はじめてのヨーロッパ その16 〜ザルツブルク4 - 2003年05月13日(火) さて、ザルツブルクでは夕食をどうしてたか? ところでザルツというところは旧市街と新市街からなり、駅は新市街で一般の住宅地はこちらにある。 そしてザルツァッハ河を渡ると旧市街。 こちらにメインストリートやモーツァルトの生家、音楽祭のメイン会場の祝祭大劇場があります。 当然、旧市街の方が賑わっており、食べるところもおみやげ屋さんもたくさん。 あのザルツブルク(とかウィーンで)といえば有名な、モーツァルトの肖像画に包まれた丸いチョコレートが至るところで売っている。 で、こっちにはマックも例によっていくつかあったのですが、流石にザルツブルクでマックは嫌だ。 (でもヨーロッパを歩いている間、マックは女神のように感じられましたよ。 困った時の何とやら。) ミュンヘンの時のようなセルフレストランのようなものはないかとうろついていると、ありましたよ! 「ノルトゼー」という赤いお魚マークが目印のセルフレストラン。 ノルトゼーとは「北の海」という意味だから、ハンブルクやはたまたデンマークあたりの海でとれる魚の料理でもいっぱいあるのかしらん?と思い入ってみたら、果たしてそうだった。 あとパエリアがあって、そろそろご飯に飢えていた私にはとても嬉しい。 モーツァルトの生家というのは、まあ人でごった返していて感慨に浸っているどころじゃなかった。 実際ありふれた展示がされた家、という感じだったし、またいつの機会かに。 それよりザルルブルクの市内で驚いたのは、音楽祭シーズンということで世界中のクラシックのメジャー・レコード会社(ドイツ・グラモフォンとかデッカ、フィリップス、EMI、RCA とかほんとにたくさん。)が出向オフィスをあちこちに出し、またどこに行ってもアーティストの写真やCDジャケットで派手ハデに飾ったラッピング・カー(?っていうのでしたっけ?)が走っている。 それこそ小澤征爾とかクラウディオ・アバド、ドミンゴとかパヴァロッティとかアルゲリッチとか。 彼らにとってこの音楽祭が一大マーケットなのだ、というのが歴然とわかる。 実際、色んな仕事相手に出くわしてしまった。 みんな日本から出張やら取材に来ている。 まあ、予想はしていたものの会いたくはなかった。 かなり目をそらしたりシカトこいたけど。 もう「あの方も!」「この方も!」「あいつも!」「こいつも!」 でも楽しいザルルブルクでした。 さて最終目的地ウィーンへと向かう。 音楽の都ウィーン。 今度はオーストリア内の国内移動ということになるので、電車はドイツ・バーンではなくオーストリア鉄道。 随分車内が汚くて、ドイツとはまたこんなところが違う。 さて私は無事ウィーンから出発することはできるのか? そして友人Uに会うことは出来たのか? (無事だったから今日本にいるんだろ!というツッコミはしないように。) 《つづく》 ... はじめてのヨーロッパ その15 〜ザルツブルク3 - 2003年05月12日(月) しかしザルツブルクという街はせまかった。 バスツアーで行ったザルツカンマーグートまででれば、のびのびとどこまでも〜、という感じになるのだが、街そのものは狭い。 そして盆地っぽく、ガケやトンネルが多かったりするので少し暗い感じがする。 私は3日間いたのだが、1週間もいたら気が滅入るかもしれない。 いくら音楽祭という期間中でも1か月いるには嫌だな、と思ってしまいました。 とはいえ、ここはモーツァルトの生まれたところ。 モーツァルトのみならずたくさんの作曲家がここで活躍した。 それに現在も演奏家の多くがここに居を構えている。 市内、というよりカンマーグート方面が多いようだが。 ところで私は天下の「ザルツブルク音楽祭」にひかれて(…といいつつまずはサウンド・オブ・ミュージックに心を奪われてしまった私だが…)ここへ来たのに、全然チケットがとれなかった。(― ―|||;) 巨匠ニコラウス・アーノンクールがモンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」を指揮していたり、名匠ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルのコンサート、それに現代最高のピアニスト、マウリツィオ・ポリーニのリサイタルがあったりしたのだが、ことごとくソールド・アウト。 さ〜すがザルツブルク音楽祭。 感心してる場合じゃないのだが、まあ急に決めたことだしここは仕方がない。 プラハでもそうだったが、こういう時期というのは観光者のために結構色々なところで小さなコンサートをやっている。 私はしばらくうろついていると「ドーム・コンサート」と呼ばれている教会でのコンサートにぶつかったので、プラッと入ってみた。 チケットもおばちゃんが入り口の前に机を置いて売っているような気軽さである。 結構、これがよかった。 オーケストラも「ザルツブルクなんたらオーケストラ」といかにもとってつけたような名だし、メンバーもこの辺在住の音楽家のよせ集めだろうと思う。 やった曲はモーツァルトの「ミサ・ソレムニス」だったが、やはりこういう中央ヨーロッパの音楽家というのは心身の髄までヨーロッパ音楽の奥深さ、自然を身につけているのだ、ということをほとほと感心した。 私たち日本人がイメージとして持っているヨーロッパの香りがにおい立ってくる。 そしてこのオーストリアの音楽家たちの音楽は、またドイツ人たちのものとは少し違って何と言うかより自然で柔らかい。 教会(ついでにいうと日本の教会は、九州の方に行けばヨーロッパ風の礼拝堂も多く見られるが、大部分はアメリカ風のものである。TV「大草原の小さな家」にでてきた小さな教会を思い浮かべてみると良いかも) のおごそかな空気も相まって、深い祈りに満たされたコンサートだった。 その晩はお城でやっていた弦楽カルテットのコンサートに行った。 レオポルド・カルテットといったか、ミュンヘンのカルテットということだったが多分私がミュンヘンで聴いたバイエルン州立歌劇場のオーケストラのメンバーたちと思われた。 城のコンサートといっても大広間とかそんな場所ではなく、ちいさな部屋で、ろうそくの明かりとほんの少しの電灯の下で行われたささやかなコンサート。 曲はベートーヴェンと(何番の弦楽四重奏曲だったかちょっと覚えてない。)シューベルトの「死と乙女」だった。 この人だちはさっき聞いたザルツブルクの演奏家たちとは違って、少しばかりカッチリした音楽をやっていた。 カルテット、というのは結構あわせることがまず難しく、「本当に良いカルテット」にめぐりあうことはなかなか、です。 このカルテットもかなりギクシャクしてたり、ゴツゴツして音楽がきれいに流れないな〜などとは思っていたけど、「死と乙女」みたいな深く沈滞した世界や、おそろしい迫真性を持ったこういう大曲になると、やはり日本人では絶対こうはなるまい、という奥の深い演奏を聴かせてくれた。 ところで私の横に日本人の顔(?)をしたおばあさんが座っていたのだが、思い切って話しかけてみた。 「良かったですねー!」 「What?」 ありゃりゃ、日系の人だったか。 しかしそのおばあさんはゆっくりとした英語でその後色々話してくれたのだが、ニューヨークから来た、ということだった。 その更にとなりにはそのご主人がおり、話に加わってきた。 アランさん、という方でバケーションで3週間のヨーロッパの旅だそうだ。 「君は学生?」(外国にいると日本人て子供っぽく見えるんですよね。)とか「どこ行ってきたの?」とか聞かれ、「プラハとかミュンヘンとか…」と話していたら 「それはどこ?」と聞かれた。 「へ?」と思ったのだが、しばらくカタコトで話していると、成る程、英語では「プラハ」とか「ミュンヘン」って言わないんですよね。 それぞれ「プラーグ」「ミュニク」と言うんです。 そういえば、空港でそんなアナウンス聞いたなぁ〜。 それからアランさんに「せっかくだから一杯飲みにいきませんか?」と言われ、ご一緒させていただきました。 私は滅多にこういういきなりな誘いはお受けしないのですが(気が小さくてね。) とても良さそうな、落ち着いた老夫婦だったので。 楽しかったですよ。 「え〜夏なのに2週間しか休みが取れないの?」と言われ 「2週間でも多すぎる、と言われてます。」と答えたら、 「日本は大変だねぇ。」とため息をつかれてしまいました。 《つづく》 ...
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