ヒビワレ。
 
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2004年10月28日(木)  あがってるーさがってるー
■落ちる時ってのはどうしてもあるものです。
あーもうそれは避けられようもないこと。
バイオリズムというものがあって、
てっぺんにあるときがあるから底辺をはう時期があって。
で、多分20代がそれが一番多い時期なのだと思う。
なんでかっていうと20代が一番外との交流が公私ともども活発だからかと。
ふれあうというのはプラスもあればマイナスもあり。
摩擦は熱にもなればキズにもなるのだから。
そして激動の時期だからこそ余計にストレスたまるし。
で、その20代を通りすぎた今になって思うのは、
それをなんとかしようとしないほうがいいということ。
がんばろうとすると余計に疲れます。
落ちたときは落ちたなりでとことん落ちる。
海底にいる自分を想像したりして。
海の底から見る太陽のひかりはきれいだなとか。
考え方次第で世界はまるくなったりしかくくなったりいろいろだ。

■あと他人とふれあえばふれあうほど自分と比べて摩擦するのもある。
自分をなにかと比較したってたいていの人間は落ち込む材料にしかならんのに。
それでもどうしてか人間は自分をなにかと比べたり、
順位をつけたがったり、
そして自分が平均でないと落ちつかない。
結局自分は自分でしかないのに。

■やっぱり私にとって20代ってキツかったな。
意味もたいしてなく息苦しい感じ。
若くていいなーと思うのは健康で体力があるってところかしら。


■年末のデートコース関係者へ私信。
(日記で私信するのキライなんだけどまあ今回はメールするまでもないので)
ナルタソの言うとおり、デートコースが夜中の1時までだとすると
間違いなくタクるしか帰る道は残されておりません。
しかしそこはいつも言う事が簡単に訂正されるナルタソ、
リキッドはオールが出来ないハコだし、
1時までってのも微妙に信憑性に欠けるような。
何となくこの間みたいに0時すぎまでかなーとも思ったり。
だとすると、山手線の終電に乗れて、
乗れれば深夜バスで帰るという手があるかも。
某宮にお住まいの某さんだとちなみに池袋から1900円です。
宿とったりカラオケBOX行ったりタクるより断然安い。

■ちなみにナルタソ日記を読んでなくて年末のDCPRG他@リキッドに参加を考えてる方へ。
この日のライブが終わるのは90%の確率で日付が変わる頃になると思われます。
遠方の方は帰れないと思われますので各自心の準備とお金の準備を。
私は意地でも帰りたい。翌日旅に出る予定なので。

■ちかぢか終演予定時間を問い合わせよう。
てか、私信といいつつ全然何を伝えたいのかまとまってないな。


■Bさんの日記より無断転載御免。

GLAYのファンの人ってどうしてみんなメンバーのこと苗字で表記したがるのかなぁ。
ラルクもそういう傾向がある気がする。そういうもんなのか。
まぁ別にそれはいいんだけど、GLAYに関してなーんにも詳しくない俺は、
読んでて誰が誰だかわかんないから「むおお?」となることもあるですよ。

それ、私も思ってました。
なんで所謂ビジュアル系(もしくはそれ出身)のバンドのファンの人って、
メンバーのことを本名で呼ぶのかしら?
素朴な疑問。


2004年10月27日(水)  それはずっと続いている
■ハッ、中二日あけてしまった。
今月はひらいても隔日で日記を書いてやる(スピッツ風)月間なのに。
※〜てやる、と書くとなんでもスピッツ風に感じます。

■えーと月曜日はぐったりしてたなあ。
新潟行けなかったのが思ったよりショック大きめで精神的にぐったり。
あと仙台帰りの疲れがなかなかとれなくてぐったり。
意味もなく月曜にお仕事ーってだけでやる気ゼロでぐったり。
こういう時は早く寝るに限る。
寝るのが一番身体に良い。
というか何をしたか記憶にないべや。

■火曜日にはお仕事のあと、
会社の同僚さんが夜に営業してるお店へ餃子を食べに行く。
お世辞ぬきでとても美味しい餃子屋さんなのだけれど、
残念ながら今月でお店をたたむそう。
食べたい時に食べられないと思うと淋しい。
とても愛情をこめて餃子を作られていたので、
きっとご主人の淋しさは私にははかりしれないものだ。

■それにしても夜一気に冷えこんだ。
ちょっとまだ早いかな?と思った厚めのジャケットは全く無問題で
ほかほかで家に帰る。
冬はキライじゃない。
夕暮れの空は一年で一番きれいだし、
澄んだ空気が肌をさすのも心まで透くようで気持ちがいい。
街が静かめなのもキライじゃない。
人の手の暖かさのありがたみを感じられるのもこの季節。

■今日もまた余震が。
って、余震、という言葉が不似合いな、大きな揺れ。
実は朝の地震の時にトイレに入っていて、
座った瞬間(洋式です)にグラリとゆれた。
一瞬貧血?と思ったけれど、明らかに揺れてるのは頭ではなく腰から下。
用を足してる時にもしガンと下から突き上げるような揺れが来たら、
と考えたら笑い事じゃなく怖くなった。
ドアが開かなくなったら大変だから、まずドアをバンと開けて…
とか考えてみたけれど、実際に大きく揺れていたらきっとそんな余裕はない。

■土砂崩れに埋もれていた男の子が奇蹟の生還。
時間がたつごとにその状況が詳しく報道されていて、
本当に生還したことはすごいことだったんだ、と思って身震いした。
あと5センチ隣りに座ってたら?
雨がもっとたくさん降ってきてしまっていたら?
道が閉ざされていたかもしれない要素はいろいろあるのだ。
こういうとき、神様の存在を信じてしまう。
この子は何があってもまだ生きるべきなのだ、って言われているかのよう。
私はこういうとき性格的に、今後越えるたくさんの山を考えてしまうのだけれど、
どんなことがあっても神様から生きるべき、と命じられたのだから
きっと生きている意味はここにあった!と思えるなにかがこの先あるんだろうと考える。

■でもそれは奇蹟の生還を果たしたあの男の子だけではなくて、
きっと今生きてる皆にも言えることで。
今こうして自分が生きてるってことは
何らかの意味が存在するんだろうなあ。

■昔読んだマンガにあった、忘れられないひとこと。
「人は“神がもう死んでもいい”というまで生きるものです」
まるまる信じるわけじゃないけれど、考えさせられる言葉であることには
十年以上経った今でもかわりはない。



■今日見た名言。
ナルタソの日記より。
「うっとりしている人間に、醜い人は絶対にいないのでR。」
R、はともかくとして(笑)
しかしいきなり語尾に「でしゅ」とか書いてあるのはなんなんだ?(笑)



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