夢の中へ
管理人は2TOPファンですので
時々あぶない方向に行くことがありますが
笑ってゆるして〜




2004年01月04日(日) 涙そうそう  母の事

おととし、平成14年6月7日
母が突然亡くなった
交通事故によるほぼ即死だった

とても元気な母だった
前日カラオケの発表会でステージに立ち
当日午前中家の中を片付けて
午後一番でゲートボールに行き
夕方踊りの練習に向かう途中の事故だった

その日の母の様子はほとんど覚えてない
前日帰りが遅かった母はゆっくり起きてきて
私は朝8時には仕事に行かなければならなかったので
寝起きのぼおーとしたパジャマ姿の後姿しか覚えてない
会話も  多分 「行ってきます」
ぐらいしかなかったと思う

私が仕事から帰ると

「お汁粉できてます
おもち3個あり」

とのメモがおいてあり
母のお汁粉が大好きだった私は喜んで食べ
そして友達の家に遊びに出かけた
母はそのときゲートボールをしていた

私は友達の家でPCをしていた
そのときなぜか私の周りで血のにおいを感じた
なぜだろうと思っていた

そのときまだ母はゲートボールをしていたはずである

夕方私は友達と家に戻り2階でPCをしていた
その間に母は家に戻り
その年、一生分の親孝行と言って買ってあげた
マッサージ機にかかって、その後歩いてバス停に行った

私は2階でPCをやりながらまた血の匂いを感じていた
なんだかわからないけど
私の周りで血の匂いがした

しばらくして友達が帰ったあと父に呼ばれ
母が事故にあったと言われた

病院に駆けつけた
とにかく状態を知りたかった
病院にいっても集中治療室に入ったままで状態がわからなかった

付き添っていた警察官の人に
家族へ連絡を取ったほうがいいと言われた

姉、夫、母の妹に連絡をした

病院を転移することになった
救急車に誰か乗るように言われ
耳の遠くなった父を乗せるわけに行かず
私が乗り込んだ

母に
「norikoがそばにいるからね」

声をかけたけど「意識不明の状態です」と言われた

足の先が毛布から出ていた
触ってみた
冷たかった
手で暖めた

病院の先生に状態を説明された
数時間おきに説明された
そのたびにすこしずつ私たちは
もう母はだめかもしれないとあきらめていった
事故から6時間後
母は亡くなった
意識は戻ることはなかった

病院からそのまま夜中警察に行き
家に帰ったのは午前3時だった
居間のテーブルには

「お汁粉できてます
おもち3個あり」

の母のメモが残されていた
私は父の目に触れないように片付けた

お風呂に入ろうとした
脱衣所には母が脱いだ服が置かれていた

次の日、朝6時半に駅に主人を送った後
私は母が亡くなったバス停に向かった

もしかしたら母の魂が
まだバス停でバスを待っているかもしれない

と思ったからだ

私は母に話しかけた

「そこで待っててもママの乗るバスは来ないよ
 一緒に家に帰ろう」

と。

翌日から親戚、母の友達、近所の人々がひっきりなしに訪れた
葬儀の準備に追われた

気丈な父はしっかりしていてくれた
でもすべて私に頼るようになった

私達は興奮状態にいた
夢中だった
やることがたくさんあった
時として笑うこともあった

みんなの方を見て笑った後振り向いて
洗濯を干し始め
目の前に人がいなくなると
突然涙が溢れた

一人でお茶碗を洗っていると涙が溢れた

犬の散歩の時も涙が出てきた

涙が止まることはあるのだろうかと不安になった

夫に

突然泣いても気にしないで
意思と関係なく涙が出てくるだけだから

と告げた

遺体がある間にワールドカップ、日本戦があった
第一戦は母と一緒に見た
私がそのとき母に言った言葉は

「一緒に見てもいいけど静かに見てね」

だった
テレビ見ながら見当違いの応援をする母がうざかったからだ

第2戦は隣の部屋で遺体でいた
なんであんな事言っちゃったんだろうと私は後悔していた

サッカー小僧だった夫と毎回夢中になって見ていたワールドカップ
その年のワールドカップは見るたびに
生前母に言ってしまった言葉を思い出した

一番辛かったのは葬儀で母の遺体に花を添える時だった
それまで遺体でも、体が冷たくてもまだそこにあった肉体と
お別れしなければいけないからだ
遺体でもいいからそこにいてほしかった
私は花を手向けながら遺体にすがり付いて泣いた

「行かないで」
「連れていかないで」

と泣き叫んだ

その後も葬儀、手続きに追われる日々だった
だんだん泣く回数も減ってきた

母を亡くしてから一年半たった

私の着替える部屋には仏壇があるので毎日母を思い出さない日はないけれど
今、仏壇で手を添えて祈ることは

「ママ、お父さんを守ってね」

の言葉
何かあると母に祈るけど
何もない日は
やっぱり寂しそうな「お父さんを守ってね」の言葉

母は拓哉のヒーローが好きだった
いつも一緒にテレビを、
録画したビデオを
再放送も見ていた
ヒーローを思い出すと母と見ていた事を思い出す

拓哉が「僕好きですよ」で借りてきた「涙そうそう」を聞いた

「晴れの日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
 思い出遠くあせても
 さみしくて 悲しくて 君への想い 涙そうそう
 会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう」

久しぶりに母を思って泣いた

金スマの森山良子さんが亡くなった兄を思って書いたという詩だと聞き
私も心の中の思いを吐き出そうと思った

SMAP LIFEではないけれど
ここに載せる事を許してください






あとがき

これを書き上げて心が軽くなった気がします
私にはやはり 涙そうそう
は似合わない

I Was Born To Love You

と歌いながら生きて行きたい

Yes I was born to love you
Born to love you
Born to love you
Every single day of my life

と両手を広げて高らかに歌いたい

Youは複数形
どれだけの人を愛せるか
愛した人の数だけ幸せになれる気がしませんか?


ご感想をどうぞ。
あたたかい お言葉なんぞくれると凄くうれしかったりします(≧∇≦)ъ
苦情は やめてね(ウルウル)
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noriko