植木屋さんの介護日記

2007年05月08日(火) おひさしぶり

 生きておりました。生きておいででした?

 いい加減で済みません、と何回お詫びすればいいのか。
 しかし、あやまるのは難しいことではない。でしょう。安倍くん。

 母親は、倒れて以後まる3年を過ごしながら、体重が3キロほど増え、髪の毛が黒くなってきて、わたしの酒量が減ってきました。なによりです。か?
 しかし、地域の介護環境は一向に展開力がなく、母親のような在宅重度の仲間はいません。さびしい。仲間がいないということは、「かわいそう」と言われ続けることで、それは地域そのものがかわいそうなことなのです。

 一方で、この春わたしが関わった「知的ハンディ」を負わされた子が地元の公立高校に入学しました。負わされたという言い方に違和感をおもちの方もおいででしょうが、「ハンディ」はあくまでも周囲が負わせるもので、本人の問題ではないので、こう言い切らせてもらっています。
 教育基本法が、あれよあれよという間に「改正」されて、健康増進法が「健康」を国民の義務にしたって、個別闘争は負けられません。むこうが大風呂敷でくるなら、こっちは重箱の隅をつつきつづけちゃる。憲法9条「改正」は、あくまでも天皇制廃止とバーターでしか認めません。やりたい放題というのは、世間では御法度です。



2006年02月08日(水) 愛の堅さ・柔らかさ

 いやあー、半年以上もご無沙汰していたとは、自分のいい加減さに恐れ入りまする。立派、立派。とはいえ、ごめんなさい。

 去年の夏くらいまでは、「アドソルビン」という整腸剤を常用していた母親ですが、めっきり胃腸の調子も良くなり、かえって便秘に苦しむようになりました。今度は下剤の坐薬のお世話に・・・。
 医師不足のため、従来の「訪問診療」ができなくなり、いまは2ヶ月に一度の「外来診療」を受けることとなりましたが、主治医いわく「脳疾患になる要因が全く見当たらない」
 そりゃそうでしょ。いい加減な倅と暮らして、大好き過ぎた連れ合いはあの世へ行って、こんな太平楽な余生はないのですから・・・。人を好きになり過ぎてはいけません。身を滅ぼす。これが真実です。

 そんなこんなで年もあらたまり、あけましておめでとう。

 正月以来、寒いのと面倒臭いのとで、わたしはほとんど仕事に出ていない。
うっとうしいのは、母親との距離が縮まったせいで、「甘え」が強くなったこと。仕方なく仕事をします。
 先日は、夜中に「大グソ」に見舞われた。マットレスに浸みるような「軟便」だった。けど、母親も以前のようにされるがままではなく、自分の判断であらぬところに力を入れたり、突っ張ったり。わたしもだらだら生活が続いたせいか、腰痛に苦しんでいたときで、思わず命令口調で「身体の力をぬけ」とやってしまった。
 そんなこと言うたかて、クソが軟便だっただけの話で、堅かろうが柔らかかろうが、「出た」ことはおめでたいことにちがいはない。余裕をなくして、距離感を失ったのは、ほかでもないわたしだけなのだ。あやまるよ、ほんと。

 そんなこんなをふくめて、愛の堅さ・柔らかさ。である。



2005年06月20日(月) 一周年と5曲

 なんというか、母親の退院から日々たたかいの日常を経て(?)一年が経ちました。残るヒトは残って、去るヒトは去って、それなりに納得のいく一年ですな。また、自分の「愛・あい(?)・・・」について問われ続けた一年でもあり、そんなバカなはなしもまあいいではないか、という時間でした。
 で、5曲ね。
 1.アフリカン・マーケット・プレイス(ダラー・ブランド)
 2.マイ・フェーバリット・シングス(ジョン・コルトレーン)
 3.レ・ブレル・イン・Aマイナー(オールマン・ブラザース・バンド)
 4.白いカイト(マイ・リトル・ラヴァー)
 5.ムルムーリオ(イブラヒム・フェレール)
 おしくも6番目は、イ・ジョンミの「京成線」でした。



2005年04月26日(火) やりきれない

 母親の自宅帰還から、まだ10ヶ月も経っていないのに、退院以来のヘルパーが全員やめてしまった。わたしがいぢわるだからではない。と、思う。
事業所を辞職してしまったのだ。昨年の一人目の時から、それとなく個々のヘルパーさんとは、事業所の就労条件などについて話を聞いてきたのだが、もう限界だ。
 わたしの母親には言葉がないのだが、余所にはもっと生きづらい高齢者だっているだろう。彼ら・彼女らにとっては、家族以外の馴染みの第三者が、絶対必要だ。事業所が提供する「サービス」が均質かどうかなどということは、基本的な問題ではない。基本は相対の信頼関係だ。
 事業所の就労条件がくびきとなって、この信頼関係が突如として「ゼロ」になる。辞めていくヘルパーが、母親の枕元でいっしょに泣いている。

 おとといの晩、町の福祉課の職員と酒を飲んで、行政として「ヘルパー懇談会」とか「互助会」とか立ち上げられないのか、しつこくお願い(強要?)した。が、契約関係にある「要介護者(利用者)」と事業所との間の問題に、簡単には介入できない、の一点張りだった。そんなこたあ分かっている。だからこそ、事業所ごとに孤立化させられているヘルパーの、オープンな連携が必要なのだ。このことは、ケア・マネージャーも同様だ。
「措置から契約へ」などという美辞麗句のもとで、じわじわと進行しているのは、「利用者」自身が知らず知らずのうちに、あてがいぶちの「サービス」を「選ばされている」という関係だ。案の定、わたしのところの契約事業所でも、通所施設の新規開業へ向けて、若くて安上がりなヘルパーの獲得に動いている。町が何もしないなら、労働基準局へいくぞう。



2005年03月01日(火) 排便と排尿のちがい

 わたしの母親は、昨年春の3ヶ月の入院中、2度、導尿の中止に失敗した。
 したがって、現在もバルーンカテーテル装着の状態のままである。
 われわれ「健常?」なものは、わりあい排尿に関しては我慢できたりするけれど、彼女の場合、カテーテルを取り外してしまうと、自力で小便ができない。
 退院前に、看護士さんから「膀胱洗浄」をみっちり教えてもらい、ヒトの膀胱というものが、いかに清潔な臓器であるのか、ということを思い知った。
いまでも、毎日の排尿量と尿の状態を観察することが、わたしの大事な日課で、こと彼女の尿に関しては詳しい。尿の色だけで、だいたいその日の体調の想像がつくようになった。

 これと異なり、大便に関しては、彼女自身きわめて明瞭に「排泄」のアピールをする。ことによったら、「オマル」での排便もできるんじゃないか、と思い、来るべきその日のために、足腰だけは衰弱させない努力はしなければならない、などと、私らしからぬ「努力目標」を設定したりもする。

 「人間は管だ」というはなしもあるが、膀胱を圧迫する筋力や腸の蠕動を促すメカニズムが、どんな具合に脳神経と接合しているのだろうか、と、便所に座りながら考えることがある。中学校で教わった限りでは、内臓の運動は不随意に行われ、腹筋その他の随意筋とは異なる、だったと思うが、生まれてこのかた培われた「社会的な生き方」が、彼女の排尿困難を帰結してしまったのだろうか。脳だけで生きていない「けだもの」としての疑問である。


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