ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

気づく - 2003年06月09日(月)

前回の日記のことである人からメールを頂いた。

その方も私と似たようなことを日々感じていたが、ある時それに気づき、きっとこれから少しずつ変わっていくだろう予感を書いてくれていた。

私はこういう思いをきけるのは単純に嬉しい。


そしてそれからしばらくして、私はあることを思い出した。

レオン・フライシャーというアメリカ人の大変「立派な」音楽をやるピアニストがいるのだが、この人は左手だけのピアニストだ。
昔は普通に両手で活動していたが、ある時右手を故障して左手だけでしか弾けなくなったのだ。
30年以上前の彼のベートーヴェンやなにかのCDを聴くと、それはそれは素晴らしい演奏なので、本人にとっても周囲にとっても痛恨の極みである。
しかし、左手だけのレパートリーというのもブラームス、ラヴェル、スクリャービンなど結構一杯あるもので、そういう曲で本当に感動的なコンサートを私は聴いたことがある。

でもなんにしたってフライシャー本人は苦悩と葛藤の日々だっただろうことは、想像に余りある。

そのフライシャーが、どういう文脈だったが忘れたが、新聞のインタビューでこう言っていた。
シンプルな一言だが、私はそれを今はっきりと思い出した。


『人生は、気づくことの積み重ねなんです。』



...

孤独・・・ - 2003年06月07日(土)

私はいつも本を読んでいる。
この4〜5年は本をよんでいない時期はほとんど、ない。
大抵昼休みや休日の夕方はコーヒーを飲みながら読書だ。

音楽の場合と比率が逆で、大部分が日本の作家のもの。

が、今読んでいるのはミラン・クンデラの「不滅」という本だ。


この本を読みながら、こんなことを考えた。
本編とはあまり関係はないのだが。


私にとっての生活。
家族、友人、音楽、仕事、芝居の勉強etc…。
これらはすべて、私から等距離のスタンスにある。
時と場合にもよるが、どれかがどれかに優先する、ということはあまり、ない。

私はこういった要素の円の中心に絶えずいる、ということになるわけだ。
いつも自分が中心にいて…。

それは私にとって突き放しているわけでもなし、近すぎるわけでもなし、
心地よい適度な距離にいるのだと思う。

しかしそれで良いのか?
つかず、離れず。
それはいつも孤独でいることを意味しているのではないか?

毎日楽しくやってるし、昔に比べて不満に思うことも少なくなった。
実際なにを置いても生きていることは良い、と思う。


でも、ふと考える時なんとなく寂しい気もするのだ。なぜか。



...




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