虚ろなる備忘録

3:理不尽な世界; 5:訪れるかな平穏; 7:すべてが虚ろになる;

2023年04月28日(金) 約1年ぶりの日記。

快挙。

 闘病して22年目の春を迎えてもうすぐGWといった今日。21年間と違ったことがあるので書いておこうと思う。

 この冬は冬眠しなかった。生活リズムを正し、6時半には起きて21時には寝るというのを去年の10月から習慣化させたら、冬季うつで毎年冬眠生活、18時間睡眠当たり前で家のこと一切できないみたいなことが今年はなかった……!!
 眠剤を18時に飲むようにして、旦那が帰ってきて20時くらいになってご飯を一緒に食べて、そうするといい感じで眠くなる。昼寝は一切しない(というかできない。薬を飲まないと眠れないのは相変わらず)。うつ状態は悪化はしていないけど良くもなっていなくて、日中できることは限られてるのだけど、晩御飯作りとかお弁当作りとか、自分の身の回りのことをきちんとするとか(そう言えば、長年シャワーだけで済ませてたのを去年の3月から湯船に浸かるようになった)、諸々それなりにこなせるようになってきて、それをいかに継続させるかが今の課題。

 労働能力は未だにない。それだけが残念でならない。高校生の時病気が発症したけれど、将来はキャリアを築こうとか労働に対する意欲があった。なのに、病気が邪魔をして一時は生活保護のお世話にもなり、結婚してもどんなにお金がなくても働くことができない。
 最近もお金がなくて困ったなぁ、という事案があった。そんな時僕が働けていたら……と痛烈に思う。もうこの年で雇ってくれるところなんてないよ……。なんのキャリアもないもの。

 まぁ、それでもなんとかなっているので周りに感謝しつつ、今までにない良い状態で生活できていることは喜ばなきゃ。やっと、やっと!冬眠せずに冬を越せた。良いコンディションを保ちつつ安定した精神状態で生活できている。ボーダーライン的要素もほぼ皆無。何度か書いているけど、あとはうつだけ。薬も大分減らせて、つい先日3錠、眠剤と安定剤を切ってもらってきて11錠くらいで済むようになった。でもまだ二桁飲んでいる。これが一桁になれたらなぁ。しかも、ヒルナミン3錠だけは外せないので、一番はヒルナミンを切れるようになれば超幸いなのだが、不眠は子供のころから強くあって、ヒルナミンを飲まないとどんだけ疲れていようと眠れない。ただ、ヒルナミンさえ飲めば他の眠剤はいらなくなってきたから、日中の活動量をもっと増やして自然な疲労度が増せばなんとか1錠くらいは減らせるかもしれない……。
 極度の不安とかもないし、心配してることの9割は起こらない、起こってもなんとかなると思って過ごしている。

 突然のサヨナラがあった。旦那が20年乗ったCivic Type-Rとお別れをした。4月24日に中古車を見に行って、今度は家計に優しい軽自動車に乗ろうということでホンダのN Boxを買うことにした。旦那は債務整理を過去に行っているからブラックの履歴があと3年は残ることが判明して、銀行ローンとかは一切通らない。ディーラーローンもカーリースも通らなかった。ただ、なんとか現金を工面して一括購入ができた。そのおかげで今月大ピンチですけど。Civicは24日その日にドラレコ移設のためお預かり〜とのことで突然のお別れになった。ラストランは前住んでた地区の役所に行くというなんの雰囲気もへったくれもないラストランをちょっとだけして車屋さんに預けた。交渉で3万浮いたのも書いておこう。
 Civicはハイオク車で燃費がめたんこ悪い上に最近は故障ばかりしてバイパス上で突然エンジンストップしてしまうとかもあって、もう無理買い変えなきゃ、旦那に任せてられない!となって僕が旦那に車の買い替えを提案して24日になんとか買うことができた。それまで長かったなぁ。毎日旦那の帰宅時に故障のリスクに怯えてた約半年間、でも先立つものがないしローンも組めないんじゃないかという不安と戦いつつ、母に援助してもらって(感謝!)車を買い替えることができた。今度買い替える時はもっと余裕を持って買い替えたいな。ローンも組めるようになってるといいな。頭金の用意とかも考えておかなきゃ。N Box高いねぇ。それでも85万で買えた。85万自分たちで払えないってそれどうよ……。情けない……。ただ、旦那は真面目に仕事してくれてて今の会社に移って4年で課長にまでなってくれて、やっぱり二馬力じゃないのが痛いよなぁ、僕のせいだよなぁってのがほんとに引け目。それでも文句を言わず夫婦をやってくれる夫と、ようやく健全化された母との関係性で援助してもらえて、とりあえずの難をしのげて良かった。助けてもらってばかりで申し訳ないけれど、ありがたい。人間関係、大切にしなきゃね。




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 これから財政が楽になる……w
 自動車税とかタイヤの交換とか車検とか諸々安くなるから嬉しみ……。
 納車日は5月中旬。それまでは代車のFITに乗っている。FITも中々悪くない。旦那はスポーツ仕様の車が大好きだけど、その気持ちも15年乗せてもらったからわかるけど(走る車は乗っていて楽しい!)、これからは家計に優しいN Boxちゃんを愛でてあげようね。僕は車の情報に疎いから知らなかったんだけど、N Boxって日本で一番売れてる車なんだってね。軽自動車ならなんでも良いじゃん!って僕は思ってたけど、試乗してみたら旦那がN BoxかTantoに拘ってた理由がわかった。空間がめっちゃ広い!その分高いんだけどさ、空間の狭い軽自動車を毎日運転したり遠くまで通院したら発狂するって言ってた。お金がないから選べる身分でもなかったわけだけど、その中でも掘り出し物に出会えてラッキーだったね。希望車種、希望色、車検付きじゃなかった分の費用が予定より10万くらい飛び出たけど、ある意味保障された車に乗れるので初期投資はかかっても結果良かったんじゃないかな。中古車だと車検通らねぇっていう車に出会う率高いみたいだし。

 昨日、FITで通院片道1時間半の旅してきたけど、悪くなかった。レカロのシートとは違ってちょっと背中が痛くなったけど許容範囲内。N Box納車されたら、軽自動車だけどドライブしたいな。最近ドライブも全然してないね。N Boxは天井が高くて広々としていた。トランクが絶望的に狭いのが難点だけど、その代わり後部座席使わないわが家としては関係ないね。後部はスライドドアだし荷物を乗せたりも楽ちん。納車楽しみだな。

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 ふと、考え事をしていたんだけど、一時期すごく病名に固執していたことがあって、理解されない苦しみに喘ぎ嘆き、理解してくれない人を憎しんだり。でも今は毎日が少しでも過ごしやすく楽しく生きられていれば、理解されない苦しみを嘆くより、現実の幸せを噛みしめる方が余程QOLも上がると。だってどんな病名がついていようがいなかろうが、どんな自分でも自分は自分でしかないんだもの。自分は自分にしかなれないんだもの。未だに理解してくれない親や兄弟を恨んだところで一文の得にもならない。ただ最低限旦那や友達が知っていてくれて、かつ普通に人間として人権を与えていてくれて、病名を振りかざさないとアイデンティティが保たれないみたいなことにはなっていなくて、ならばそれを喜び毎日楽しかったこと嬉しかったこと、特にそういうのがなくても無事過ごせたことに目を向けて生きる方が余程有意義なのだと。
 性差のことで大々的に議論されている今だけど、ある程度の障害やハンデを持って生まれた以上、それを絶対に誰にでも理解してもらえないと生きていけないかというとそうでもない。でも、昔はそうは思えなかったんだよなぁ。病気が自分のアイデンティティの一部だったし(なんなら今でもそうだけど)、病気の自分を受け入れてもらいたくて仕方なかった時代が確かにあったけれど、得たものは特になく。受け入れてくれる人は自ら言わなくても受け入れてくれたし、それが旦那だったり今残っている友達だったりするわけで、その人たちは病気の僕と付き合ってる感覚はなくて、ただのうさぎと付き合ってくれてるだけで。病気の話なんて一切しないし、そういう人たちに恵まれたんだからありがたいなぁって思う今なのである。障害があろうとなかろうと僕は僕。そこにあまり大差はない。時々調子悪くなるよね、程度の認識でおkで済んで助かってる。障害的なものじゃなくても、何かしら皆が皆に事情があったりするように、それと同じレベルなんだなぁとふと思って、Twitterアカウントの名前の横に@うつ病とか書いてたのを取り消した。
 本当の障害名は誰にも言えないし言わない。どちらかというと忌避されるものだから。でもクローズでもなんの問題もないよ。やっとQOLが上がって安定して生活できるようになって精神的に落ち着いてきたら病名の理解なんてどうでもよくなった。今がそれなりに楽しんでいれればそれでいいのだ。昔は今が良くなかったから、傷病名に拘って周りも自分のことも見失って全て病気のせいにして逃げていただけ。昔は深くリストカットしても痛みを感じない程自分のことが見えていなかったけれど、今はそんな怖いこともうできない。する必要性もないし。本当は昔だってする必要性はなかったんだけど、若い頃はそういうパフォーマンスをしないと親の関心を引けなかったりして(しても引けなかったのだけれど。だから意味がないと言ってるのだ)、そういう横暴な手段に出るしかなかったんだろうなぁ。他のことで自分を満たすことができればそんなことしなくてよかった筈だけれど、それもできなかったんだね。
 今は足ることを知って、裕福ではないけれど毎日ご飯が食べれてお医者さんにも行けて、専業主婦叩きが酷いけど好きで専業主婦やってるわけじゃないからお許しを頂き生活できて、この上ない幸せなのだ。最早誰も病気とか意識してないレベルまで来てる。若干11錠の薬を飲む夜だけは薬を飲み疲れたなと思うけど、誰もが何かしら薬は必要としているのと同じ。特別なことは今も昔も何もないのだ。恥ずかしながら、特別でありたかったんだろうね、自分。
 そういうことを考えなくて済む環境にいられて感謝だなぁ。繋がりは沢山じゃないけれど、ごく少数仲間がいてただのうさぎとして扱ってくれる人たちに囲まれていて。そのナチュラルさが心地よい。

 旦那と友達よ、これからもうさぎを宜しくね。


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