夢の記述...マオ

 

 

死 - 2004年09月13日(月)

自分が死んでいる夢をみた。


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帰国後の夢 - 2004年08月28日(土)

18日に中国から帰って、数日間向こうの夢を見続けた。決していい夢ばかりではなかった。むしろ不快ないかにも疲労感が見せているという夢だった。
ただ帰国して一日目に、うたたねのような眠りにいた時、許さんのご両親と談笑している夢をみて、これはとても嬉しい夢だった。
後は、妙にわびしく心寂しく孤独な夢であった。一緒に行った人の何人かがかわるがわる出て、みんな一様に無表情で体温の感じない感じで私を圧迫するのである。
夏の終わに急に肌寒さを感じた日のような、そんな寂寥感漂う夢であった。



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連日の - 2004年08月01日(日)

一昨日の洪水のような夢に続けて、夕べも夢をみた。朝起きたときに、それを書いておこうと思ったのに、今はすっかり内容を忘れている。たしかやけににぎやかな
夢だったような・・・。


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洪水 - 2004年07月30日(金)

昨夜と言うか今朝方というか、夫の排泄の介助をした後熟睡までは入れずうとうとうとうととしていたのだが、その時夢が次々に洪水のように現われた。全部を覚えてはいないのだが、ひとつはっきりと鮮やかに残っているのは、中村錦之助(萬屋)さんの夢であった。錦之助さんは熟盛期の頃の姿で颯爽と美しかった。


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夫の涙 - 2004年04月25日(日)

今朝起きた時、(なんだかもやもやといっぱい夢を見た気がする。)と思った。
だが全部をはっきりとは思い出せない。ひとつだけ鮮やかに残っている夢があった。
私が、外目にも具合が悪いという状態になったのである。それも外で急にである。
すると、夫がお世話になっているグループホームの職員の一人の女性の方が、私の具合の悪いのを見て、病院に行くてはずをしようとあわただしくされる。
その時、夫が顔中を涙でいっぱいにしていたのである。職員の方が夫の涙に気づいて、「どうしたの、どうしたの」と心配して下さる。私は夢のなかで、(夫は私が
具合が悪いので心配のあまり泣いているのだ)と思っていた。
この後、私と夫は病院に行くのである。そこの病院の待合所は、薄暗く大きなこたつがおいてあって、濃い茶色と薄茶色のチェックの模様のこたつかけがかかって、
隅には横幅のあるテレビがあって、すぐわきには上等の茶箪笥と整理箱があった。
何か、祖母が生きていた頃の部屋の風景のような気がした。その後なんとなく目が
覚めてしまった。今夜もまたあの部屋に行きたい気分である。


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