みみずのたはごと

2006年05月06日(土)  旧蹟探訪は楽し。

3日、仕事終わってから待ち合わせまでに少し時間があったので、職場から虎ノ門まで歩いて、噂の「工部大学校後@工事中」を確認してきました。
工部大学があった現・霞ヶ関3丁目南地区は、現在再開発中ですが、Sのさん情報によると、再開発計画の第一に「工部大学校碑の撤去」があったらしく…(T T)
国交省の初期計画書には、「移転・公開」となってるんですが、「どこで」とは書いてない…。でも、計画の骨子に「地区の歴史の継承」ってあるんだから、どこかに紹介コーナー作ったって罰は当たらないと思うんだが!←力説(笑)
江戸時代の外堀の石垣なぞも残っているらしく、再開発後は民間に解放した広場を作って歴史的遺構を紹介するというので、そこに「工部大学校碑」と一緒に圭介の気球エピソードでも紹介してくれたらいいのになあ!(たぶん無理)(ていうか気球は工学寮だよね。場所同じだけど。)

ちなみに、私の今の職場は愛宕山の西側の麓近くですが、いわゆる「愛宕下」と呼ばれたのは愛宕山より東(海)側、つまり現在の新橋方面に当たります。圭介が釈放後に住んだのはそっち側。
そっちのほうへも歩いて行けないことはないので、仕事上がりに旧居探訪をしてもよいのですが、ただ場所がよく解らん。
『大鳥圭介伝』には「芝愛宕下の仙台屋敷の前の方にあった家老屋敷」とあるんですがね、コレ、「仙台藩江戸家老の屋敷」と解釈してよいのか、そしてそれは「仙台屋敷の敷地内」にあったのか「外」だったのか、切絵図眺めながらウンウン唸ってますことですよ。
ここでいう仙台屋敷というのは、切絵図を確認するに仙台藩中屋敷のことに違いなく(仙台藩主=松平陸奥守)、今の住所で言えば「新橋6丁目」の警視庁新橋庁舎の北側あたりになります。で、その「前」ってのが、東西南北どっちを指してるのやら…。やっぱり「愛宕下大名小路」側かなあ。っていうと今、芝郵便局がある向かい辺りかしら。でもこの辺は大小の大名屋敷が並んでるから、その場合、やっぱり家老屋敷は仙台藩邸の敷地内ってことになるよな…。(東側でないことだけは確かです。なぜなら仙台藩中屋敷の東側は町人地だから)

…どうせ答えのないパズルなんですけど、こーやって悩むのはけっこう楽しいです。


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葛生冴 [MAIL] [HOMEPAGE]