| 2006年10月13日(金) |
行ってきたよ宰相列伝。 |
各人につき、わりと意外な方面から攻めてた気がします。のっけが伊藤の「兵庫県知事伊藤博文県庁に乱入した米国商船水夫を捕らえる」だし。黒田はメインが外国漫遊だし。ガタは貴族院・衆議院の成立と国葬が目立ってて、大隈は富岡製糸場が主でした。 それなりに、ツッコミ所が満載でした。
最初に笑ったのが、黒田。明治3年の渡欧の件に関する展示の説明書きが、「欧米の開拓方法に学ぶことを主張した黒田は欧米視察の命を受けアメリカなどを視察」となってまして。…「主張した」ってさ…なんか凄い駄々こねてるイメージがあるんだけど…。 というわけでひとり息を殺して笑ってたら、後から来た3人組の若い女性が黒田の写真を眺め、「え、誰この人」「知らな〜い」「わりと若くして死んじゃったんだね」「暗殺されたんだっけ?」……口々に(小声でですが)仰るものですから腹筋が痙攣おこしかけました。(切なすぎる) 西南戦争にあたって鹿児島に勅旨護衛で行ったときの報告書(復命書)は、西南戦争レポと化してましたです。田原坂を見たとかけっこう細かかった。 あと、外国漫遊時の日記が一部読めます。 開拓使関連はほんのちょびっと、事業が羅列してあっただけでしたが、そのそれぞれに誰某が絡んでて…とか思ったらじーんときました。
ガタのスペースでは、第一回帝国議会に纏わるアレコレが楽しかったです。が、ニヤニヤしながら衆院議員名簿を舐めるようにチェックしてたら、「葛生さんですか?」と声を掛けられたのでえらいびっくらこいた。 織方さんでした。こんな偶然ってあるもんなんですねー。ガラスケースに張り付くようにして資料よんでたから恥ずかしかったの何の。でも織方さんはその時、展示2順目だったそうなので、恥ずかしい度は五十歩百歩だと思(以下略) 衆院名簿では、4番目に藤田茂吉を発見。尾崎犬養島田早苗その他、名前と人物が一致する人は全部で16人ばかりでした(案外少ない…)(私が知らないだけですが)。 貴族院名簿は、何か「部」に分かれてて「部長」「理事」「部員」に各メンバーがグループ分けされてるんだけど、何となく「部員・山田顕義」という響きに織方さんと2人笑う。だってほら、何か想像つきません?何部なのか知らないけど!(笑) あ、あと、鳥尾小弥太が貴族院議員だって知りませんでした…。 そして織方さんの素晴らしい指摘に爆笑した。ガタの国葬の写真が3葉ほど展示されてるんですが、左下の写真の左端のほうに、葬列の方を向きながらしゃがんでる人が1人いたんですね。したら織方さんてば、「見た瞬間に、石投げる直前なんだと思いました」ですって。(でも言われてみるとそう見えてくる…)(ガタだしな!)(笑)
葛生さん的に外せないはずの大隈は、あんまり心惹かれる資料はありませんでした。唯一、大日本帝国憲法発布の時の史料(今回の展示とは関係ないかも?)の、大隈の署名がすごく下手クソで、いかにも筆をプルプルさせて書いた、というかんじだったのは大収穫だった。携帯の待ち受けにしたいくらい可愛かった。写真撮影禁止なのが痛かったですよ…。(ああもう本気で撮りたかった、何はなくともコレだけは! ←…。)
そんなわけで、無料展示で2時間半消費。史料がね、清書してあるものかタイプ・製本済みのものなので、読めるんですよ。普通に。これが凄く嬉しかった。音声ガイドもありましたが、使わず自分で読んでました。 名簿類が中心なので、何も知らないで見るとスルーしてしまう部分も、当時の人物模様とか事件とかの裏事情的知識が多少あれば自分で勝手に掘り下げていけて、そういう意味では奥深い展示でした。(たとえば鉄道開通のところで大久保と木戸が乗ったことを思い出すとか、大隈内閣名簿の文相尾崎ってところで「共和演説事件」を思い出すとか) でもやっぱり史料はいいですね。彼らが実際にその時代を生きていたんだなあという、息吹みたいなのが伝わってくる。彼らの尽力の上に今の自分の生活がある。歴史の楽しいところはそこだなーとつくづく思います。 展示は26日まで、無料です。お時間とご興味がおありの方は、是非。
見学の後は、嬉しい偶然の織方さんを拉致って1時間ほどお茶をば。…こないだ拉致ったばかりなんですけど、話は尽きないものです。右仲さんラヴっぷりを堪能しました。有難うございました☆
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