はじめてのヨーロッパ 〜その19 ウィーン3 - 2003年05月22日(木) 友人Uもこのホテルが気にいったようで、そこに泊まることになった。 しかし部屋は別。結局となりになったけど。 フランクフルトで実証したように我々は生活時間がくい違う。 …私は夜結構遅くまで本を読んだり、CDを聴いたりして朝が遅い …彼は夜はさっさと寝て、朝早起きして走りにでる という具合なので。 翌朝9時にレストランで朝ごはんの待ち合わせをし、一緒に食べてからすぐでかけた。 まずは美術館めぐり。 今年のあたま、東京にも来ていた「ウィーン美術史美術館」 これは建物がまず、古く由緒ありそうな上にかなり大きい。 「これぞ美術館!」という様相だ。 ただミュンヘンの時とは違い、かなり人も多かったのでそんなにゆっくり、というわけにはいかなかったが、それでもブリューゲルだとかムンクだとかえ〜と(あ〜!画家の名前って出てこないんだよなー。)見ごたえあるものがたくさんあった。 そしてすぐ近くにある「分離派美術館」。 私が見たかったのはこちらだ。 金色のキャベツ?がのったモダンな建物。 ここにあるクリムトの描いた退廃的な「ベートーヴェン・フリース」。 19世紀末から20世紀の初頭、いわゆる世紀末に活躍した芸術家たち、音楽でいえばマーラーやR.シュトラウスら。 そういう爛熟した“滅びの美”みたいな音楽は(ミュンヘンでみた「ばらの騎士」なんかもそうだ。)私を魅きつける。 その時期の美術も見事にそれに呼応していて、私はそれが見たかった。 実験室のような美術館だったが、これは強烈だった。 腐りかけ寸前のようなエロティシズムと悪魔的な退廃美。 あんまり長くいると気持ち悪くなるけど。 ウィーンはモーツァルトやヨハン・シュトラウスのワルツみたいに優雅で綺麗なイメージが大勢だろうと思うのだが、こうした陰のドロドロした面も多々あるのだ。 それは今のウィーンの人たちと接していても感じる。 一筋縄ではいかない芸術の都なのだ。 さてそのどよ〜んとした空気を抜け出ると、外はさわやかだった。 少々暑かったが。 昼ごはんを食べにいこう、と通りを歩いていると驚いた。 (これは書き落としていたが)モスクワでトランジットした折、一緒だったウィーンの音楽大学の講習を受けに行く、と言っていた女性2人組に出くわしたのだ。 「うわ〜、奇遇〜。ごはんでも食べませんか?」などとナンパのような風でみんなでお昼を食べた。 軽い感じのレストランに入ったのだが、そこの主人は「カツレツデモイカガデスカ?」と言う。 ウィーンでいうカツレツとはヴィーナー・シュニッツェルのことである。 日本のカツより薄く広く揚げたヤツだ。 でも昼は軽く行きたかったので、それは遠慮してパンとコーヒーにする。 ところでこの女性2人のことだが、私とUはヘラヘラ話を合わせていたがモスクワの時からちょっとウンザリしていた。 まあ、ウィーンに音楽の勉強に行くと言えば聞こえはいいが、要はカッコつけで自分の経歴に箔をつけたくてそんで自己満足に浸っているだけだ。 誤解はないように言っておきたいが、もちろん真面目に勉強に来る人もいる。 でも大体はそんな風で、この2人も明らかにそうだった。 Uなどは思いっきり「あのバカ女どもは…」とか(もちろん彼らがいない時ね。)言っていた。 話を聞いていると、それをますます裏付けるような浅いことばっかり言う。具体的な話は不愉快なのですっかり忘れたが、いやー逆に私は実に真面目に音大時代を勉強してきたな、と自分で感心してしまったくらいだ。 にもかかわらず、Uは彼らの日本での電話番号を聞き(その後連絡などしたのだろうか?) さっさと別れた。 いよいよシェーンブルン宮殿に行く。 車で行けばいいのに、またしても苦労して電車で行った。 まあ、それほど遠くはないけどね。 駅から歩くと、なんだか周囲からして雰囲気がある。 まずはイギリス式庭園のあの(ツゲ?)四角く刈り込んだ木の中の道を通っていく。 それを抜けると立派な宮殿があった。 そして敷地はものすごく広大。 元旦の「ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート」の生中継でいつも映る場所だが、テレビで見るよりはるかにのびのびとしていて、綺麗。 いやー、貴族さんや皇族さんはこういうところにいらっしゃったのですな。 いいな〜〜〜。 その時は宮殿の中には入れなかったのだが、そこにいるだけで十分満足。 私にとってはいよいよここが「はじめてのヨーロッパ」の最後の訪問地なのだ。 その宮殿から広い(広いなんてもんじゃない)庭を挟んで向こう側に(あれはなんだろう?)もうひとつ石の建物があるんだけど、そこに行こうとするとUは 「俺はここで寝る。お前一人で行って来い。」 「なぬ?なんで?」 「眠いんだ。それに俺はここ何度も来てるからな。」 贅沢なヤツ。 それにこやつ、さっきワイン飲んでたからな。酔っ払ったな。暑いし。 で一人でクネクネと庭の坂道を歩いていった。 広がる芝生、池、きれいなところだ。 てっぺんの建物のところ(城の残骸のようなところだった。)に着き、 ウィーンの街々を眺める。 なんだかここにきて急に旅の感慨がわいてきて、 そして帰りたくなくなってきた。 《つづく》 ... はじめてのヨーロッパ 〜その18 ウィーン2 - 2003年05月21日(水) ロンドン交響楽団のコンサートの余韻覚めやらぬ心と体であったが、 翌朝は早く起きて出かけた。 ところでウィーンのホテルでは朝ごはんが素晴らしく美味しかった。 同じドイツ語圏でもこうも違うかと。 まずパンが柔らかくちょっとスイート感。 全体に優雅な感じがあるのだ。 まず、街中へ出かけた。 有名なシュテファン寺院へ行く。 既に観光客でごった返していたが、天に向かってまっすぐに伸びる外観ももちろん中はとても厳かであった。 丁度その何年か前にモーツァルト没後200年のミサがあり、彼のレクイエムをゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルが演奏したところだ。 テレビで衛星生中継があり、背筋をのばして聴いていたものだ。 これは確かCDやLDにもなったはず。 そこから賑やかなケルントナー通りで色々な店をのぞきながらぶらぶら歩く。 伊勢丹デパートなんかもあってビックリした。 (あとでウィーン・フィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒルさんに聞いた話だが、ここはかなり色んなものが手に入りすごく便利とか。) あとウィーンに限らずヨーロッパのこういう通りにはアイスを売ってる屋台が多いのだが、これが美味しいのだ。 (ちなみにドイツ圏ではIceがEisというスペリングなのが面白かった。) それからワルツ王、ヨハン・シュトラウスの像(それまで白だったはずの像が金色になっていた。)なんかを見た。 ちなみにこの像と同じものが東京の葛飾区は青砥駅前に立っている。 あれは何度見ても場所的に違和感がある。 (「男はつらいよ」シリーズで「寅さん ウィーンに行く」というのがあったため(?)葛飾区はウィーンのどこかの区と兄弟提携を結んでいるのだ。) さて私はいよいよ12時に友人Uと待ち合わせをしている。 それまでの午前中、共同墓地に行くことにした。 この共同墓地にはモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、シューベルト… 西洋音楽史を飾る作曲家たちが皆ここに眠っている。 本当はバスか何かでいけるはずだったのだが、地図と首っ引きで電車で行ってみた。 ホントにここなのか?というアメリカ西部の荒野みたいに何にもない駅でおりたのだが、やみくもに歩いてみると簡単にあった。 広いところだし。 いやまじ広い。 そもそも普通の共同墓地なわけだからお墓は膨大な数あるわけだし、どこにベートーヴェンがいる、なんて地図があるわけじゃない。 森林公園の中という感じ。 かなり苦労したが、かなり歩くとお花が一杯供えてある大きなお墓がいくつかある。 あれかな?と思うと果たしてそうだった。 ベートーヴェンとかシュトラウスなんかのお墓はちょっと大きめだったが、ブラームスは実に地味だった。 シューベルトはこじんまりしていた。 ははは、音楽と一緒だ。 まあ、後の人がそういう風に作ったのだろうけど。 でも私はなんと言ってよいかわからない気分だった。 私が生涯をかけて勉強している音楽。その中心ともいうべき偉大な先人だちのお墓の前にいるのだ。 とにかく目をつぶって祈った。 そして感謝した。 あなたたちが残してくれた音楽で、たくさんの人が勇気をもらったり幸せになったりしているのですよ… とても良い天気で、私はしばらくぶらぶらしてからそこを後にした。 気がつくと11時30分くらい。 やべ! 待ち合わせに遅れる! お墓の前の比較的広い道にでたら、タクシーが何台かとまっていたのでそれに乗った。 ヨーロッパで乗ったタクシーはこれで2度目、そしてこれが最後。 (なんか乗る気がしなくてねぇ) ウィーン国立歌劇場の前に着くと、ピッタシ12時。 すごい暑かった。 お〜いU。いねーじゃねーか。 でも保険で3時と6時にも待ち合わせてるからな。いいか。 と思ったところ、向こうから手を振ってるデブが満面の笑みで近づいてくる。 「おーーーい! みゅう太ぁぁ〜〜!」 おー、ひさしぶり!!! 2週間ぶりに自分を知ってる人間に会えた! やっぱ嬉しかった。 「みゅう太、おめー生きてたじゃねーか。いや〜よかったよかった!ホントどこかで死んで手来なかったらどうしようかと心配でさ。よくここまで来れたな。」 「てめーが見捨てたんじゃねーか。」 「ま、そう言うな。 実を言えばフランクフルトで分かれて、いやーまずかったかな? もしおめーに何かあったらご両親に何て言えばいいんだ、とか思っちゃってさ。」 こういう奴なんです。ほんとに口が悪くて私をあれこれ批判ばかりするのだけど憎めない奴なんです。 だから今でもずっと友達でいられる。 「しかし、なんでお前コート着てんの?」 「いや、ロンドンに今までいたんだけど、超寒くってさ。」 でもこういう再会、本当に嬉しい。 Uはホテルをとってないので、じゃ私の泊まってるところがいいぞ、ということでアン・シューベルトリングに向かいました。 《つづく》 ...
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