綿霧岩
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2019年02月15日(金) 今を生きることついて

あのですね、
私ね、
ハッピーちゃんが喋ってたのを見て、はっと気付いたのですね。
何かっていうとね、
ユーチューブで昔ハッピーちゃんが言ってたのを最近見てね、
それは、こうなったらいいな、あんなことしたいな、っていう願望が浮かんだら、普通人は、じゃあ、どうやって? どうやってその状況になるのか?という思考になる。
だけど、エネルギー状態を見たら、あれしたい、こうなったらいいな〜!と思ってる時は、パラレルワールドではすでにその状況が実現していて、そのエネルギーを感じているのに、その、「どうやって?」という思考が出た瞬間に、お金がないからできない、才能がないから、何々がないから、無理だ・・・という思考が入ってきて、エネルギーは叶わない状態になってしまう。
だから、願望というのは、これしたい、ああなったらいいな!と思ったところで置いておいて、後は、何をやってもやらなくてもいいから、瞬間瞬間自分がボルテックスにいれば、自然に叶ってしまうのだよ、というお話でした。
とにかく、これしたい!の後に出てくる、「どうやって?」はまじでいらない、それよりも、願望のフックだけかけて、そのためにあれしてこれして・・・と思考で決めて動くよりも、後は日々感覚に従って生きるのみ、その方が、最初に思った以上の所に行ける、ということでした。
これ、文章で読むより、ユーチューブとかの動画見る方が、ずっと腑に落ちやすいので、詳しく知りたい方は見てください。

で、私がそのとき思い出したのは、他でもない、演技のことだったのです。
私はある時から、自分の演技を事前に細かく決めて、ここで動いて、この時はこの方向を見て、とか、このセリフはここでこんな風に言う、とかを決めて、毎回全く同じように演技するのが、本当に、無いな、と思うようになりました。
無いな、というのは私が、つまらないな、と思ったということです。
それでも、演出家にここでこうしてほしい、という指示は当たり前にあるわけで、そこの葛藤がありました。
で、ある時、私が自由に演技するのを割と許してくれていた演出家さんに、「ここはどうしてもこうしてほしい」という指示をされました。
それを言われたとき、私はそこでそうするためには、その前のお芝居の段階から、それを想定していないとそうならないんじゃないか、と思い、そうすることがとても嫌でした。
でも、やっぱり演出家の言うことは絶対なので、一応「はい」と首を縦に振りました。
それでも、私はそこをそうするために、それ以前の、自由に動いていた部分を、計算した動きに変えて不自由になることがどうしても嫌でした。
ていうか、そんなことはできない。
と思いました。
なので、私は、結局どうしたかというと、
演出家に指示された部分は、そこはそうしよう、と自分の中でただ決め、しかしそうなるための筋道は決めずに、本番が始まったら、やっぱり自分を自由に、その時その時を感じて生きることに徹したのです。
そしたらね。
指示された所は、勝手にその通りになったのです。
それがどんな風に形として現れるのかは、自分でもわからないままやっていて、そのこと自体も忘れてるくらいだったのに、なんか、意図はその通りになったのです。

これじゃん、ハッピーちゃんの言ってる願望実現て、こういうことじゃん!
私、お芝居で、前からやってたんだ、実人生では全然逆に考えて計算ばかりしていてそれで苦しいことばっかりで文句ばっかり言ってたなあ、
へんてこだなあ私って。
と思いました。
まあ、それも私のたどる道、と今は納得していますけど、だから、ハッピーちゃんの言ってる方法って、本当にそうなるって、私は演技の世界で体験してたんだなあ、て気付いたよ、というお話です。
気付きって、快感です。
ヤッホー!


カタギリミワコ |MAIL