ひよ子の日記
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2005年03月29日(火) うつろな男の死読了

100頁くらいまで散々文句を言っていたのが嘘のように後半は読書の波に乗れた。あれだけ気になっていた登場人物、地名に比喩の片仮名もまるで気にならず、登場人物のキャラクターに愛着を持ち読むことができた。アマデウスの劇中に何かが起こることは端から予測していたけれども、劇中の慌ただしさに客席と演出家の反応にちょっとしたトラブルが相俟って想像以上に迫力のある場面が創りあげられており、それに夢中になっていた。舞台の魅力が読書の波に乗せてくれたのかもしれない。

滑稽なまでに偉大さを強調する演出家のハロルドが途中から可愛くて可愛くて仕方がなかった。なんという純真さだろうと思ったのだが、果たしてこの可愛さはやはり或る意味で確かに純真無垢さの象徴でもあった。

それからティムとエイブリーのゲイカップルも魅力的に描かれていた。(私のたとえはいつも古いな)Xファイルでは毎回モルダーとスカリーの間にある男と女の愛情以上の愛情を感じるのだが、物理的な距離が縮まらず世界中の人々を焦らしていた。手すら握らない、キスなんてもってのほかだった故に二人が少しでも近付くと、そこにものすごい愛情を感じ取ることができたのだ。登場人物がキスを何度もしてれば、そのうちキスに高ぶる愛情を感じ難くなる。本の挨拶程度にしか見えなくなる。普段触れあうことのない二人だからこそ初めてのキスシーンで、ただのキスでこれほどまでに深い愛情を表現できるのだと圧倒されたのだ。それと同じような感覚を愛らしいティムとエイブリーにも感じ、物理的な接触場面など一つもなかったのに滲み出る想いが伝わってきたのだ。

さらにディアドリと父親の関係には胸を裂かれる様な痛みを感じた。父親の病気を言葉にして認めることを避けている彼女の前に、目を逸らすことの出来ない現実が突き付けられる場面が印象的で、夜の静けさが不安を増大させた。この病院でのシーンは、父親の病気を言葉にすることさえ出来なかった、言葉にすることで父親の病気が現実のものとなってしまうことを恐れているかのような、逆をかえせば「言葉にさえしなければ父親の病気は存在しないのだ」と思っている段階のディアドリには、残酷なまでに暴力的な真実を言葉よりも前に、目の前にある現実として突き付けてしまったのである。それでもどんなに残酷であっても、そのおかげでようやく彼女は現実と向き合うことができたのだ。

ほかにももちろん魅力的な人物ばかりで、目にとまる文章も多くあった。ミステリとしても楽しめる要素、例えば最後までミスリーディングするような展開や、思いもよらないことなど。ひとつだけ読み落としたのか分からないことがある。それはニコラスが見たものはなんだったのか。

細切れにして読むべき物語ではなく、はじめから一度に読むべきであったなと思った。


ひよ子

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