砂漠の図書室
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2001年05月20日(日) 『木を植えた男』


木々が裸になって、本来のフォルムの美しさに気づかされる季節となった。
この本はアニメーション化されたものを書店で見かけたことがあったけれど、原作をきちんと読むのはこれが初めて。
先日、友人のサイトで書評を見てからとても読みたくなって、図書館で借りてきたのだった。

物語は、主人公の「わたし」が、ある荒れた不毛の土地を訪れるところから始まる。
そこは「冬も夏も気候はきびしく、家々はきゅうくつそうに軒を接して、人びとはいがみあい、角つきあわせて暮らしていた。かれらの願いはただ一つ、なんとかしてその地をぬけだすことだった」。

そして、一人の羊飼いと出会う。
「三年まえからこの荒れ地に、かれは木を植えつづけているのだという」
「名をエルゼアール・ブフィエといって、かつては平地に農場を持って、家族といっしょに暮らしていた。ところがとつぜん、一人息子を失い、まもなく奥さんもあとを追った。そこで世間から身をひいて、まったくの孤独な世界にこもり、羊と犬とを伴侶にしながら、ゆっくり歩む人生にささやかな喜びを見いだした。でも、ただのんびりとすごすより、なにかためになる仕事をしたい。木のない土地は死んだも同然。せめてよき伴侶を持たせなければ、と思いたったのが、不毛の土地に生命の息吹をよみがえらせること」

翌日「わたし」はこの地を去り、やがて第一次世界大戦が始まって戦場に行く。
一方、羊飼いは世の中が戦争のさなかにあっても、この地でただ黙々と木を植えつづける。
二度の世界大戦が終わって、「わたし」が再びこの地を訪れて目にしたのは、広大な森と、とうとうと流れる小川、牧草の緑、だれもが住みたくなるような美しい村の風景だった・・・。


この本を読んで思い出した言葉がひとつ。
「世界が今日も滅びないのは、砂漠で一人の修道者が祈っているから」というもの。

木を植えるということと、砂漠で祈るということ、このふたつはよく似ていると思う。
どちらも世間から身をひいて、孤独のうちに、淡々と自分のすべきことをしつづける・・・。それは一見、あまりにも非力で、世界と何のかかわりも持たない思い込みだけの行為のように映る。
けれどもほんとうの目で見てみれば、きっとどちらも深い深いレベルで世界とかかわり、辛抱づよくはたらきかけ、変革していく行為。

木を植えるとは、言ってみれば、祈ることと言えるかもしれない。
祈りとは、木を植えることなのかもしれない−−目には見えない木を。

どちらも、荒れはてた世界にいのちの水をそそぎ、うるおしていく行為であり、
それは、人間がこの地上でなしえることの中で、もっとも美しいものであるにちがいない。
「行為」であるとともにひとつの「姿勢」でもある。
すなわち、「to do」でもあり、「to be」でもある。


木を植える人になりたいと思う。

私はこの世界に対して、直接的にできる事があまりにも少ない人間で、時々そのことに気落ちしてしまうけれども、そんな自分にも残されているつながり方がそこにあるようだから。

いつか、目に見えない祈りの樹が広大な森となって、世界中を覆いつくす・・・そんな光景を目の当たりにする日を私は夢見る。


木を植えた男 / ジャン・ジオノ作 ; フレデリック・バック画 ; 寺岡襄訳
あすなろ書房 1992.11


2002.5.10 記


2001年05月15日(火) R.G. ニコルの言葉


沈黙は、貧しい人のことばです。

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孤独というふるいにかけると、
ほんとうに必要なものだけが残る。

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少しのあいだ
立ち止まってください。

毎日、神のまなざしのもとに、
つつましく
とどまって。


『いのちのきらめき』より
R.G.ニコル文 女子パウロ会 1994年刊


2001年05月05日(土) 三位一体のエリザベットの言葉


あなたの心の奥底に沈黙が深まり、
やがてはそれが
聖三位のうちに広がるしじまのこだまとなりますように。


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いつも祈ってください。


私が祈りと言うのは
義務のように唱える祈りのことではありません。


祈りは神に向かって心をあげること、
この飛翔そのものです。


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「あなたの力は沈黙のうちにこそある」(イザヤ 30-15)

主のためにその力を保つとは
内的沈黙によって自分のうちなるものを単一に保つことであり、
そのすべての能力をただ一つ、
愛の修行にのみ集中することです。


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『いのちの泉へ』 三位一体のエリザベット
伊従信子編・訳
ドン・ボスコ社 1984.11



2001年05月02日(水) 『いのちの泉へ』 三位一体のエリザベット

いのちの泉へ / 三位一体のエリザベット[著] ; 伊従信子編訳
東京 : ドン・ボスコ社 , 1984.11

この小さな本は、1年以上にわたって私の「通勤の友」でした。
朝の通勤電車の中で、また駅のホームで電車を待っている間に、短い1パラグラフを読んでは、現実のあれこれを超えた、魂の慰めを得ていました。

初めて三位一体のエリザベットのことを知ったのは、やはり高橋たか子さんの本によってでした。
その後、カルメル会のある神父様から「あなたには三位一体のエリザベットの本が合うかもしれない」と言われて、いつか読んでみようと思いつつ、時がたっていきました。
キリスト教書店で、ときおりこの本を目にはしていても、いつもほかに優先して買いたい本があって、なかなか手にすることはありませんでした。

そうしたある日、とある祈りの集いで、この本にも載っている、エリザベットの次の言葉が朗読されました。

「私は地上に天国を見つけました。天国とは神のことで、神は私のうちに住んでおられます。このことを悟ってから、私にはすべてがはっきりしました。それで、私の愛する人々にこの秘密を知らせたいと思います。
すでに神とともにあるのですから、天国はこの地上ではじまっているのです」

天国はこの地上ではじまっている・・・その言葉が魂の底に、光のように射し込んできました。

その集いの会場でエリザベットの本を求めることができ、私は「今日がこの本を買う日だったのだ」と深く深く思い至ったものです。



2001年05月01日(火) ***** ここからは、「祈り」「沈黙」「孤独」について *****

ここからは、「祈り」「沈黙」「孤独」について書かれてある本をご紹介したいと思います。
(前月の「プスティニア」「砂漠」についても、もっと書きたいことはあるのですが・・まあそちらもぼちぼちと(笑))


2001年04月27日(金) ブランク

ブランク


2001年04月26日(木) 『光る砂漠』 2



今日、3月10日は矢沢宰君が天に召された日。
彼の絶筆となった詩をここに・・



『小道がみえる・・・・・・』


小道がみえる
白い橋もみえる
みんな
思い出の風景だ
然し私がいない
私は何処へ行ったのだ?
そして私の愛は





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矢沢宰君について -- 『光る砂漠』の解説から

「矢沢宰君が十四歳の十月から詩を書きはじめて、二十一歳の三月十日の未明に、たとえようもなく清らかに強烈に燃えたその生命が最後の息を引きとるまでの七年間に書いた詩は、ゆうに五百編をこえている。

この若さで、これだけの質の高まりをみせた詩を五百編も書き残して死んでいった例は、おそらくこれまでになかった」


「ここに収めた五十四編の詩の半数以上が、矢沢宰十六歳の詩作である。
十七歳、矢沢は、ふつうより三年おくれて、病院附設の養護中学校へ通うところまで奇跡的に健康をもち直す」

「十八歳で、三年間のところを特別進級で二年間で養護中学校を卒えて、県立栃尾高校を受験、合格、五年間の病床生活に別れをつげて、自宅から通学するようになる」

「二十一歳の三月一日、心配された腎結核の再発で、少年時代を送った、もとの三条結核病院に再入院という最悪の結末を迎える」


「人間という動物は恐ろしい動物である、ということが現実になりかけているとき、彼の詩は、その詩の独特な『うつくしさ』(透明さ)『かなしさ』を通して『なつかしい』存在であることを教えてくれる」



矢沢宰 詩集『光る砂漠』
周郷博 編 ; 薗部澄 写真
童心社 1969.12 初版


2003.3.10 記


2001年04月25日(水) 『光る砂漠』


矢沢宰君・・・などと、ほんとうは君づけで呼んだりしてはいけないのだろう。
私よりもずっとずっと年上の方(1946年生まれ)であるし、
それよりまず、一面識もない方なのだから。


けれども「矢沢宰君」という言い方が、いまの私にはいちばんしっくりする。
なぜなら、彼は21歳の若さで亡くなってしまったから。
高校生のときに彼の詩と出会って、
いつしか彼の亡くなった歳を追い越して、
今はもう永遠に、ひとまわり以上も年下の青年になってしまったから。


『光る砂漠』という彼の詩集は、
たぶん、生まれて初めて書店に注文をして取り寄せてもらった本だと思う。
けれど、どうしてその詩集を買おうと思ったのかは覚えていない。
どこで出会ったのだろう。
彼のあの、うつくしい世界と。


たとえば、こんな詩が好きだった。


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「再会」


誰もいない
校庭をめぐって
松の下にきたら
秋がひっそりと立っていた


私は黙って手をのばし
秋も黙って手をのばし
まばたきもせずに見つめ合った


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先日、数年ぶりにこの詩集を手にとった。
あの頃好きだった詩は、今も好きだということに気づいた。


なぜ今も好きなのかを考えてみる。


彼のことばの使いかたに私がとても影響を受けたから・・?
もともと私の中にあった世界が、彼の詩と出会うことによって
引き出されてきたから・・?
同じものに対して、同じようにひかれる心を
生まれる前から持っていたから・・?


そのどれかであるような気もするし、
そのすべてであるようにも思える。


今日、この本を再読するまですっかり忘れていたことだけれど、
矢沢宰君についての紹介文に
「中原中也、八木重吉の詩の影響をもっとも受けた」
とある。
この二人は、私にとってもすごく大切な存在だった。
きっとこの解説の一文から興味をもって、これらの詩人の作品を読んでみたのだと思う。

今日まで忘れていたことをもうひとつ。
矢沢宰君の詩には時々、「かみさま」という言葉が登場していた。
「僕から」という詩には、「イエス様」という言葉もある。

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「僕から」


僕から
イエス様を
とり去れば
僕は灰になる
僕から
詩を
とり去れば
僕は灰になる

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解説にはどこにも、彼がキリスト者であったとは書かれていない。
でもこの詩を読めば、一目瞭然。


小学生の頃、私は毎日曜日に教会に通う生活をしていた。
けれども矢沢宰君と出会った頃は、すっかり無神論者になっていた。
だからこの詩にも、また、ほかの詩にある「かみさま」という言葉に対しても、
当時は何も感じていなかったと思う。
少なくとも意識の上では。


でも、彼を通してふたたび出会っていたのだ。
神から遠く離れて、
「いい大学」へ入ることだけを圧倒的に求められた高校生活の
閉塞した日々のさなかでも。


今日、初めてそのことがわかった。


人が一生かかわっていくテーマには二十歳までに出会っている、
という言葉を聞いたことがある。


「かみさま」
「光」
「砂漠」


どの言葉も、30代に入ってから
ひとつひとつ私の中でたいせつなテーマとなっていった。
すべて、すべて、
10代の頃に出会っていたのだった。


2003.3.9 記


2001年04月22日(日) 「砂漠の夕べの祈り」 長田弘

空が透きとおってきた。
風が凪いで、遠くから
日の光が透きとおってきた。
砂の色が透きとおってきた。
ひとの影が透きとおってきた。
悲しみが透きとおってきた。
何もかもが透きとおってきた。

昨日も明日もなかった。
まぶしい今しかなかった。
もうすぐ砂漠の一日は終わるのだろう。

何も隠すことができないのだ。
どんな秘密もいらないのだ。
面白さがすべてだ。
砂漠では、何もかもが
どこまでも透きとおってゆくだけだ。
世界とは、ひとがそこを横切ってゆく
透きとおったひろがりのことである。
ひとは結局、できることしかできない。
あなたはじぶんにできることをした。
あなたは祈った。


長田弘詩集 『死者の贈り物』みすず書房刊より


2001年04月20日(金) 砂漠について



誰でも、神にたどりつくまでには砂漠を横ぎっていかねばならない。
砂漠を通過せずに神のところへ行くことはできない。
砂漠の只中で、ふいに砂漠を越え出て、神に出会う。
砂漠とは、まさに、神に出会う場所なのである。


『霊的な出発』高橋たか子著
女子パウロ会 1985.1


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