心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2015年02月01日(日) 翻訳企画:AAの回復率(その7)

セクションe)も2回に分けます。

−−−−−−−−
e) AAの成功率・失敗率とその根拠についての評価

AAが形成された時期(1935~1939年)に、どれだけのAAメンバーが断酒し、あるいは飲酒に戻っていたか、その数を正確に明らかにできる者はいない。ではあるが、達成された成果について程良い象徴的な推測を行おうとする努力が(過去においても、また現在も)払われてきた。AAが手助けしようとしている問題の対象となる人数については、他にもいくつか見積もりがある。

National Institute on Alcohol Abuse and Alcoholism (NIAAA) の2008-2013戦略プラン 20 には「アルコール問題とその影響の趨勢」という資料が掲載されている。それによると、US Centers for Disease Control and Prevention (CDC)と世界保健機構(WHO)は、アメリカ国内および世界におけるアルコールの過剰使用の犠牲者と影響を受ける人々の人口について、ほぼ同一の結論に達したとある。

20. NIAAA戦略プランの詳細については、http://pubs.niaaa.nih.gov/publications/StrategicPlan/NIAAASTRATEGICPLAN.htm

・2003年のアメリカ国内において、アルコールは死因の第3位となっている(推定死亡数85,000人)。

・NIAAAのアルコール関連状況疫学調査(NESRAC)21 によれば、アルコールを乱用するかアルコール依存となっているアメリカ人成人は1991~1992年には1,380万人であったものが、2001~2002年には1,760万人へと増加している(つまり、18才以上の人口の8.5%、大人12人に1人)。

21. NESARCの詳細については http://niaaa.census.gov/

・2004年6月10日発表のNational Institutes for Health (NIH)のニュースリリースではNESARCの調査結果をこのように要約している。
 1991-1992年:アルコール乱用560万人、アルコール依存820万人、合計1,380万人。
 2001-2002年:アルコール乱用970万人、アルコール依存790万人、合計1,760万人。

・NIAAAでは「アルコール乱用」を、仕事、学校、または家庭における主な責務を果たすことに失敗すること、対人関係あるいは法的な問題、および/または危険な状態での飲酒によって特徴づけられる状態と定義している。これには不注意によるアルコール関連の不運な一回限りの出来事も含まれていることだろう。このカテゴリに含まれる人はアルコホーリクかもしれないし、そうでないかもしれない。しかしながら、アルコホリズム(問題飲酒)の下方スパイラルの始まり段階の人々もある程度含んでいることだろう。より明確な判別が成されなかったのは残念なことである。

・NIAAAは「アルコール依存」(これはアルコホリズムとも呼ばれる)を、飲酒のコントロールの減弱、強迫的な飲酒、飲酒への没頭、アルコールへの耐性の増加および/もしくは離脱症状、によって特徴づけられる状態と定義している。このカテゴリに含まれると推定される790万人は、AAが「本物の」あるいは「アクティブな」アルコホーリクなどと呼び、主要な対象としているものに近い。

・NIAAAは「アルコール使用障害」の人数を、2002年の時点で、970万人のアルコール乱用に790万人のアルコール依存を加えた1,760万人としている。

2002年には世界のAAメンバー数は約210万人 22。このメンバー数の数字は、AAの実質的な成功を示す数的指標だと見なされている。

22. 本論の末尾にあるAAメンバー数の表を参照のこと

・AAは7人のアクティブなアルコール依存の成人について1人を助けている。仮にアルコール乱用者を潜在的なメンバー候補だとすれば、15人の問題飲酒者に対して1人を助けている。

・これに相当する調査として、1991~1992年にNIAAAが行った"National Longitudinal Alcohol Epidemiologic Survey” (NLAES)が同様の数値を示した。アルコール依存症者7人に対してAAメンバー1人、12人のアルコール依存あるいは乱用者に対して1人のAAメンバーである。

本論でこれまでに引用したように、1960年のゼネラル・サービス評議会でビル・Wはこのように言及している。「けれど冷静に考えれば、私たちのソサエティが成し遂げたことは、アルコホリズムという問題全体に小さなひっかき傷をつけたに過ぎません。そのことを無視するわけにはいかないのです」。とはいうものの、AAは表面に小さなひっかき傷をつけただけでなく、その候補者の多くを助けている。

AAの成功についての主張を検証する:

AAの成功率を「50%+25%」とする主張は、1940年を最初に、その後おびただしい回数引用されてきた。そこから生まれてくる疑問は、他にも統計があったにも関わらず、なぜこの3つのカテゴリ(つまり、50%がすぐに酒をやめ、25%は飲んだが戻ってきて、25%が失敗)の値が70年以上にもわたって固定され変化を受けずに残ってきたのか、である。

この数字は事例的なものに基づいたもの(訳注:統計的でないという意味)だが、繰り返し引用されるうちに、決定的に正確だというイメージが与えられた。ではあるものの、推定に含める候補者の範囲と条件を考慮に入れれば、このAAの成功率の推定はまず妥当と言えよう。

AAの成功率(あるいは失敗率)を議論する上で、あまりにしばしば欠落しているのは、AAミーティングにやってきた、あるいはAAメンバーと接触した候補者のうち、ほんの一部だけがその先に進むことである。その人数は、世界に手を伸ばそうとするAAに難題を投げかけている。

AAの共同創始者であるビル・Wは、AAにやってきた人のうちAAに真剣に取り組むのは20%~40%だと推定されると過去に述べている。ビル・Wによる「50%+25%」の成功率は、このセグメント(部分集団)に限って適用したものである(その後もそうであった)。ビル・Wはこの重大な限定条件を、American Journal of Psychiatry(1949年11月)、ビッグブック第2版の序文(1955年)、そしてニューヨーク市アルコール医学会(1958年)で報告している。

AAに顔を出したけれどAAに取り組まなかったという60%から80%を含めて結果を計算することは非合理的である。それは何らかの医学的方法の有効性を測る際に、その医学的問題を抱えながらも医学的な手助けを求めない人たちまで含めてしまうのに等しいからだ。AAの回復プログラムについても同じことが言える。

AAのビッグブックの副題には「何千もの男女がアルコホリズムから回復した物語」とあるが、量に関して言えば、過去70年あまりの間に「何千人」の成功は、「何百万人」の成功へと手渡されていった。

−−−−−−−−
(続きます)


2015年01月30日(金) 翻訳企画:AAの回復率(その6)

セクションd)の後半部です。

−−−−−−−−
1949年11月−「アメリカ精神医学ジャーナル」での記事でビル・Wはこう書いている。

−−−−
私たちの元に留まって真剣に取り組んだアルコホーリクのうち(強調追加)50%はすぐに酒をやめて留まり続け、25%は何回かの後に酒をやめ、残りにも通常は改善が見られた。しかし、多くの問題飲酒者、おそらく5人中3人から4人が、短い接触の後にAAをやめていった(強調追加)。その中には精神病質やダメージが大きすぎる者たちもいた。ではあるが、大多数は強力な自己正当化を抱えており、それはやがて行き詰まる。実際のところ、その行き詰まりは最初の接触においてAAが「良い接触」と呼ぶものによってもたらされる。アルコールという業火に焼かれ、彼らはたいてい数年以内に私たちの元に戻ってくる。
−−−−

ビル・Wは、この成功率は、5人の候補者のうち1~2人の「私たちの元に留まって真剣に取り組んだアルコホーリク」というサブセット(部分集合)に対して当てはまるものだと限定条件を付けている。残りの候補者たち「5人のうち3~4人」(60-80%)は「短い接触の後にAAをやめていった」としている。

1955年7月−以下はビッグブック第2版の序文から抜粋である。

−−−−
AAに加わって真剣に努力して取り組んだ人の(強調追加)半数は、すぐに飲酒がやめられて、飲まない生活を続けることができた。何度か再飲酒をしたがやめられた人は二十五パーセント、残りの人もAAにつながっているかぎり、良いほうに変わり、いろいろな改善が見られた。ほんのちょっとAAミーティングに顔を出して、プログラムが気にくわないと決めつけて来なくなってしまった人は何千人もいたが、そのうちの約三分の二は、後になって戻ってきた。
−−−−

ビル・Wはこの序文を書き、「AAに加わって真剣に努力して取り組んだ人」と表現を再び使っている。(20周年を迎えた)1955年のAAに、どんな人がやってきて、どんな人が残り、どんな人が戻ってきたかを詳しく描写しているが、これは誰かによる推測であり、それも「最も良い推定」にすぎない。ではあるものの、何であれビッグブックに書かれたことは、しかもそれがビル・Wが書いたことであればなおのこと、多くのメンバーにとってそれは疑うことない真実、間違いを指摘することなど思いもよらないものとして受け止められたであろう。

1955年7月−ビッグブック第2版の物語の部分の序文にはこうある。

−−−−
1939年出版された本書の初版では、29人のアルコホーリクの体験が掲載されていた。この第2版では、膨大な数の読者に最大限自分も同じだと気づいてもらえるよう、上記のように体験のセクションを拡充することとした。当初の29人のその後の経過を見ると、その記録はこの上ない歓びである。そのうち22人は明らかにアルコホリズムから完全な回復を遂げている。私たちの知識と信頼のおよぶ限りでは、そのうちの15人は完全な断酒を続けてきており、その平均は17年におよぶ。15
−−−−
15. ビッグブック第2版、AA Publishing, Inc. 1955年。第3部「ほとんどすべてを失った人たち」の序文、ページ番号の振られていないp.167。

「AAのパイオニアたち」の部の序文では、こう述べられている。16

16. ビッグブック第2版、AA Publishing, Inc. 1955年。第1部「AAのパイオニアたち」の序文。ページ番号の振られていないp.169。

−−−−
AAの最初のグループのメンバーであったドクター・ボブと12人の男女が、彼らの経験を語ってくれる。そのうち3人は自然な原因によってすでにこの世を去ったが、彼らのすべてが完全なソブラエティを維持し、その期間は1955年の時点で15年から19年におよぶ。今日では、その他にも何百というAAメンバーが少なくとも15年間にわたって再発することなく過ごしている。彼らは、アルコホリズムからの解放が永続的たりうる証人である。
−−−−

ビッグブック初版に掲載された29編の物語のうち、22編が第2版に引き継がれなかった。この数字は、それらの物語はメンバーが飲酒に戻ってしまったから外されたのだ、という誤った伝説を生む原因となってきた。現実はその正反対である。22編の物語は、単にその時点(1955年)でのAAメンバー構成をより良く反映するために差し替えられたのだ。

・ビル・Wによるビッグブック第2版の物語の序文によると、ビッグブック初版に物語を掲載した29人の初期メンバーのうち、76%(29人中22人)がAA20周年(1955年)に断酒を続けていた。

・初期メンバー29人中7人(24%)は飲酒に戻ったが、後に再び断酒した。他の7人(24%)は飲酒に戻ったまま再び断酒することはなかった。

ここに表されたものが、「50%+25%」の成功率の主張を明確に支えるデータとして唯一のものである。その範囲は3つのグループ(アクロン、ニューヨーク、クリーブランド)に限定されており、そのサンプル数(29人)は1939年4月時点でのAAメンバー数推定100人の約30%となっている。

1958年4月−ビル・Wはニューヨーク州医学会でアルコホリズムについて講演を行った。17 その中で、AAの初期の歴史についてこう述べている。

17. ビルの1958年4月のスピーチはAAパンフレット(P-6) “Three Talks to Medical Societies” c AAWS, Inc. に収められている。

−−−−
私たちが次に必要としたのは広報でしたが、それには協力が得られました。1939年には著名な編集者でライターでもあったFulton OurslerがLiberty誌に記事を書いてくれました。翌年には、John D Rockefeller, Jr,がAAのために夕食会を開いてくれ、そのことは広く取り上げられました。その次の1941年には、Saturday Evening Postが特集記事を掲載してくれました。その記事によって何千もの新しい人たちがやってきました。私たちは数の上でも、有効性の点でも成長し、回復率は向上しました。

AAに真剣に取り組んだ人の(強調追加)かなりの割合はすぐに酒がやめられ、その他の人たちも最終的には酒をやめました。残りの人たちも、AAに留まっている限り、確かに改善が見られた。私たちの高い回復率はその後も保たれており、それは『アルコホーリクス・アノニマス』の初版に体験記を載せた人たちについても言えます。彼らの75%は最終的に断酒を成し遂げており、死あるいは狂気に至ったのは25%に過ぎません。現在も存命の人たちの断酒期間は平均して20年になります。

AAの初期から今まで、たいへん多くのアルコホーリクが私たちのところにやってきて、そして去って行きました――おそらく今日では5人中3人がそうでしょう(強調追加)。しかし幸いにも、彼らの大多数はやがて戻ってくることが分かりました。ひどく精神病質であったり、脳にダメージがなければですが。死をもたらしうる病気に取り憑かれていることを、他のアルコホーリクの口から一度聞かされると、その後の飲酒が彼らを行き詰まらせるのです。結局彼らはAAに戻って来ざるを得ません。そうするか、死ぬしかないのですから。これは時には最初の接触から何年か後になります。ですから、AAにおける最終的な回復率は、当初考えられたよりすっと高いのです。
−−−−

ビル・Wの1958年の講演では、50%という数字は「かなりの割合(a large percent)」で置き換えられている。ビルがまたAAにやってきて去って行った候補者について述べていることに着目して欲しい。75%の回復率は、ビッグブックの初版に体験記を載せたAAのパイオニアたちに限定されている。

ビルの説明の中で、さらに有用と思われるのは、「AAから今まで(1958年)、たいへん多くのアルコホーリクが私たちのところにやってきて、そして去って行きました――おそらく今日では5人中3人(つまり60%)がそうでしょう」と述べている部分だ。AAの歴史のこの時点では、ビル・Wが報告した成功率を確認するものも、論破するものもない。単に記録がないのである。

1960年4月−ゼネラル・サービス評議会での発表で、ビル・Wはこう述べている。

−−−−
私たちの未来に何が待っているのでしょうか? それは危機かも知れません。否定的に考えれば、どうやって私たち自身を危機に備えて強くできるでしょうか? 肯定的に考えるのなら、どうやったら、私たちの周りにあふれる酔っ払いともっとコミュニケーションできるでしょうか? 私たち自身良くやったと言ってきましたし、これまでの成功を喜んできました。けれど冷静に考えれば、私たちのソサエティが成し遂げたことは、アルコホリズムという問題全体に小さなひっかき傷をつけたに過ぎません。そのことを無視するわけにはいかないのです。・・・私は思い起こします。・・・AAがあったこの時代、この25年間、世界のアルコホーリクが行列をして私たちの前を通り過ぎ、断崖から落ちていったのです。世界的に見れば、そのような人たちがおよそ2千5百万人いるでしょう。過去25年の間に、絶望と、病いと、不幸と、死の流れの中から、私たちが救い出せたのは100人に1人にすぎません。
−−−−

ビル・Wによるこの声明は、2千5百万人がAAにやってきて、そのうち100人に1人しか残らなかったという意味だとしばしば誤解された。華麗な言葉を注意深く読んでみれば、アルコホーリクの行列が「私たちの前を通り過ぎた」と述べられている。彼は「私たちの中を通り過ぎていった」とは述べてはいない。これはアルコホリズムという「世界的な」問題について、アルコホーリクス・アノニマスがアメリカ・カナダ以外ではほとんど知られておらず、またアメリカ国内でも「どこにでもある」という状態からほど遠かったそれまでの25年間についてである。

AAが成功していないと悲観的に見ているわけではない。そうではなく、これはアルコホーリクに手を伸ばせるようにAAが可能な限りどこにでも広がっていく挑戦である。ビル・WはAAがより多くのアルコホーリクに手を伸ばすことを予見し、その可能性からすればAAがこれまで小さな一部しか達成してこなかったと述べている。彼はこれまでの成果は良かったからこそ、より多くの場所で提供される必要があると考えていたのである。

この文脈の中から「100人に1人」だけを抜き出して、それを1%の成功率と呼ぶこともできる。そうではなく、これは奇跡と説明される。25年前にオハイオ州アクロンで二人の男が酒をやめた。その方法が世界中のアルコホーリクの1%を助けたのである。1960年後半、“AA Today”18 という本の中でビル・Wはより曖昧でないかたちでこう述べている。「残りの人たちには、依然として手が届いていません。なぜなら彼らはアルコホーリクス・アノニマスを知らず、また文字通り、彼らの住む場所にAAが届いていないからです。世界中の何百万人ものアルコホーリクが彼ら自身で「AAのことを聞きつけて行ってみる」ことができずにいます」。

18. “AA Today”はAA25周年を祝う1960年の国際コンベンションの記念品。

−−−−
これまでの25年の間に、世界中で2,500万人の男女がアルコホリズムに苦しんでいたのは確かなことです。そのほとんどすべてが、今も病み、狂い、また死んでいることでしょう。

AAはこれまでおよそ25万人に回復をもたらしました。残りの人にはまだ手が届いていないか、すでに届かないところに行ってしまいました。次の世代の酔っぱらいたちが今も大量に誕生しています。この問題の大きさに直面して、いったい私たちの誰が満足して座って、こう言えるでしょう。「皆さん、私たちはここにいます。あなたたちが私たちのことを聞いてやって来ることを願っています。そうすれば手助けしてあげられますよ」

もちろん、私たちはそんなことはしません。私たちは広くさらに広く開拓し、考えられるありとあらゆる手段と経路を使って私たちの仲間に手を伸ばそうとしています。・・・奉仕(サービス)するという伝統を受け継ぐ者として、私たちの何人がこう言ったでしょう。「ジョージが12番目のステップに取り組んでいる。彼は他の酔っ払いに関わるのが好きなのだ。だが私は忙しい」 きっと、そんなことを言った人は多くはないはずです。そんな独りよがりになれるはずがありません。

おそらく私たちの次なる未来に待っている大きな責任はこれでしょう。私はアルコールの問題全体を、アルコホリズムのぞっとする結果に苦しんでいる人たち全員のことを考えています。その数は天文学的です。
−−−−

ビル・Wはさらにこう述べている。「アルコホリズムが最優先の健康問題であるという事実への認識が広まるにつれ、公共の、国の、また個人のレベルでも、あらゆるところで取り組みが起きてくるでしょう」。彼はAAメンバーが政府機関に対して持つ怨嗟や疑念をたしなめ、AAの友人たちとのさらなる協力が必要だと説いている。

−−−−
外部の機関とより友好的に、より広範囲に協力することで、そうしなければ取り逃がしてしまう数多くのアルコホーリクに私たちの手が届くようになるのではありませんか? 私たちは愚かしくも成功を台無しにしているのではないでしょうか。おそらく、途方もない可能性を秘めたコミュニケーションを自ら妨げているのでしょう。

ですから、これについて新しい見方をしてみましょう。

考えてみれば、どのような見方をしたところで、私たちは成長から遠く離れていることにほとんどの皆さんが同意してくれるでしょう。私たちの使命は、個人としても、共同体としても、12のステップを継続的に使って正しく成長していくことです。
−−−−

1968年−最初のAAメンバー調査のパンフレットがAAWS/GSOから配付された(『アルコホーリクス・アノニマス調査―11,355人のAAメンバーが彼ら自身について答えた』と題されていた)19 。その7ページから引用する。

19. このメンバー調査は1968年の6月・7月に行われ、466のAAグループの11,355人のAAメンバーが参加した。

−−−−
とはいえ、このような調査票に回答することで、AAメンバーは幅広く抽出されたサンプルと、自分の経験を比較することができるようになった。これは1968年の夏の間に北アメリカのミーティングに出席した1万人以上のAAメンバーを調査した結果である。

これまで一般的にすべてのメンバーが手にすることができた調査・比較の基準としては、この共同体の初期に作られた大ざっぱな推定が唯一のものだった。その推定値は意外に正確であり、真剣にAAに参加した者(強調追加)の50%はすぐにあるいは最初の数週間以内に酒をやめ、さらに25%が最終的には酒をやめ、残りの25%は酒をやめられないひとつ以上の原因があるように見受けられた、というものだった。

この他にも何年間にもわたった調査があった。その中のひとつ、テキサスではあるひとつのグループのメンバーの経過が追跡された。また、ニューヨーク市やイングランドではより入念な調査が行われたこともある。

これらの調査の結果は50-25-25の推定を補強する傾向があり、AAが異なった場所で、またたいへん多くの人たちにとって、長い期間効果を現してきたことを示す励まされるものであった。ではあるが、これらの初期の調査には欠点もあった。例えば、標本数が少なすぎるか、地理的に限られた地域から得られていた。ある場合においては、標本はランダム抽出ではなくあらかじめ選ばれたものであった。
−−−−

−−−−−−−−
(続きます)


2015年01月29日(木) 翻訳企画:AAの回復率(その5)

セクションd)では、初期のAAが75%の回復率を達成していたとされることについて、それが何を出典として引用され続けてきたのか明らかにしていきます。

−−−−−−−−
d) AAの50%+25%の「回復率」の情報源と引用の時系列

「合わせて75%の回復率」という見解がAAにおいてこれほどまで長く残ってきたのは、それが一貫性のある統計によって証明されたものだからではなく、むしろ伝承が繰り返されてきたことによる。それは極めて一貫性に乏しく、事実の確認が難しいデータや記録であって、AAの回復率について、正当性であれ無効性であれ、論じるためにふさわしいものではない。

AAの共同創始者ビル・Wによって確認され「50%+25%(合わせて75%)の回復率」を成し遂げたとされた標本は、ビッグブックの初版に個人の物語を掲載した初期メンバーたちである。6

6. ビッグブック第2版のページ番号の振られていないp.167~169に、個人の物語の紹介でビル・Wが記している。

それ以降、このパーセンテージの出典や妥当性について、何も説明や証明はされていない。以下では、回復率についての参照と引用が様々な文献で繰り返されていく様子を年代順に追い、またこの数字に影響を及ぼした要因について述べる。

1938年7月−記録に残る中で最も古い言及は、ビル・Wが、リチャード・C・カボット医師に宛てた手紙の中で引用されているものだ。ビル・Wはこう記している。

−−−−
これまで私たちは正確な統計情報を作成したことはありませんが(強調追加)、私たちはこれまですべてをあわせておよそ200の事例を扱い、そのおよそ半分が回復していると思われます。医師たちによれば、私たちはほぼ例外なく、一般的には絶望的だと見なされている範疇の問題飲酒者だそうです。7
−−−−
7. 1938年7月のビル・Wからリチャード・C・カボット医師への手紙。GSOアーカイブ ref: 1938-81, アルコホーリク財団, R 28, Bx 59.

1938年8月−当時のAAメンバー数は相対的に少なかったので、個々のメンバーの成功・失敗を追跡することが可能だった。アルコホーリクス財団理事会の最初の会合議事録によると 8、初期のニューヨークのメンバーハンク・Pが、フランク・アモスの求めに応じて共同体の中のアルコホーリクと(メンバー)候補者について一斉調査をした結果を報告した。それは二つのグループ(オハイオ州アクロンとニューヨーク)によるものだった。ハンク・Pの報告した数字は、

8. この議事録の日付は「1938年4月11日」と間違って記録されている。GSO アーカイブref: 1938-19, アルコホーリク財団, R 10, Bx 22.



94人のメンバーと候補者のうち、51人は「確実な」回復者であると見なされていることからすれば、回復率は55%となる。「確実な」51人のうち10人は「連絡がない」(これは断酒しているが、ミーティングに出席しないか他のメンバーと連絡を取らないことだと考えられる)。1938年に報告されたメンバー総数は、ビッグブックが1939年8月に出版されたときに表明されたメンバー数より4人少ない。

1940年2月−50%+25%の成功率について最初の公けの言及は、ニューヨークのユニオンリーグクラブで行われた歴史的なロックフェラーの夕食会でビルが行ったスピーチで、こう述べている。

−−−−
この本が出版された昨年4月の時点で、私たちはおよそ100人おり、その多くは西部にいました。私たちは正確な数字を持っていませんが(強調追加)、最近人数を数えたところ、このことが始まってから真剣に興味を持ってくれたすべての人の中で(強調追加)、そのおよそ半分がまったく再飲酒していません。25%は何らかのトラブルを抱えているか、あるいは過去に抱えていましたが、私たちは彼らが回復するだろうと判断しています。残りの25%については分かりません。
−−−−

「真剣に興味を持ってくれたすべての人の中で」という限定条件に注目して欲しい。これは、主張されている成功率が、AAにやってきた人すべてを対象としたものでないという重要な背景情報を提供してくれる。この情報はしばしば見落とされ、削除されてしまう。

これにより、誇張された非現実的な成功への期待を作り出しうる。またそれは、過去の結果の解釈を歪め、過去のAAが高いパーセンテージの成功率を成し遂げていたという誤った印象を作り出しかねない。実際に実現されていたのは推測したほどのパーセンテージではなかったのにも関わらずである。以下に示すように(この時系列では1949年)、ビル・Wが引用した成功率は、5人の候補者のうち1~2人(すなわち全候補者数のうち20~40%)に限って適用されるものであることを理解しておくことが重要だ。残りの候補者(5人のうち3~4人、60~80%)は、ビルによって「短い接触の後でAAをやめてしまった」と記述されたのである。

1941年3月−最初に全国的に出版された50%+25%の記述は、ジャック・アレキサンダーによる歴史的な「サタディ・イブニング・ポスト」紙の記事中に存在する。それによると、

−−−−
アルコホーリクス・アノニマスの人々は、精神病を患っておらず、酒をやめたいと心から願っている(強調追加)飲酒者には100%有効だと主張している。付け加えるに、このプログラムは「酒をやめたいと思いたい」だけの人や、家族や仕事を失うことを恐れて(酒を)やめたいだけの人には効果がない。彼らによると、効果的な願いとは、啓蒙された利己主義(self-interest)に基づくものでなければならず、候補者は監禁や早死にを避けるために酒から逃れたいと望まねばならない。コントロールできない酒飲みが、寒々とした社会的な孤独に嫌気が差すことで、メチャクチャになった人生に何かの秩序が導入されることを望むようにならねばならない。

境界線上の候補者をすべてきちんとふるい分けることは不可能なので、実効的な回復率は100%を下回る。AAの推計によれば、世話をしたアルコホーリクの50%はほぼただちに回復し、25%は1回か2回の再発を経験してから良くなり、残りは未だに確かでない。この成功率の高さは特筆に値する。従来からの医療的・宗教的治療についての統計はないが、非公式な推定によれば通常のケースについては2~3%を越えるものではない。9
−−−−
9. 「サタディ・イブニング・ポスト」1941年3月刊。AAから“Jack Alexander Article About AA” (P-12) として出版されている((C) AAWS, Inc.)。日本語訳は『BOX-916精選集第3巻』(X-07)に収録されている(pp.15-33)。

「AAの推計によれば」という限定詞に目を向けて欲しい。「AAの記録によれば」ではない。歴史的文書によれば、1941年当初のメンバー数は推定2,000人であったものが、1941年の終わりには推定8,000人にまで膨れあがった。10 「精神病を患っていない酒飲みには100%有効」という主張は明らかに誇張であるが、これには「酒をやめたいと心から願っている飲酒者であれば」と同様の限定が付けられているのである。

10. 『アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』p.53, 291, 468 および“Pass It On” p.266 いずれも(C) AAWS, Inc.

初期の一部のAAグループはメンバー数や、その断酒期間や、再飲酒の記録を取っていない。こうした限定的な記録に基づいて国や地域レベルの回復成功率を主張するのはふさわしいことではない。ではあるものの、1941年以降、この50%+25%の成功率の数式はAAのマントラ(神秘的な威力を持つ呪文)となり、その数字が変化することがなくなった。パーセンテージはしばしば文脈を外れて引用され、それがあたかもAAに遭遇したすべての候補者に当てはめられる数字であるかのように扱われた。もちろん当てはめられるものではない。これまで述べてきたように、またこれ以後にも示すように、このパーセンテージは候補者全体の一部にのみを対象とする限定がついているのである。

1944年1月−ジャック・アレキサンダーの記事から約3年後、ハリー・チーボー医師が「アメリカ精神医学ジャーナル」誌にて、1935年から1942年の回復率について、同様の、しかし明白な、主張を行った。11

11. 『アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』pp.467-468 (C) AAWS, Inc.参照

−−−−
この組織のニューヨーク事務所にある統計は、次のようになっている。
最初の年の終わりまでに5人が回復した。
2年目の終わりまでに15人が回復した。
3年目の終わりまでに40人が回復した。
4年目の終わりまでに100人が回復した。
5年目の終わりまでに400人が回復した。
6年目の終わりまでに2000人が回復した。
7年目の終わりまでに8000人が回復した。
アルコホーリクス・アノニマスは、彼らの方法に真剣にやってみる者(強調追加)の75%が回復すると主張している。
−−−−

「彼らの方法を真剣にやってみる者」という限定条件が加えられていることに注目して欲しい。75%の回復率は、候補者全体のサブセット(部分集合)に対して適用されたものである。

1944年5月−(文脈を考慮に入れれば)さらなる限定条件が、ニューヨーク州医学会での講演のリプリントに登場した。その中でビル・Wはこう語っている。

−−−−
アルコホーリクス・アノニマスはかつてアルコホーリクだった男女12,000人の形式ばらない共同体で、お互いに団結し、アメリカ・カナダの各地域で325のグループを作っています。各グループの大きさは半ダースから数百人です。一番古いメンバーは8年あるいは10年近く断酒を続けています。

心から酒をやめたいと思った人たち(強調追加)の50%はすぐにやめられました。25%は何度か再飲酒した後にやめ、残りのほとんどにも改善が見られました。私たちのメンバーのおそらく半数は、酒飲みになる以前は、普通の人と変わらない生活をしていました。残りの半分はおおむね神経症患者と見なされてきた人たちです。
−−−−

もう一度「心から酒をやめたいと思った人たち」という文脈を心にとめて欲しい。さらに別のところでも、専門的な出版物にAA情報を提供する中で同じ表現が登場している。

1947年6月−“Survey Midmonthly”誌に掲載された「問題飲酒者」というタイトルの記事でこう述べられている。

−−−−
タイム誌の2月号によると、AAは設立から13年で、国外のカナダ・ラテンアメリカを含めて1,200の支部を持ち、毎月千人の新しいメンバーを獲得している。メンバーからの献金で運営され、オフィスを持たず、会費もなく、大きな財源もない。メンバーは他のアルコホーリクを助けることを誓っているが、求められたときだけ手助けしている。無名性はこの組織の重要なルールであり、新しいメンバーを参加しやすくさせている。

タイム誌の報告するところでは、AAメンバーのおよそ50%は参加してすぐに酒をやめ、25%は1回か2回のスリップの後に成功した。これは、5パーセントを除くアルコホーリクは以前には回復は絶望的だと見なされていたのとは対照的である。13
−−−−
13. 後に再版されたものからは、回復率とメンバー数についての数字を含む段落は除かれている。

引用された成功率には限定条件が付いておらず、すべての候補者に適用できる数字であるかのように示されている。

1949年4月−“Survey”のこの号には以下のような抜粋が掲載されている: 14

14. 1949年4月 “Survey”「アルコホーリクの希望(Hope for the Alcoholic)」 Kathryn Close

−−−−
二人の常習的飲酒者がオハイオ州アクロンに種を撒いた。一人は医者、もう一人はブローカーだったが、どちらもアルコールの嗜癖によって経歴を台無しにされ、家庭も崩壊寸前だった。二人は聡明な人間として懸命に戦っていたが、飲まないでいる間に協力するようになるまで、成果を出すことはできなかった。だから彼らは、飲んだくれは別の飲んだくれを助けなければならないと決意した。そのアイデアがこんにちの有名なアルコホーリクス・アノニマスへと成長した。それからの年月、かつては大酒飲みだった二人は彼ら自身の継続的な断酒を達成するだけでなく、他の者たちも同じ目標を遂げるよう助けてきた。

現在では、彼らの始めた組織は、国内に2,400の支部と85,000人の会員を抱えている。メンバーはすべてアルコホーリクで、彼らにとって毒である物質を遠ざけるようにお互いに助け合い、懸命に戦っている。メンバーの多くはAAメンバーになって以来一滴も飲んでいない。他の者は時に再飲酒したが、彼らも組織に戻って戦いを続けてきた。以前のメンバーの中には、絶え間ない酔っ払いに戻ってしまった者もいる。しかし、アルコホーリクス・アノニマスのメンバーの75%は断酒を達成しており、この国のアルコホーリクのリハビリテーションの歴史の中で、最も幅広い成功を実現した試みであると広く認められている。

その人の断酒がもう何年にもわたって続いてきたものだとしても、今日断酒していた者が明日には酔っ払っているかもしれないのであるから、「成功」の統計は信頼できるものではない(強調追加)。ではあるものの、医師、科学者、ソーシャルワーカー、聖職者、公衆衛生の専門家、悩める家族、さらにアルコホーリクに関わらざるを得ない者たちが、AAの成功を驚きの目で見つめてきたのである」
−−−−

Surveyの記事が「「成功」の統計は信頼できるものではない」と述べているのに注目して欲しい。成功率の数字には限定条件が付けられていない。ではあるが、当時アルコホーリクについて注目に値する成功率を主張していたのはAAだけではない。1949年のSurveyの記事では、その著者がYale Plan Clinicsについてこうコメントしている。

−−−−
Yale Plan Clinicでは当初から診断が主要な関心事だった。しかしながらまもなく、他のコミュニティ・サービスで提供されていない治療を必要とするケースでは、診断のすぐ後に治療と指導が続かなければ、診断が意味を持たないことを経験が教えてくれた。クリニックは開設以来1,100人のアルコホーリクを引き受けてきたが、その60%は完全な断酒を達成するか、飲酒と飲酒の間隔が明らかに長くなっている。日常的にクリニックとアルコホーリクス・アノニマスとの間で相互に紹介が行われており、クリニックがAAから患者を引き受け、また逆に共同体プログラムから助けを得られそうな患者にはクリニックがAAを薦めている。多くの人がクリニックの患者でありつつ、活動的なAAメンバーとなっている。
−−−−

Surveyの記事は、AAの創始者が主張した印象的な成功率とほぼ同じことを述べている。

−−−−
Edward J McGoldrick Jr,は、ニューヨーク市福祉局が設置したアルコール治療所の責任者である。彼はアルコホーリクの治療者としては個性的で、アルコホリズムが疾病であるという理論を拒絶している。

Bridge Houseの治療者はすべてMcGoldrickの手法によってリハビリを受けたかつてのアルコホーリクである。この手法はアルコホーリクス・アノニマスの手順とは異なっているが、アルコホーリクとして「底をついた」人たちは他のアルコホーリクを効果的に手助けできる理論という彼の理論に基づいている。

McGoldrick氏は一般大衆に向けてアルコホリズムが病気であると呼ぶことに反対している。それはアルコホーリクに弱さと無力感を与え、飲み続ける口実を授けることになってしまう。また彼は強制された治療も、それが改心するのに必要な肯定的な意志の素材を無視しているがために役に立たたない、と反対している。Bridge Houseはたった20床であるが、入院・外来をあわせて年間350人のアルコホーリクを迎えている。McGoldrick氏による1年間の完全な断酒を基準とした成功率は66%となっている。これは良い数字だが、ニューヨーク市にはまだBridge Houseに着いていない20,000人ほどのアルコホーリクがおり、またどの都市であれ女性のアルコホーリクに影響を及ぼすには至っていない。ではあるものの、これは全国からの注目を受けているプロジェクトである。
−−−−

−−−−−−−−
(続きます)


2015年01月27日(火) 翻訳企画:AAの回復率(その4)

次のセクションでは、年月の経過とともに、AAメンバーの平均断酒期間が延びてきていること、それはつまり長く酒をやめている人の比率が増えていることを示します。


−−−−−−−−
c) 長期断酒者の増加

AAメンバーの断酒期間はどれほどだろうか?

その質問に答えるにはこの3年おきのメンバー調査が役に立つだろう。毎回の調査はその時点でのスナップショットを得る断面調査(cross-sectional study)であり、毎回無作為に選ばれたAAグループのミーティングに出席しているAAメンバーを一斉に調べたものである。

一連の調査を比較することで、AA共同体の構成の変化が明らかにできる。「長期的な」研究を行うために、個人を追跡調査する必要はない。毎回の調査はできるだけ同じ人数を対象にしているので、比較は十分な意味を持つ。

毎回の調査のパンフレットは、メンバーの断酒期間を0~1年、1~5年、5年以上に分けている。この表現を分かりやすくするために、グラフ2および表2では、0~1年、1年以上、5年以上に変えてある。これはグラフを読み取りやすく、理解しやすくするための処置である。

毎回の調査のパンフレットは、標本となったメンバーの平均断酒期間を報告している。ただしパンフレットに「4年以上」とあっても、グラフに書くにはもっと詳しい数字が必要だ。

断酒期間の長さの増加傾向は、グラフ2「長期断酒者の比率の増加」および、表2「長期断酒者の比率」のデータから読み取れる。

その次のグラフ3「長期断酒者の平均断酒期間の増加」の曲線と、表3「長期断酒者の平均断酒期間」は、統計の結果を「より的確」に表現するようにしている。

2004年の調査は、2001年の調査より断酒期間の長さが伸びていることを示している。これは1983年以降の調査において一貫した傾向である。

2004年の調査において、長期断酒として広く認められるであろうとしてそれまで使われてきた「5年以上」という分類が、「5~10年=14%」と「10年以上=36%」のふたつに分割された(合計で5年以上が50%)。

断酒期間の長さが漸進的に増加している様子がAAメンバー調査に反映されている:

−−−−
図2:長期断酒者の比率の増加
−−−−
注記:
・ 出版されたパンフレットに記載されたデータを使用しているが、いくつかのパンフレットからは数値の範囲しか得られなかった。
・ 範囲しか得られなかった場合には、曲線がなめらかになる数値を採用した。
・ 1977〜1983年の数値は、1977〜1989年の調査を分析した1990年の内部報告書から得た。
・ 1968年と1971年のパンフレットは、40%が1年未満で60%が1年以上としか述べていない。

Table

追加のデータとして、下のグラフ3および表3により、調査対象となった人たちの平均断酒期間の推移を示す。表のデータはミーティングに出席し続けている人たちだけを対象にしている。AAで酒をやめたものの、現在は他の手段で酒をやめており、AAミーティングに来ない人たちは調査に現れない、また断酒したまま亡くなった人も同様である。AAは個々のケースを追跡した記録を取らない。

AAミーティングへの数回の出席が、その人が断酒に関心を持ったことを意味するわけではない。この現実を心にとめておくことはたいへん重要である。同様に、AAミーティングに出席しないことが、再飲酒を意味するわけでもない。

グラフ3:長期断酒者の平均断酒期間の増加

注記:
・1977~1989年のデータは、1977~1989年の調査を分析した1990年の内部報告書による。
・1992~2007年は出版されたパンフレットのデータを利用している。
・パンフレットに「○年以上」と示されたデータはグラフの曲線をなめらかにする値に調整した。

表3:平均断酒期間の長期推移

−−−−

(続きます)


2015年01月26日(月) 翻訳企画:AAの回復率(その3)

次のセクションでは「AAに参加した人の1年後の回復率は5%である」という誤解の中身に切り込んでいきます。

−−−−−−−−

b) 最初の1年の保持率

1990年に発行された、1977〜89年のAAメンバー調査の概要報告書にある図C-1

1990年に発行された、1977〜89年のAAメンバー調査の概要報告書にある図C-1


一部の論者たちが示す現在のAAへの悲観的な見方は、上に掲げた図の誤った解釈に基づいている。この図は1990年に作成された、それまでのメンバー調査についてのGSOの内部報告文書から引用したものである。この報告書の誤った解釈がこれまで広く拡散されてきた。このグラフには「AAにやってきて最初の1年の人たちが各ヶ月後に何%残っているか」という不適切なタイトルがつけられている。この図は、1990年のGSO内部レポートの12ページにある図C-1である。

この手書きのグラフは、現在のAAが5%の成功率しか達成していないという誤った主張の中核となっている。一番下に書かれたパーセンテージの数列では、その右端のX軸の12ヶ月目のところに5%と書かれている。この5%という数字が、新参者がAAに1年間居続けることができるパーセンテージであると誤って解釈されているが、そうした解釈は5%という数字が実際に示す意味としてはまったく正しくない。ここでは、このグラフの元となったデータとグラフの成り立ちを考慮した上で、(最も重要な)このグラフがどのように解釈されるべきかを論じていく。

図C-1にプロットされたデータは、それまでに行われたすべてのメンバー調査中のある部分集合の人数を示している。その部分集合は、AAに初めてやってきてから1年以内の人たちである。X軸はAAに初めてやってきた時から12ヶ月目までの時間の経過を示している。プロットされている点は、5回のメンバー調査それぞれについて、(初めてAAに参加してから)経過期間ごとの人数がこの部分集合中に占める比率を示している。

下記はこのGSOの内部報告書におけるグラフの説明の引用である。

−−−−
付録C:最初の1年

回答された調査票から、月単位でその月数まで(AAに)「留まっていた」メンバーの数を集計することができる。これは調査票の中の、AAに初めてやってきたのは何年何月か、を尋ねる質問から得られる。
過去5回の調査それぞれについて、最初の1年の12ヶ月について集計したものを、図C-1にプロットした。この結果は、メンバーがAA共同体内にその月数とどまっている確率を示していると解釈して良いだろう。

より明確にすると:AA共同体に加わって1ヶ月未満のメンバーが、1ヶ月後も全員とどまり続けたとすれば、1ヶ月と2ヶ月のメンバーの数は等しくなるはずであるが、1ヶ月後には減少していることが分かる。もちろん月ごとの変動は季節効果の影響を受けて波が生じ得るし、その後の月についても同様である。

ではあるものの、グラフからははっきりとした傾斜が読み取れる(季節変動の影響があったとしても)。
−−−−

「この結果は、一定の月数が経過した後にメンバーがAA共同体に留まっている確率を示していると解釈できる」と述べられている。それがいかなる可能性なのかは、図C-1の表現の中には示されていない。

−−−−
付録C続き: 図C-1はこれまでに行われた5回の調査について、その結果に注目すべき類似があることを示している。5回の調査はそれぞれの規模の違いを考慮に入れて同じスケールで表示している。5回の調査の平均値を表にしてあるが、この表の数値はAAに来た者のおよそ半数が3ヶ月以内に去ることを強く示唆している。あいにくなことに、そのような脱落がなぜ起こるのかという理由をこの表から読み取る方法はない。
−−−−

1997年の調査について、初めてAAに参加して最初の1年間のそれぞれの月数の回答者数を、最初の1年の回答者数の合計で割った数を点破線(−・−・)で示している。1980年の調査について、同じデータを++線で示している。1983年の調査は点線(・・・・)で、1986年の調査は破線(− − )線で、そして最後に1989年の調査は実線で示してある。縦軸は5回の調査について各月に分配されたパーセンテージである。

図C-1 5回の調査の平均

グラフの下には「5回の調査の平均」の表が置かれている(上に再掲した)。これによると、最初の1年目の回答者のうち19%が1ヶ月目である。3ヶ月目、4ヶ月目の数字はそのおよそ半分になっており、これを元に報告書の著者は「AAにやってきた人のおよそ半分は3ヶ月以内に去る」と解釈している。

本論の後に掲げる図1には「1977〜89年の調査における最初の1年の保持力」という題をつけてある。その図ではこれと同じ情報を、保持率(もしくは脱落率)の曲線として描くことで、より分かりやすく示している。

−−−−
付録C続き: このような整然とした結果を説明できるメカニズムがあるとすれば、「新しく来た人たちが最初の1年のあいだに徐々に脱落する」こと以外にないだろう。わずかに慰めを得られることがあるとすれば、去った人たちの多くはまた戻ってきて、この表の中の数字にすでに含まれていることである。
−−−−

最初に少々ミーティングに参加してから来なくなった人たちの多くは、後になってAAに戻ってきて断酒を成功させている。自動車のディーラー(あるいはその他の販売業者でも)は、売った車の数に注目する。ショーウィンドーを覗き込んだだけで何も買っていかない人たちの多さを嘆くことはしない。

AAの共同創始者ビル・Wは1939年の手紙の中でこう書いている。「ここニューヨークでも事情は同じだった。私は6ヶ月にわたってたくさんの人に話しかけたが、永続的な結果は何も得られなかった。この時点の私は、自分が世界中の酔っ払いを救う役割を神によって与えられた、という妄想に取り憑かれて励んでいたのである」4

4. “Pass It On” p.226(AAWS)

−−−−
付録C続き: 2年目以降も同様の脱落傾向が続いているが、より緩やかになっている。数年を経るうちに、断酒を続ける多くの人がAA内での活動を減少させていくので、このような標本では彼らの存在を適切に表すことができなくなる。
−−−−

本論のb) 節の題名は「最初の1年の保持率」だが、c) 節の題名は「長期断酒者の増加」となっており、長い期間の断酒とAAへの継続的な参加について、これまでの調査から何が分かるかを扱っている。

−−−−
付録C続き: この調査の目的は、こうした脱落傾向の原因を明らかにすることでもないし、本人の意に反して(AAに)送られてくる人たち、自分がアルコホリズムであることが納得できない人たち、AAプログラムのさまざまな特色を受け入れらない人たちについて、何らかの提案ができるわけでもない。しかしながらここに示された結果およびそれがAAに投げかける課題は、AA共同体に広く理解されているだろう。
−−−−

アルコホーリクス・アノニマスでは、一切アルコールを口にしないことが断酒を続ける容易な方法であると教えている。このことは、AAが飲酒をコントロールする方法を教えてくれるところだと期待してやってきた人たちが失望して去る大きな理由のひとつになっている。アルコホーリクがAAに来る理由が、AAに行かない理由を上回ったときに、その人に回復のチャンスが訪れる。

−−−−
付録C続き: この結果は、昔から言われている「半数がすぐに飲酒がやめられて、25%も最終的には酒がやめられる」という言葉を否定するものとして拒絶する人も多いだろう。しかしその言葉は初期の(AAを)観察したものだ。その時代から現在までに社会にもAAの中にも変化が起きて、状況が変わってしまったことを疑う理由はない。調査から得られた他の結果と同様に、このことも「変えられるものを変えていく」という課題をAAメンバーに投げかけるのである。
−−−−

本論のd) 節は題名を「AAの50%+25%の成功率の起源と引用の時系列」で、この50%+25%の成功率についての歴史と、それを解釈するための正しい背景条件を明らかにしている。

昔から言われている「50%+25%の成功率」は、ビッグブック第2版の「再版にあたって」に「AAに加わって真剣に努力して取り組んだ人の半数は、すぐに飲酒がやめられて、飲まない生活を続けることができた。何度か再飲酒をしたがやめられた人は二十五パーセント」とある 5。調査による最初の1年間の保持率のデータは、この「50%+25%の成功率」を否定するものではない。

5. ビッグブック p.xxv(25)

最初の数週間か数ヶ月の間に、新しい人たちは二つの質問に自ら答えを出すことになる。(1)自分はアルコホーリクか? (2)私は真剣に努力して取り組んでいるか? 多くの人たちは自分がアルコホーリクなのかどうか確かめるためにAAにやってくる。ある人たちにとってその答えは明確であり、難しいものではない。しかし一方で、しばらく思い悩む人たちもいる。

AAメンバーの中には、「あなたがアルコホーリクでなければここに来ているはずはない」というレトリックを使って新しい人に印象を与えようとする人もいる。とは言うものの、AAでは一人ひとりが自分で診断を下すことになる。新しい人たちが「アルコホーリクであること」の意味を理解し、情報にもとづいた決断が下せるように、彼らが十分長くAAに留まることが望ましい。

ミーティングへの参加はAAで回復するための絶対条件ではないが、ミーティングは確実に回復の助けになるものだ。隔絶された場所に住むメンバーたちは、ビッグブックその他の書籍だけを頼りにやっていくしかない。近くにAAミーティングのない人たちは、他のアルコホーリクと一対一で関わることになる。しかし、そうしたケースはまれであり、調査のデータを理解する上では、最初の数ヶ月のうちにミーティングにくるのをやめた人たちは「真剣に努力して取り組んで」はいないと推定される。

1990年のGSO内部レポートの図C-1にメモ書きされた「5回の調査の平均」を下の表1に示す。各列は「月」と「分配%」である。グラフ1に描くに当たって、保持率(もしくは消耗率)のカーブを分かりやすくするために正規化を行っている。

−−−−
グラフ1:1977〜89年調査に見る最初の1年の保持率

“Distribution”(分配)は最初の1年の新しいメンバーのうち該当経過月の人の%数
その他の曲線は、月ごとの保持率を示す。
例:3ヶ月目のメンバーの50%は1年経過時にも残っている。
グラフ1:1977〜89年調査に見る最初の1年の保持率
−−−−
表1:最初の1年の保持率

注記:
・「分配%」は、オリジナルの「図C-1」グラフのもの。
・四捨五入されない「分配%」の合計は(103%ではなく)100%になる。
・「分配%」の数を開始月に従って「正規化」してある。
・得られた曲線は「特定の月」以降の保持率を示す。

元のグラフC-1のデータは、しばしば誤解され間違って伝えられているが、保持率のパーセンテージではない。その理由は

・3年ごとの調査はその時点でのスナップショットを得る断面調査(cross-sectional study)である。毎月同じ人数の新しい人が最初のミーティングに参加してくることを前提にしている。それは調査の時点で最初の1ヶ月を過ごしている人が何人いるかである。

・調査の時点での2ヶ月目の人数と1ヶ月目の人数の比率を計算すると、それが1ヶ月目と2ヶ月目の間の保持率となる。同じ手法で、任意の二つの月の間の保持率を計算できる。もし12ヶ月にわたって誰もかけることなく完全無欠に維持されれば(100%)、最初の1年の人々は12ヶ月それぞれに8.3%ずつ分配されるはずだ。もちろん現実にそんなことはありえないが、これは保持率の計算がどのように行われるか示してくれる。

実際のデータが示すのは:
1ヶ月目の19%は、一部の人が主張するように「81%(すなわち100%-19%)が最初の1ヶ月で脱落する」ことを意味するのではない
3ヶ月目の10%は、「90%(すなわち100%-10%)が最初の3ヶ月で脱落する」ことを意味するのではない
12ヶ月目の5%は、「95%(すなわち100%-5%)が最初の1年のうちにミーティングへの積極的な参加をやめてしまう」ことを意味するのではない

そうではなく、このデータが示すのは、調査の時点で最初のAAミーティング出席から1年未満の人が100人いたとして:
19% の人が、1ヶ月目である。
13% の人が、2ヶ月目である。
9% の人が、4ヶ月目である。
7% の人が、6ヶ月目である。
6% の人が、8ヶ月目である・・・などなどである。

すべての数字に正規化係数(この場合は5.25)をかけることで100%から開始することができ、保持率について合理的な推測を得ることができる。表1の「1ヶ月目開始」の列はニューカマーの最初からの保持率を示すために正規化されている。「4ヶ月目開始」の列は推奨される90日間の導入期間を経過した以降の保持率を示すために正規化されている。

・表1が実際に示すところによれば、3ヶ月を越えてAAに留まった人の56%は1年間経ってもAAの中で依然として活動的である。その他の回の調査では1年後の保持率はこれよりやや良い数字が出ている。

・データを解釈する上でもうひとつ考慮すべきことは、AAミーティングに出席するのはアルコホーリクに限らないことだ。

ある人たちは、家族、職場、司法制度、治療施設、友人、もしくはAAメンバーから後押しされてミーティングに何回かやってくる。その中には、助けが必要だと信じるにはまだ「十分にアルコホーリク」になっていない人たちもいる。それに加えて、現在のAAには飲酒経験のない薬物依存症者が来ることも珍しくない。そうした人たちも、調査の時にミーティングに出席していれば数に数えられる。その中にアルコホーリクス・アノニマスに一度接触しただけで留まらない人がいるのは当然である。

初期のAAメンバー調査における無作為性の特徴として、サンプル抽出の手法の問題が挙げられる。当時は地域評議員が地域内で調査するグループを決定していた。そのグループ選択によっては、調査結果に偏りが生じた可能性がある。しかしながら、アメリカ・カナダには十分な数の地域があるため、最終結果に大きな影響を及ぼすことはなかったと考えられる。

後に、調査するグループはAAWS/GSOに登録されたグループのリストから無作為に抽出されるようになった。この手法でも、もし登録をしないグループに出席する人たちに一定の傾向があるとすれば、サンプルの意図しない偏りを生む可能性はある。アメリカ・カナダでは非常に多くのグループが登録をしていない。

以下のグラフと表は1968年から2007年のメンバー調査の結果を反映している。それらについての分析と解説では、調査データの推定についてより正確で適切な解釈を提供する。

−−−−−−−−
(続きます)


2015年01月25日(日) 翻訳企画:AAの回復率(その2)

さて、まず最初のセクションでは「AAに参加した人の1年後の回復率は5%である」という誤解が生じる原因となった、AAのメンバー調査(メンバーシップサーヴェイ)についての基礎情報からです。

−−−−−−−−

a) 3年おきのAAメンバー調査

1968年、アルコホーリクス・アノニマスはメンバー調査という棚卸しを行った。AA共同体についてより詳しく知る必要性が認められたため、地方選出常任理事によりいくつかのAAグループに対して小規模で試験的な調査が行われた。その目的は、メンバーが自由意志で無記名式調査票にどう返答するか見極めるためだった。

その結果が良好だったので、委員会を設置して、アメリカ・カナダ国内で登録されたグループの5%を対象とした調査を行うことになった。後のパンフレット『アルコホーリクス・アノニマス・サーヴェイ』(過去にP-38という番号が振られていた)は以下のように説明している。

−−−−
最初にAAとそのメンバーについてより正確な情報の必要性を指摘したのは、当時のAA常任理事会議長でノン・アルコホーリクのジョン・L・ノリス博士だった。
ノリス博士はアルコホリズムを研究・治療する医学的・科学的コミュニティに対して、AAの効果を示す多数の実例を紹介することができたが、しかし正確な情報を提示することはできなかった。
彼は常任理事会の方針委員会の席上でこの問題について述べ、AA共同体がより正確な情報を提供するための方法を検討するよう依頼した。
−−−−

ノリス博士は「調査を企画したのには、二つの大きな理由がある」と述べている。
1.AA共同体とその有効性について、より正確なデータを、現在増加しつつあるアルコホリズムの分野で働く医師、精神科医、ソーシャルワーカー、法律家などに提供できるようになる。
2.AA自身についてより多くの情報を提供することにより、AAメンバーが、この世界でまだ苦しんでいる何百万人ものアルコホーリクをより有効に手助けできるようになる。

1968年に行われた最初の調査では、アメリカ・カナダ国内の11,355人のAAメンバーが抽出された。この調査が好評かつ有用であったため、アルコホーリクス・アノニマスのゼネラル・サービス評議会はこれを定期的に行うこととした。AAによるこの「3年次調査」は1968年の最初の調査以来3年ごとに続けられている。1996年の調査はゼネラル・サービス評議会が調査の内容について議論したため1年遅くなった。P-48と番号がつけられたAAのパンフレットが調査のおおむね翌年に発行され、その結果を報告している。

これまでに出版されたAAメンバー調査のパンフレット(P-48)
 1971年AAミーティングの統計データ
 1974年AAミーティングの統計データ
 1977年AAメンバー
 1980年AAメンバー
 1983年AAメンバー
 1986年AAメンバー
 アルコホーリクス・アノニマス1989年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス1992年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス1996年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス1998年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス2001年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス2004年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス2007年メンバー調査

2004年のメンバー調査は2004年8月1〜14日に行われた。あらかじめ700のAAグループがランダムに選ばれた。その前年に、選ばれたグループのゼネラル・サービス代議員(GSR)あるいは連絡員に調査票が配られた。

直近の調査は2007年の夏に行われた。その結果は2008年に出版され、本論の「更新版」に反映されている。調査は定期的に開かれているAAミーティングで行われた。選ばれたグループは、メンバー調査を行うために特別なミーティングを開催しないように求められた。

定期的に開かれているミーティングに参加したすべてのメンバーは、調査票を手渡され、全項目に記入するように求められた(すでに他のミーティングで調査に応じている場合を除く)。調査票は無記名式で秘密が保持されるようになっており、記入済みの調査票はゼネラル・サービス・オフィス(GSO)の広報担当者宛に返送された。

成功を計る基準としてソブラエティの長さを用いる
回復の「成功率」を比較するにあたっては、「成功」という言葉の意味が多くの研究者や評論家の間でまったく定まっていないことを理解しておかなければならない。

あるAAメンバーが5年間アルコールを口にしていなければ、ほとんどの評者はそれを成功と判定することに異論はないだろう。その場合、ソブラエティ(断酒)が最初にミーティングに参加した日に始まったのか、それともそれより相当後になってからであるかは問われない。5年間しらふでいることが重要なのである。

現在ではどこでもAAを見つけることができる。そのため多くの人たちが、アルコホリズムの下り螺旋の底に達するよりずっと早くAAにやってくる。彼らが最終的にAAを必要としAAを求めるようになる頃には、AAが何であるかすでに知ることとなっている。そのことは、1970年に出版されたパンフレット「AAサーヴェイ(The Alcoholics Anonymous Survey)」にも記されている。これは1968年に行われた最初の調査について報告している。(注:引用中にある表3および表4は本論に含まれていない)。

−−−−
ソブラエティ(断酒)期間の長さ
表3:最後の飲酒から経過した期間
ほとんどの人は、AAにやってきてから後のある時点から酒をやめている。それは最初のAAミーティングへの参加より後になる。酒をやめるのは、最初のミーティングの一週間後かもしれないし、一ヶ月後、一年後ということもありえる。しかしいったん断酒が達成されると、その大多数は飲酒に戻らないことが経験上示されている(強調は引用者による)。

AAは、しらふになった後に、飲酒することなく正常な生活に戻り、一杯の酒も飲まずに一生を終えたアルコホーリクの統計を取ってはいないが、私たちはこれがAAプログラムを受け入れた人の標準的なパターンであると推定してよい。

AAはこのように継続したソブラエティ(断酒)を成功と見なしている。ソブラエティとはアルコホーリクが飲酒することなく普通の生活を送ることである。しかしながら、医学・科学のコミュニティにおいては、成功の判断にあまり多くを求めない基準がしばしば用いられる。頻繁に用いられるのは、完全断酒1年という基準である。

この標準を用いれば、アメリカおよびカナダ国内のAAミーティング会場ではどこでも多くの断酒成功例に出会えるだろう。

AAミーティングで調査票を記入した11,355人のメンバーのうち60%が、1年以上アルコールを飲んでいないと回答している(強調は引用者による)。次に示すデータによれば、残りの40%の多数はニューカマーであって、すでに酒をやめているか、最初のミーティングからそう長くない後に酒をやめると想定される。

...

AAが効果を示すまでの期間
表4:最初にAAを訪れてから酒をやめるまでの期間の長さ
AAの機能を示すもうひとつの指標は、調査回答者の41%が最初のミーティングの直後に酒をやめ、また23%が1年以内に酒をやめている(合わせて64%)という事実によって示される(強調は引用者による)。

女性の調査回答者の68%が最初のミーティングから1年以内に酒をやめたとしているのに対し、男性は63%である。また30才未満の回答者の74%が最初のミーティングから1年以内に酒をやめたとしているのに対し、30才以上では63%となっている。

調査対象者の中にはまだ断酒に成功していない人もかなりいるが、彼らの回復を絶望的だと見なすAAメンバーはまずいないことも述べておかなければならない。ほぼ、あるいはまったく酒がやめられないまま何年間もAAに出席を続け、最終的には断酒を達成した、という人をAAメンバーの多くは少なくとも一人は知っている。(酒がやめられないアルコホーリクがいても)その人がまだ生きているうちは、まだAAが効果を現していないだけだと、AAメンバーの大多数は考えるだろう。
−−−−

−−−−−−−−
(続きます)


2015年01月24日(土) 翻訳企画:AAの回復率(その1)

AAでの回復率や断酒率は、いったいどれぐらいでしょうか・・・。つまり、AAに行く人の何割が酒をやめられるのでしょうか。

これについては、様々なことが言われています。高い数字を挙げる人もあれば、低い数字を言う人もいます。どの話もだいたい根拠が怪しいものです。単なるヨタ話で済ませておけばいいものを、それをネットに掲げられたり、出版物に掲載されたりすると、なんとなく信憑性を帯びて広がることもあります。

怪しげな数字として挙げられる第一のものは、「AAにおける回復率は数%だ」というものです。代表的な例は5%です。例えば、

Why People Drop Out of AA
https://rational.org/index.php?id=56

上のサイトでは、AAの新人の5割は30日未満でドロップアウトしてしまい、1年後に残っている率は5%に過ぎない・・と主張しています。仮にその5%が全員酒をやめていたとして、ようやく回復率5%ってことになりますね。

まあ、このサイトは「ラショナル・リカバリー(理性的回復)」という、非AAの断酒団体のものですから、AAに対する自分たちの優位性を示そうと、こういった数字を出しているのでしょう。(ただ、後述しますが、この5%という数字の解釈には恥ずかしいほど大きな誤りがあります)。

反対に、こうした数パーセントの回復率という数字を鵜呑みにした上で、数十年前のAAは7割とか8割の回復率を誇っていた、という主張をする人たちもいます。こちらの数字はウソではないのですが(ビッグブックにそう書いてあるしね)、回復率というのは分数で表されますから、分母と分子に何を置くかで数字はいくらでも変化します。そのあたりの事情を酌まないとなりません。

ともあれ、「(少なくとも今の)AAは断酒に有効ではない」という、何を根拠にそう主張しているのか怪しい話に対して、それなりの反証が必要ですね。

そのあたりをじっくり書こうと思っても、ちゃんとしたことを書こうとすれば調べ物に時間がかかりすぎます(それこそ「研究」になっちゃいます)。なにか雑記の良いネタはないか・・と探しているうちに見つけたのが、この論文です。

Alcoholics Anonymous (AA) Recovery Outcome Rates
Contemporary Myth and Misinterpretation
http://hindsfoot.org/recout01.pdf

2〜3年前にここで紹介しようと翻訳を進めていたのですが、忙しくて他のことをしているうちに、どんどん先に伸びてしまいました。特に引っ越し前後からは手がついていなかったのですが、それなりの形になったので、掲載することにしました。

著者はアメリカ在住の3人のAAメンバー。丹念な調査をもとに、5%の回復率の誤解を明らかにし、7割・8割の回復率の謎を解き、今の(アメリカ・カナダの)AAが持っているデータを元にAAの有効性についてどのような主張が可能なのかを検証しています。彼らの主張にまったく偏りがないとは言えませんが、AAの回復率についてこれ以上しっかりした調査は他には見あたりません。

長いので何回かに分けての連載になります。では、お読みいただきたい。

−−−−−−−−
アルコホーリクス・アノニマス(AA)の回復率
 〜現代における神話と誤解〜

2008年1月1日

(2008年10月11日――2007年のメンバー調査の結果を反映)

はじめに

この論文はAAメンバーのために書かれたもので、AAの歴史的な記録を調査した結果を内外に伝達することを目的としている。AAにおける回復率について広がっている誤解や誤った評価についての情報を、AAメンバーや学術的研究を行う人々に提供する。

アルコホーリクス・アノニマスの共同体は、外部の議論への参加や公の議論を避けるという原則を長年にわたって確立し実践してきた。筆者たちはAAを代弁していないことを強調しておかなければならない。私たちはAAの歴史に関心を持ち、その歴史の解釈の誤りや(根拠のない)神話の蔓延を正す必要性を確信するものである。

アーサー・S、テキサス州アーリントン
トム・E、ニューヨーク州ラッピンガー
グレン・C、インディアナ州サウスベンド

−−−−
この論文の出版は、アルコホーリクス・アノニマスおよびその世界的なサービス機構のいずれかが、この内容について提携したり、承認したり、支持していることを意味しない。この論文に示された見解は、すべて筆者らのみによるものである。
AA、Alcoholics Anonymous、The Big Book、Box 4-5-9、The Grapevine、GV、Box 1980およびLa Vinaはすべてアルコホーリクス・アノニマス・ワールド・サービス社(AAWS)およびAAグレープバイン社の登録商標である。
AAWSおよびAAグレープバイン社の出版物からのこの論文への引用は、合衆国著作権法の批判・批評・学識および研究のためのグッドフェイス・アンド・フェアユース条項によるものである。
−−−−

前書き

「ひどい思い出ではなく、良い日々の思い出が(トラブルの)原因であるものさ」
  〜フランクリン・アダムス(1881-1960)

この論文は、現在のAAが経験している5%(あるいはそれ以下)の「成功率」と、それとは対照的に1940年代・1950年代にAAが享受したとされている50%、70%、75%、80%あるいは93%(どうぞお好きなのを選んで)の「成功率」についての誤った神話に焦点を当てる。ここで「神話」という言葉を用いるのは、(現在の)低いとされる成功率は想像やねつ造によるもので、事実に基づいた調査によるものではなく、無関心の産物にすぎないことを強調するためである。

一方、注目すべきは(過去の)神話的なパーセントの数字の由来である。それには系統だった調査や、他者による追試や、引用出典の確認という確立した手法の欠如が見られる。こうした神話を広めようとしている者の中には自らを「AA歴史愛好家」を名乗るAAメンバーが少なくない。彼らがフィクションを真実として、また風聞を歴史的事実だと主張しているのは、実に残念なことである。

AA共同体には口伝(述べ伝え)の伝統が強くある。多くの情報は口から語られた言葉として手渡されていく。これには良い面と悪い面がある。神話と真実をどう見分けたら良いのか? AAメンバーは心から何かを真実だと信じていると表明することはできるが、それが正確であるとは限らない。これが神話と真実の違いである。であるがゆえに、本論では確実性を期すため、内容が信頼できる独立した文書の情報源によって確認するという多大な努力が払われた。情報源については脚注および本文中に示してある。

インターネットにおいても、また出版物やAAメンバー個人の話、あるいはテレビにおいても、初期から中期のAAを描写する際に、その典型的な回復率を50~75%としている。こうした高い数字は、しばしば続いて現在のAAにおける回復率が10%、5%あるいはそれ以下であるという描写を伴っている。この(高率と低率の)二つの数字の組み合わせは、牧歌的な過去のAAと、現在の荒涼たるAAとを対比させるために使われる。

・現在のAAにおける回復率が10%、5%あるいはそれ以下であるという主張は誤りである。それは、AAのゼネラル・サービス・オフィス 1 が「AAメンバー調査」について1989〜1990年に作成した内部報告書を間違って解釈した結果であり、それが誤ったまま広められたものである。

1. アメリカ・カナダのゼネラル・サービス・オフィス(GSO)はニューヨーク市にある。本論ではしばしばAAWS/GSOと表記する。

・AAの(初期における)50~70%の回復率という主張はAAのさまざまな書籍やその他の出版物を出典としているが、たったひとつの例外を除いてその根拠を示していない。その根拠はビッグブック 2 初版に収められたAAメンバーたちの個人的な経験談に帰せられる。

2. 「ビッグブック」という言葉はAAの基本テキストである『アルコホーリクス・アノニマス』という本のタイトルの代わりに使われている(どちらもAAWSの登録商標である)。

50~70%の回復率という数字は、1941年に最初に出版物に登場してから現在に至るまで、変更されることも妥当性を検討されることもなく、引用され続けている。

1989~1990年のゼネラルサービスオフィス(GSO)の内部報告書は、過去5回のAAメンバー調査を分析したものだが、これに含まれた手書きのグラフが、AAの「回復率」が5%あるいはそれ以下(もしくはAAの失敗率が95%以上)であるという誤った解釈をしつこく作り出している。 3

3. “AA’s Triennial Surveys”(AAの3年ごとの調査について)というタイトルで、1977~1989年の5回の調査についてのものである。

AAについてのこれほど重大なしかも否定的な推定が、不用意に流通され、それが「確実」であると主張され、しかも、どこで、いつその「確実性」が確立されたのかが示されることがないのは驚くべきことである。過去の文献からの引用があっても、それは注意を欠いたおざなりなものにすぎず、多くの場合、誤りのある他の出版物を(無批判に)信用して参照・引用しているのみである。誤りを含んだ引用が、他の誤りを含んだ引用を補強するために使われている。

さらに不幸なことは、そうした執筆者(あるいははAAの歴史愛好家たち)の中に、引用元の統計的な信頼性や正確性について、引用元のオリジナルデータを、批判的にかつバイアスを持たずに調査した者は明らかにいない。メンバー調査に示された基礎的なデータから「失敗率」と見なされている数字を単に複製しているに過ぎないのである。その基礎的データとデータの示す意味は、この節の後半に示す。

近年、インターネットを使うことで、誰でも参加できる国際的な討論の場を設けることが容易になった。「回復」、「AAの歴史」、「AAアーカイブ」などと呼ばれるウェブサイトの数も激増した。それらは個人的な不平や長話で溢れかえっているが、AAの歴史やAAの回復のプログラムについても極めて幅広く(修正主義者のものも)扱われている。学術的・医学的な興味を満たすサイトも同様に大量に登場している。

(それらにより)現在のAAにおける回復率が10%、5%、あるいはそれ以下という誤った神話は、その正確性について疑問を投げかけられることも、また根拠を調査されることもないまま、広く伝搬することとなった。AAの回復率あるいは失敗率という話題は、逸話的な誤伝、誤った解釈、主観による大きな影響を受けているのである。

AAにおける回復率についての議論、調査、分析を、この論文では二つのカテゴリに分けた調査として報告する。

最初のカテゴリは、現在のAAが5%あるいはそれ以下の回復率しか成し遂げていないという(極めて誤りの多い)主張についてである。このがっかりする成功率の主張は間違いなのであるが、AAメンバーの中にはこれを躊躇なく信じるばかりでなく、個人的な意見を補強する材料として使おうとする一派がある。彼らはAAの歴史の修正主義者であり、初期のAAプログラムの優越性を誇大に主張して宣伝している。

二番目のカテゴリは、50%の人がAAですぐに成功し、「スリップ」した者の半分(25%)が戻ってきて成功することで、全体として75%の回復率を示したという、広く信じられかつ繰り返し表明される見解についてである。これは1930年代後半にAAが始まって以来、「最善の推定値」として流布している。
この論文では、これを「50%+25%の成功率(トータルで75%の成功率)」と表現する。

現在までの研究成果によれば、この「50%+25%の成功率」はAAの(初期から現在までを通して)さまざまに見積もられた成功率の中でも最善の値であろうと考えられる。

・この「50%+25%の成功率」という数字には、「真剣にAAに取り組んで努力した対象者について」というただひとつの条件が付けられているが、この条件は極めて重要であるにも関わらず無視されることが多い。(つまりはAAに十分時間や労力を割いた上でなおAAを出ていくかどうか、ということ)。これには、この治療方法に努力して取り組んだ対象でないと、「成功」したのか「失敗」したのかを判定することはできない、という単純かつ明白な前提がある。

重要なことは、過去であれ、現在であれ、この(真剣に取り組んだ人という)カテゴリに当てはまる対象者は、対象者全体の20%あるいは40%(5人に1人か2人)と見積もられることである。

本論のこれ以降では、AAの成功率あるいは失敗率の由来となった情報源を特定し、また除外、ねつ造、誤解を受けた関連情報にも光を当てる。最初に関心と分析の対象となるのは、大きな誤解を受けてきた、GSOによる1989~1990年のメンバー調査の報告書である。

(続く)

−−−−−−−−

というわけで、今回は序論だけ。続きは次回になります。


2014年12月31日(水) それでもなお・・・

人は不合理、非論理、利己的です
 それでもなお、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
 それでもなお、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、
不実な友だちと本物の敵に出会うでしょう
 それでもなお、やり遂げなさい

善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
 それでもなお、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたへの攻撃を招くでしょう
 それでもなお、正直で誠実であり続けなさい

何年もかけて作り上げたものが、一晩で壊されるでしょう
 それでもなお、作り続けなさい

本当に助けを必要とする人たちも、
助けたあなたに恩知らずの仕打ちをするでしょう
 それでもなお、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
 それでもなお、最良のものをこの世界に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
 あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです

−−−−

マザー・テレサによるとされる詩ですが、調べていくとアメリカの元官僚ケント・M・キースによる「逆説の10ヵ条」が元になっていることが分かりました。なぜそれがマザー・テレサのものとされたのか調べ、それをネタに久しぶりに「心の家路」の更新をしました。こちらです。

それでもなお - ANYWAY
http://www.ieji.org/archive/anyway.html

マザー・テレサのものは「人を助けることについて」、キースのものは「リーダーシップについて」と、この二つはかなり趣が異なりますが、相通じるものだと再認識しました。

詳しいことは省きますが、今年ほど「人を助けることについて」また「リーダーシップとは何か」について考えた一年は過去になかったように思います。

今年は仏教の本を読みましたが、「人間の本質は自己中心である」だと説くのは仏教も他の宗教も変わりありません。ならば一人で生きていければ楽なのでしょうが、(数少ない例外を除けば)人間は一人では生きていけず、群れて社会を作って生きていくしかありません。自己中心的な存在が群れて生きていかざるを得ないところに難しさがあるのでしょう(ヤマアラシのジレンマ)。

12ステップの3番目で、私たちは「意志と生き方」をゆだねます。「生き方」とは人生そのものです。つまり、ステップ3を伝えるためには、伝える側が「人生とは何か」を知っていなければなりません。

そんなことも含めて、年の最後に、すべての援助者の人と、すべてのリーダーのために、「それでもなお(ANYWAY)」を紹介させていただきました。

今年も1年ありがとうございました。

今年一年の統計データ(Webalizer出力データ)
送出バイト数 227.0Gbytes
訪問者数 106万7千
リクエストページ数 1191万
リクエストファイル数 1283万
リクエスト数 1347万
一日あたりの訪問者数 2923人/日
(FC2ブログはカウンターを設置していないので不明)。

滅多に更新しなくなったせいで、アクセスもやや減りました。更新のために久しぶりにHTMLエディタを開いたら、使い方を忘れていて戸惑いました。最近は wikiのほうばかりいじっています。来年以降は完全にwikiに移行するかもしれません。

紅白にサザンが出ていましたね。ではではまた来年。


2014年12月11日(木) 人に属する

関東に越してきて、こちらのAAミーティングに多少なりとも顔を出しています。いろいろ忙しくてたくさんのミーティングには出席できていないのが残念です。それでもいくつかの会場を覗いてみて、数年前とは雰囲気やミーティングの進め方が変わっているところが多いことに気づかされました。

変化が起きたグループは、数年前とはメンバーががらりと入れ替わったか、古いメンバーが残っていたとしてもグループの運営が(ソーバーの長さが)若いメンバーに任されています。グループの雰囲気やミーティングの指向性は、運営を主に担っているメンバーの意向が反映されるものです。個人のリーダーシップに任せずいろいろなことを皆で話し合って決めていくのがAAですが、現場で運営に当たっている人間次第の要素もあります。

考えてみれば、僕も長野で3つAAグループを立ち上げましたが、どれも僕がグループを離れると、僕がいた頃とは違った考え方、やり方を取るようになりました。それについて、僕は干渉して元に戻そうとは思いませんでした。その理由は、アルコホーリックは人から干渉を受けることを好まない、ってこともありますが、むしろ、責任を負っていない人間の勝手な発言は現場に迷惑だというのがメインです。AAグループを存続させていく責任は、そのグループのメンバー以外には背負えないからです。

僕はあくまで僕自身のために一日一日、より素面になろうと生きてきたに過ぎません。何らかのパワー(例えば人への影響力とか)を身につける事を目的にしてきたわけではありません。しかし、どこの団体でもそうでしょうが、一つの団体の中で10年、20年と過ごしていくと、経験の長さがその人の言葉に何らかの重みを与えるようになります。それはAAとて例外ではなく、無責任なことは言えなくなってくるものです。(そのことに無自覚な人もいるし、自分の言葉に影響力がないのを恨む人もいるけどね)。

同じグループに長く留まりながら、新しい人たちにグループの運営を任せ、やり方が変わって行くのを口出しせず、静かに見守っていられる人はたいしたものだと思います。それができないのなら、別のグループに移るべきだとも思うんですけどね。

ともあれ、現実面でのやり方や方向性は、運営している人間次第ということです。そういったものは「人に属している」というわけだ。だから、人が入れ替われば、どんどん変化していって当然です。

AAは変化することが良いのでしょう。人が入れ替わっても、変化させずにとどめようとすれば、自然な変化を押しとどめるための強制力が必要になる。その強制力を「規則」を作ることによってもたらそうとすれば、AAは妙なことになってしまうでしょう。

だからといって、どんな変化が起きていっても良いわけではなく、AAがAAであるために必要な原理は受け継がれていかなければなりません。人から人へと手渡していく、述べ伝えていく、というやり方はうまく働きません。伝言ゲームと同じことが起きるだけです。だから、AAはビッグブックのようなテキストを用意し、一人ひとりがそのテキストから学ぶことで、原理が変わらずに受け継いでいけるようにしているわけです。

どんなにAAを愛する人であっても、いつかはAAを離れねばなりません。自分がAAを離れた後も、自分の考え方ややり方を受け継いでいって欲しい、と思うのは単なる利己主義でしょう。であるものの、AAがAAであるための原理は受け継がれていって欲しいものです。人は必ず滅ぶし、人の集まりであるAAグループもまたしかり。でも、AAという共同体は未来へと続いていって欲しいと願っているのです。共同体にも、テキスト本にも同じ「AA」という名前を付けたのは、そんな意図が込められているのかもしれませんね。


2014年10月11日(土) 一人ひとりの自由な解釈

最近は「心の家路」を更新する時間もあまり取れず、更新したとしてもwikiの方ばっかりでした。おかげで、この「日々雑記」は何ヶ月も更新されないままになっていました。ほったらかしにするのも良くないのでは、というご意見もいただきましたので、これからは月に何回かの更新を心がけたいと思います。

さて、AAプログラムをどのように解釈しようと、その人の自由である、とビル・Wは述べています。ここで、AAプログラムとは、たいていは「12のステップ」のことを指しているわけですが、当然同じことは12の伝統や、12の概念にも当てはまります(ただしその話は後回しにしましょう)。

ステップ4・5の棚卸しのやり方を取り上げてみても、たくさんの種類のやり方があります。どのやり方が正しく、どのやり方が間違っている・・と言うことはできません。

あえて言えば、人間は、自分に役に立ったやり方が「良いやり方だ」と評価する傾向があります。先日、AAのラウンドアップに参加しましたが、招かれた医師がこんな話をしていました。

「アルコール依存症の人で、私の病院を良い病院だと言ってくれる人がいる。それは、その人がこの病院に入院したことが、酒をやめるきっかけになったから、そう評価してくれるわけで、きっかけにならなかった人たちは違った評価をするだろう」

自分に利があるものを良しとする・・人は実にシンプルな評価基準を持っています。同じことは12ステップについても言えるでしょう。12ステップにいろいろな解釈があるなかで、自分を回復させてくれたやり方が「良いやり方」だと人は評価するでしょう。

試したやり方が一つだけの人は、そのやり方がベストだと言うでしょう。いくつか違ったやり方を試した人は、その中からどれかをベストに選ぶでしょう。人によってベストが違っている。だから、ステップをどのように解釈しても良いという自由がAAにはあるのでしょう。

僕はビッグブックをベースにしたやり方を自分で試し、人に勧めてもいるわけですが、それは僕がそれがベストだと信じているがゆえです。しかし、その気持ちが行き過ぎて、「このやり方が、他のどんなやり方よりも優れている」などと言いだしたとしたら、それは傲慢の極みでしょう。別の解釈があり得るということも認めなければなりませんし、時には積極的に今まで自分が試していなかった考えを取り入れ、いままでの自分の考えを否定していくことをしないと進歩がありません。

AAのプログラムは自由に解釈して良い・・同時に、自分の選んだ解釈が自分に回復をもたらすかどうか、それも自分の責任です。自分の選んだ解釈で回復できなかったとしても、それはその人の責任に帰されることになるでしょう。

では、12の伝統はどうか? こちらも12のステップと同じように、一人ひとりが自由に解釈することになります。12の伝統についても、ある一つの解釈を人に押しつけ、他の考え方を否定するようなことをすれば、それは傲慢の極みです。

しかし、12の伝統は、一人のAAメンバーはもちろんのこと、集団に対して使われるものでもありますから、人によって解釈が異なって良い、とばかり言っていられません。人によって解釈が違っていては困る場合も出てくるでしょう。皆で共有できる解釈を作らねばなりません。そこでメンバーが集まって民主的に話し合い、決める必要があります。あるグループが決めたことと、別のグループが決めたことが違っている場合もあるでしょう。それで当然ですし、違っていても差し支えなければ、そのままにしておけばよいし、なにかの関係で共有する必要があれば、議論していけばよいでしょう。

AAでは、どんな集団でも、そのメンバーが時間の経過とともに入れ替わっていきます。また、集団を構成するメンバー一人ひとりの考え方も時間とともに変化していきます。だから、伝統の解釈にも変化が生じます。

例えば、僕がAAにつながったころは「AAがコマーシャルを流す」なんてことは考えられませんでした。そのような宣伝行為はAAにはふさわしくない、と多くの人が考えていました。しかし、インターネットを通じて諸外国の事情が触れられる時代になると、海外のAAのなかには広告を出したり、CMを作って流しているところが結構たくさんあることが分かってきました。そんなことも影響したのでしょう、やがて日本のAAもCMを作って流すようになったわけです。

これは12の伝統を変えてしまったのではありません。以前の解釈が間違っていて、それが正された・・・というわけでもありません。同じ「CM」という一つの事柄に対して、違った判断が示されうる、ということです。それはAAのプログラムの性質を考えれば当然のことで、何か一つの絶対的な基準があり得る、と考えるべきではないのです。

(よく言われるように、12の伝統は基準ではなく、一人ひとりが考えるための判断材料です)。

このように、12の伝統についても、自分で自由に解釈して良いものです。しかし、集団として共有できる解釈を議論しているときには、自分の考えが否定されることもあるでしょうが、それはそれで良いのではないでしょうか。

ところで、12の伝統を「人を非難する道具」に使う人もいるのが残念なことです。AAのプログラムは人を非難したり攻撃したりするためのものではないのですが、人はその誘惑に負けることがあります(僕にも当然その経験があります)。人間は誰しも完璧ではあり得ないのですから、そのような不完全さを受け入れ、理解するように努めていかなければなりません。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加