| 2006年08月05日(土) |
今週末には復活できる予定だったんだけどな。 |
先週末は土曜出勤とF1が重なって余裕がなく、火曜の朝〜木曜まで旅行の予定があったにもかかわらず仕事や家庭の事情で準備ができてなかったので、月曜の夜は支度と現地の情報収集に忙しく、強行軍の旅程に帰宅後はひたすら眠気と戦いつつ金曜日出勤して、今日は猛暑とガチンコ勝負でした。(長い) それでも、ここ数週間のトンネル(主に家庭・一部仕事)に出口が見えたので、今週末からは勇んで更新準備にかかろう、と意欲だけはあったのですが。 や、その。 旅先のホテルに富士太郎 (くどいようだがネタ帳PDA) をうっかり置き去りにしてきてしまい。(…) ――最近ドタバタしてたから、PCじゃなくて専ら富士太郎でネタ作ってたんだよねえ。 幸い、ホテル→駅の間に「むむ?」と疑惑を持つことができたので、ゆっくりチェックアウトの同行の相方がまだホテルに残ってまして、携帯で捜索願いと保護をお願いしました。迷子は月曜日には拙宅に帰ってくる予定です。(すまんKちゃん) いやさ、始発に乗らなきゃならなかったもんで焦ってたのよ。油断大敵。(ちょっと違う)
旅行は、新潟・長岡2泊2.3日(笑)でした。「長岡大花火大会で三尺玉を鑑賞」というのがメインイベントでしたので、2日目は午後2時半過ぎから炎天下の信濃川河川敷でレッツ我慢大会〜!(死) でもその甲斐あって、とても素敵な夜でしたよvv 迫力満点だったし。 何せ、10ヶ所同時打ち上げとかいう荒業をやってのけるのですよ…。おまけに打ち上げ場所と観覧席が東京じゃありえないくらい近い。どのくらい近いかというと、光と音の間隔が殆ど無い! 十号玉すら、頭上で弾ける感覚。よって写真もビデオも、近すぎてちゃんと撮れないという罠…!(苦笑) にしても本当に、凄いという表現がぴったりなほど、綺麗でした。

さて、私的にはこの旅行にはもう1つ目的がありまして、勿論それは北越戦争でございました。長岡には、旧長岡城の天守閣を象った郷土史料館があるんですよ。(元々の天守閣は現在の長岡駅のところにあったので、元の場所に復元するというのは不可能だったんでしょうね) 小さな史料館なので、限られた展示品を盛り沢山でお届け、といった印象でした。が、無造作に山本帯刀の刀が置いてあったり、鉄砲の弾がめり込んだ木片があったり、河井継之助の扇や直筆手紙があったり、ガトリング砲の原寸大復元模型があったりと、興奮せざるをえない一時でした。 あと、明治好きとしては、戊辰戦後の復興のあたりも見逃せない、ということで食い入るように見ていたら、広瀬武夫の直筆ハガキとか発見しましたよ。さらに山本五十六はうちの亡くなった爺さまとちと縁があったりしますもので、そこでも釘付け。日本史にはあんまり興味のない(たぶん)相方はすっかり飽きて、ソファでお茶飲んで寛いでました…。(本っ当にすまん;;) 昼頃に現地到着した1日目は、新潟市内観光をば。明治2年建築の旧新潟税関庁舎を見たり、歴史博物館で新潟の町の成り立ちを知ったり、水族館でイルカとトドとラッコとイワトビペンギンを見たりしました。
で、問題は、旅行前々夜から私の睡眠時間が5時間を切っていたという事実でしょうか…。新潟には相方と共通の古い友人がいるので、着いた日の夜は明け方3時まで大宴会状態。翌日(花火の夜)も、酒こそ入れなかったものの、深夜2時過ぎまでお喋り大会。日曜から数えて4日間の合計睡眠時間が、14時間半という……。 普段、一日最低6時間は寝たい人間なんですが、わたくし。 そんなわけで未だに眠気と非常に仲良くさせていただいております。い、幾ら寝ても寝足りない感覚が…。あな恐ろしや…!(←莫迦)
メッセージの返信が滞っておりますが、明日あたりには必ずや。
|