ハイティンク - 2003年07月15日(火) 昨日、上司の代わりにスーパー・ワールド・オーケストラのコンサートに行ってきました。 「スーパー・ワールド・オーケストラ」。 なんだろうなぁ?というネーミングだ。 名の通り、世界中のオーケストラの首席奏者クラスを集めたオケで、年に一回、7月頃東京でコンサートをやる。 寄せ集めがいけない、というつもりはあんまりないが、 例えばそれを言ってしまえば、小澤さんのやっているサイトウ・キネン・オーケストラだって、まあメンバーがかなり固定してきてるとはいっても年に一度結成されるだけのオケだし、 あのワーグナーを夏にやるバイロイトの祝祭オーケストラだって、年に一度ドイツ中から集まる七夕オケだ。 でもこの「スーパー・ワールド・オーケストラ」(何度も書いてるとやっぱ恥ずかしい名だ…) は招聘企画者も言っちゃ悪いがイベント屋さんだし、パンフに書いてある主旨も随分安っぽいものに思える。 ここらへんは私個人の考えの領域かもしれないが、でもなあ…。 ただその寄せ集まってるメンバーは相当のモンで、 コンマスはパリ管弦楽団のコンマスだし、フルートにはモントリオール交響楽団の看板、ハッチンズ、クラリネットにはベルリン・フィルのフックス、ファゴットにはウィーン・フィルのトゥルノフスキー、オーボエにはボストン交響楽団の若尾圭介なんかの顔馴染みが並んでいる、というった具合だ。 しかーーーし! オーケストラのサウンドは一朝一夕ではできんのだーーー!! …というのもやはり昨日体験せざるを得なかった。 たまに「オオッ!」というようなところもあったけど。 が、しかーーーーし!!(またかよ) これを補って余りあるのがこれらを指揮したベルナルト・ハイティンクの存在。 そう、わたしがこの間PMFで聴いてきた、オランダの名匠、ハイティンクである。 いや〜〜〜、彼の指揮するブラームス(ヴァイオリン協奏曲と第1交響曲をやった。) の素晴らしさ。 誠実、情熱。 ヨーロッパの空気とはかくあらん、という品格。 「これぞブラームスだぁぁぁぁ〜〜!!」 と先ほどの不満も忘れ、帰り道余韻にひたっていたのでありました。 ... ひさびさの聖書 - 2003年07月14日(月) 昨日、ひさしぶりに教会で賛美歌の伴奏をした。 一月に一回の割で、私は当番をしているのだけれど、 最近は都合が悪い日が多く、なんだかひさしぶりだった。 で、礼拝の後、壮年やら婦人やらに分かれて、その週に決められた聖書の箇所を読み それについてみんなでゴチャゴチャ話をするのだが、 あ、ちなみに私はこの年でまだ「青年会」にいる。 早く結婚して「壮年会」に行け!と言われている。 (← ほっとけ。) 昨日は「コリント人への手紙」の第12章(だったかな?)という所だった。 今、手元に聖書がないので全く正確ではないが、 『人はそれぞれ肢体のようなものであり、ひとつの体につながっている。 ある人は目かもしれないし、手かも、足かもしれない。 目は手にできることは全然できないし、逆もまた然り。 目は目にできることをやればいい。 それぞれの役目がある。 手は目に向かって「お前はいらない。」とはいえない。 そうしたら体が成り立たなくなってしまうのだ。 』 まあ、今の私の気分で書いているのでホントに正確さに欠けるが、まあこんなところ。 しかし、聖書っていうのは時々しか開かないが(わぁ、神様ごめんなさい。) 開くと、今自分がちょっと考えこんでいるような部分が偶然でてきたりする。 正直、これを読んでホッとしたよ。 さしずめ、自分は職場でいったら脳の中の「海馬」(記憶中枢、ですよね?)か、あるいは「尾てい骨」のようなものかもしれない。 たいして、というかあまり目にみえた役にはたっていないだろう。 それこそ「手」や「足」のような。 でもこれがないといけないんだろうと私は思うよ。 もっともこういうことは自分で言っちゃいけなくて、周りが言うことなのだろうけど。 何にしても私は、私のできることを一生懸命やることしかできないし。 元気に頑張るさ!! ...
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