みみずのたはごと

2005年12月27日(火)  スルー。

継之助ドラマを見ましたが、綺麗さっぱりスルーでしたね>山縣
榎峠が出てきた時は、よっしゃ次は朝日山!と思ったんですけど…。立見も時山もどうやら画面の裏側で活躍していたようです(笑)
佐川さんが莫迦でおかしかった一方、岩村高俊は思ったよりちゃんとした子に描かれてました。『河井継之助伝』を読んだのかなーという会談風景だった。いや私も綱淵謙譲経由でしか知りませんけど、『継之助伝』。『戊辰落日』の継之助は文句なしに恰好いいです。惚れる。八丁沖も泣かせるし。
2時間枠の悲しさで、豪華キャストが涙する凄まじい端折り具合に、うちの母君が容赦なく駄目出ししておりました。曰く、「この人を描くなら大河じゃないと!」
……この人は古文の教師だった人なんですが、守備範囲が意外に広いのでちょっと怖いです。や、圭介がかすりもしてないのは明白ですけども。

●メッセージ返信
 遅く遅く遅くなりました…(土下座) 
12/17 0:41 伝習隊メモのK様
 自己満足コンテンツへの有難いお言葉、感謝です! なのにお返事がこんなに遅くなってしまってスミマセン…。文久の改革の時点では、まだ旧来の身分制度を覆せず、指揮官は格上の者から選ばざるを得なかったようです。もう一つの基準として、多少なりと西洋砲術を知っている者という条件もついていたようで、こっちの基準は後に圭介の登用に繋がりそうですね。しかし身分と西洋知識だけで選んだ「士官」は実質的な士官の要素をまるで満たしていなかったため、実地訓練を行って本物の士官を養成しよう、としたのがフランス伝習隊だった、といったところみたいです。ここいらへんも、ぼちぼち整理していこうと思っています。もう少し待っててくださいませvv /日記タイトルは、昔図書館の仕事をしていた時分に何処かで目にして、たまたま頭の片隅に残っていただけです。特に関連要素はありません。葛生の知性なんてその程度です…。
12/17 22:19 & 12/26 22:20 圭介を案じて下さるH様
 あああああゴメンナサイ…! 放置プレイ中にまたもお言葉投下くださいましてもうそちらに足を向けては眠れませ(その科白前にも言った。) 足の具合は如何でいらっしゃいますでしょうか? /正月ドラマはどうなるんでしょうねー。日記で騒ぐほどには現実には気にしていないかもしれない葛生です。たぶんね、『南柯紀行』読んでキャラ作ってるんだと思いますよ。だから結果の圭介がどんなに情けなくても、それは単に圭介の掌の上で弄ばれているだけなんです。くくく、ざまーみろ。(←だんだん可哀相な人になってきてる) /しかしウィキ企画、提案しておきながら自分はその暇が取れなそうな展開になってまいりました。せっかく葛生なんかの体調をお気に留めて下さったというのに、早速寝込んでましたよこの連休。寝込みながら銀☆伝読んでた(…)。 /いやいやこちらこそまた来年もしつこく遊んでやって下さいまし! そして土方(中略)疑問視説、大いに語らいましょう!
12/20 1:47 チョンマゲにショックのI様
 お返事が遅くなりまし(以下略…)。そう、チョンマゲは吃驚でした。伝習隊に限らず、幕府の洋式部隊は実務上の問題から、早期に散切りにしていたはずで、散切り+洋装で町を歩いて攘夷派に狙われた、なんてエピソードもあったはずなんですが…。ただ大鳥の場合、箱館時代の写真が残ってないので、絶対に散切りだった、とも言えないのかもしれません。でも実践第一!の圭介が切らなかったってのも違和感強いんですよねー。うおお出て来い箱館証拠写真…! /鳥飯、読んでくださって有難うございます。欲望の赴くままに気分次第で書き散らかしているので、さぞかし読み難いかと存じます。言葉足らずで意味不明な箇所やおかしな記述などありましたらご遠慮なく指摘してくださいませ。書 き 足 し ま す ☆(やる気満々)


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葛生冴 [MAIL] [HOMEPAGE]