冬晴れの一日。気温も16℃まで上がり随分と暖かくなる。
陽だまりで寝転ぶ猫の気持ちがよく分かるような気がした。
年の瀬が近づいているせいかこのところお遍路さんの姿を見かけない。
以前に職業遍路のMさんに聞いたのだが
大晦日にはお寺の宿坊に泊まることが多いのだそうだ。
せめて暖かい布団で眠らせてやりたいと思う。
雨の日も風の日も野宿である。嘆くことは一切しないが
何とも憐れに思えてならない。
そんなMさんに会えなくなってもう数年が経った。
何処かに居を構え落ち着いて暮らしていることを願う。
いつも「おかあさん」と呼んでくれた人をどうして忘れられようか。

工場は相変わらずの忙しさで同僚は大型車と格闘していた。
義父も気忙しさで田んぼへ行くのを諦めたらしく
一日中待機してくれていて心強かった。
例の焼酎はそっと居室の上り口に置いていたのだが
「どうした?」と不思議に思ったらしい。
挙句には「飲んだら良いじゃないか」と優しく云うのである。
しかし私はもう持ち帰ることをしない。
その方が丸く納まるような気がしたのだった。
今日も支払いのお客さんが来てくれて嬉しくてならない。
立替金が多くやっと報われたように思う。
立て替える時にはどんなにか苦しかったことだろう。
資金は日に日に潤って行くが年末こそが勝負である。
何としても清々しく新年を迎えたいと思う。
定時で仕事を終え整形外科へと向かった。
駐車場に車を停めて歩いていたら側溝の継ぎ目に杖が挟まる。
もう少しで転倒するところで危機一髪だった。
U君に話したらとにかく足元に気を付けること。
急いで歩こうとしないことだとアドバイスしてくれた。
リハビリは夢のように気持ちよく腰や背中まで揉み解して貰う。
今日は診察もあったが医師との雑談も楽しかった。
看護師さんが予約表を出してくれたがもう2月分でびっくりである。
瞬く間に過ぎだったこの一年を振り返られずにはいられない。
4時半に帰宅。買い物は昨日のうちに済ませてあった。
娘は退院する娘婿を迎えに行っていてもう帰宅していたが
「どう?」と訊いてもそっけなく「別に変わりない」と応える。
素人考えだが注射治療をすると痛みが薄れるのかと思っていた。
いったい何のための入院だったのだろう。
考え過ぎかもしれないが娘はその話を避けている様に感じる。
そうなればもう何も訊いてはならない。
私には関係ないことだと思うしかないのだろう。
決して踏み込んではならない娘達の「暮らし」がある。
夜になっても冷え込むこともなく随分と過ごし易い。
月は新月が近いのではないだろうか。
川仕事を辞めてから大潮の時期が分からなくなった。
あれ程「潮」を気に掛けていたのが嘘のようである。
「失った」のかもしれないが「新しく」なったのかもしれない。
苦労ばかりの川仕事であったがそれなりに充実していた。
私達夫婦の歴史にも区切りのようなものがあったのだろう。
そうしてひたすら死に向かいながら生きよう生きようとしている。
※以下今朝の詩
鉛筆
芯が短くなれば削ればいい えんぴつのようなじんせい
ぽきっと音をさせて 折れてしまう時もある かなしみは些細なこと 折れてしまえばもう 捨てるしかないだろう
削れば削るほど短くなる 過ぎ去った日々は遠くなり まるであかしのように在る
いったい何を描こうとするのか 出来ることがきっとあるだろう 芯さえあればそれは叶うのだ
ころころと転がりながら 生きることを夢見ている
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