だお前ら) (何で我々が武川でそんなに盛り上がるかというと、「武田時代の武川衆は、当時の武士なら知ってるはずの誓詞の書き方を知らなかったらしい(思いっきり使用方法を間違えた誓詞が残っている)」からだったりします…) 武川祭(…)は甲斐路に止まらず、帰宅したら大河でも馬場大活躍で、何だかすっかり「馬場デー」な一日でした…。 しかし! 今回の旅の最大の収穫は、地元人の出版した秋山本! 秋山主人公の小説なんて、私くらいしか書く人いないと思ってたよ(爆) 当然の如く買い求めて読んでみたら、ものっそい秋山万歳な内容でした…同人誌みたい。ハードカバーなのに。著者とはお友達になれそうな気がします。くくく。
ところで、実際に甲斐の地を歩いてみると、自分の記憶がすっかり怪しくなっているのを実感させられました。城郭の構造とか戦陣の形式についても、思いのほか幕末洋式陸軍のそれに親しんでる。いかんなあ、と思うと同時に、やっぱり私は武田軍団が大好きだなーとしみじみ思いました。 圭介とは別の意味で、一生の付き合いをしたい魅力溢れる人々です。武田家臣団。
圭介脱走ネタは、少し腰を据えて書きます。なんてことを確か去年も言ってた気がしますが(…)、えーと今度は(今度こそ)ちゃんと終わらせるつもり。 4月中には目鼻がつくんじゃないかと思っとります。(つまり要するにまだそんな段階だっちゅーことで、す…)
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