天に召されたある大先輩 - 2003年05月09日(金) びみょーに日記のタイトルを変えてみました。 あまりたいしたことではないのですが、私の書いてることってこりゃ日記じゃねーな、と思ったので。 さりとてコラムでもないし。 他の方のBBSに書き込んでるのと、なんら違いがないような気がしたのでこんな感じにしてみました。 でも気まぐれだからまた変わるかもね。 で、今日はザルツブルクの続きの筈だったのですが、すみません、また違う話にさせて下さい。 それも少々寂しい話です。 私たちクラシック音楽業界の大ベテラン・マネージャー、高柳増男さんがガンで5月6日にお亡くなりになりました。 高柳さんは70年代くらいから高柳音楽事務所をはじめられ、一時期それはもう一級の、それも個性的で素晴らしい海外アーティストを招へいなさっていて、小さいながら名の通ったマネージメント活動をなさっていました。 今でこそそのアーティストたちはもっと大手の事務所が招聘していますが、例えばピアニストの巨匠アルフレッド・ブレンデル、ショパン・コンクールを破格の演奏のため落選したのに関わらずその天才は今や押しも押されぬスターとなったイーヴォ・ポゴレリッチ。 今は指揮者としての方が有名ですが、当時は「リコーダーのパガニーニ」と言われ一世を風靡したフランス・ブリュッヘン。 そういう凄いアーティストたちをいち早く目をつけ、日本公演を実現して下さった方の一人。 私も学生時代、ブレンデルやポゴレリッチのコンサートのチケットを買いたくて、高柳音楽事務所によく電話しましたよ。 私がこの業界に就職したころ、音楽事務所同士で集まって「クラシックの日」の集い、とかそんな「クラシックをもっと聞いたことない人に聴いてもらおう!」みたいな催しがありました。 入りたての私は同期の奴らとそういう会議に参加させられ、そんな時に色んな事務所の社長やらベテラン、大御所とよばれる人、色んなスタッフと知り合ったものです。 そんな中に高柳社長は名物的な感じでいつもいらっしゃいましたね。 亡くなったのが62歳というから若かったのになあ、と思うとともに今思うと「え?じゃあの頃はまだ50くらいだったのか!」とビックリ。 元気な方、というイメージはあったけど結構おじいさんぽかった。 苦労したんでしょうね。 私は高柳さんとそんなたくさんお話した訳ではないし、その後もそんなに親しくなった訳でもないけど、いつも元気で「こんなことやろう、あんなことやろう!」と仰ってた姿と、 事務所の垣根関係なく、それまでみんなでこの音楽界支えてきたんだ、という連帯感を持ってベテランの方々が目をキラキラさせながら頑張っているのが何より印象的でした。 …というか羨ましかったです。 今は「クラシック音楽事業協会」って立派なものができて、各マネージメント・オフィスが所属して色々な委員会とかをやってるけど、あの頃みたいな夢とか「やるぞ!」って勢いはない。 もちろん今まで音楽活動をするのに立ちはだかっていた障害をとり除く、とかそういうことに努力してるわけだけど、何か違う。 特に丁度私から年下くらいのスタッフは違うんだよなー、何かが。 横のつながりも、まあ飲みにいったりする連中はいるんだろうけど、そこで音楽界への夢を語る、とかクリエイティヴな話が生まれる、なんてことはないみたい。 かくいう私なんかは人付き合いの悪い人間だから、よっぽど気のおけないスタッフとしかメシ食いに行ったりもしないけど。 どんな分野のことでもそうだと思うのですが、黎明期、というのはすごくいい時期だと思う。 もちろん色々大変だとは思うんですよ。 整備されてないシステムが多くて、こうやりたくてもできない、ってことが多いですしね。 でもその分、同じ志をもった人間が集まって何かを創る、って雰囲気が充満している。 (プロジェクトXなんかでよくそんなエピソードをやってるじゃないですか。) 私は20代前半、ベテラン・マネージャーたちの昔話や、大先輩が「どこどこ事務所の誰々やどことかオーケストラの誰々と昔はこんなことやってさ〜。」とかいうのを聞くと心底羨ましかったものです。 今の自分たちにはそんな雰囲気は全然ない。(少なくとも私の職場には。) そんな空気から新しいものが生まれ、今私たちが仕事をしてる基礎を作ってくれたんですよね。 高柳さんはそんな時代を代表する一人でした。 もう数年前に高柳音楽事務所は倒産し、その後高柳さんの姿を何度か見ましたが「倒産」というのは私なんかには想像もできないほど大変なことだと思う。少し気が変になってるようで大声で意味のわからないことを叫んでいたりして、とても痛々しかった。 ただ高柳さんがいなくなった、っていうのは私にはとても寂しい。 それになんだか一つの時代が確実に終わっていく、って気が私の気を重くする。 私の同期たち、もう今はみんな違う事務所やホール、レコード会社だったり色々。 でも奴らとは結構今でも定期的に会うし、色んな話ができる。 私の周りで職場が変わってもそういうつながりを持ってる人間はあまりいないらしい。 だから大事にしたいと思う。 そしていつかみんなで、いい音楽がいっぱいで人々が笑顔でいられるような社会であるように、ほんのちょっとでも種まきができたらな、と思う。 高柳さん。 どうか天国で楽しくしていてくださいね。 ... はじめてのヨーロッパ その14 〜ザルツブルク - 2003年05月08日(木) 連休中、日記をサボッてしまいました。 休みっていっても、結局2日しか休めず、まあどっちにしても国民一般休みは飛び飛びで「どこがゴールデンなんだよ!」って感じだったから良いのだけど。 仕事してる時の方が文章って書けますね。 休んでるとなんだか面倒くさくなっちゃう。 なんでだろ? 仕事しながら逃げ道求めてる、って感じなのでしょうかね? さてザルツブルク。 ホテルのフロントに「サウンド・オブ・ミュージック・ツアー」というパンフがあり、それに胸躍らせた私。 部屋に入って真っ先にそれに目を通しました。 なんでこんなにワクワクしたか、といいますと、 私は映画「サウンド・オブ・ミュージック」の大ファン。(キッパリ) 遡ると、父が文化の香りもないような僻地出身の田舎モノのくせにどういうわけだか少年時代から熱烈なミュージカル好きで、私は幼い頃から「マイ・フェア・レディ」だとか「サウンド・オブ・ミュージック」のサントラなんかを聴かされてきた。 もちろん映画も観に連れて行かれた。 まあ、私もそういう好みの素養があったのでしょう。見事に父に洗脳されまして、「サウンド・オブ・ミュージック」は私の好きな映画ベスト3に入る。 ザルツブルクはまさにこの映画の舞台です! パンフにはやれマリアとトラップ大佐の結婚式の教会、とかここで大佐がエーデルワイスを歌った、とかもう行かないワケにはいかないじゃないかー!というものがいっぱい書いてあります。 「これは行かずば一生後悔モンだな!」 フロントに行って、ほとんど勢いですね。 「I want to joy this!」とかすごい短絡な言葉を使ったことをよく覚えてます。 そしたら翌朝、ロビーに居れば迎えにきてくれるそうです。 それでその日は市内を散歩したのですが、すみません、その話は明日…。 まずは「サウンド・オブ・ミュージック・ツアー」の話を。 朝食を食べ(オーストリアに来るとドイツとは食事の味が全然違う。美味しい!パンも柔らかく甘いものが多い。 柔らかい、といえばドイツ語自体、オーストリア人のアクセントが柔らかい。「ブ」が「フ」に近くなる。) ロビーで待っていると、マイクロバスがすぐ来ました。 インド人が乗っているのでちょっとギョっとしましたが、その人たちは別のツアーで、マイクロはミラベル広場の近くの大きな駐車場でとまりました。 大きなバスが何台も待っていて、「ここが○○ツアーだ。あっちは△△ツアーだ。」と係のおじさんが旗を振っている。 ハトバスみたいなものですな。 さて私の乗るバスツアーは乗ってみると見るからにアメリカ人ばっかり。 なんとなくそう思ったのですが、後でその見立ては正しかったことが証明されます。 どう見てもヨーロッパの人々はいない。 まあバスの中は賑やかでした。 そのうちバスは市内を出て、ザルツブルクカンマーグートとよばれる郊外の田園地帯、湖のたくさんある山岳地帯に入ります。 いや〜〜〜、まるで絵葉書でしたね。 日本とは違って山並みはゆるやかで、目に優しげな淡い緑が広がる。 かわいらしい素敵なロッジ風の家がポツリポツリと立っていて、私たちのような者にはなんだか浮世離れ、って感じ。 バスの中の賑やかさはますます度を越し、またガイドがアメリカ映画にでてくるDJのような奴でずーーーっと「イエ〜〜!エブリバディ〜〜!」みたいな感じだからちょっと疲れたけど、楽しかった。 「レッツ・シング・ソング・オブ・ドレミ!」とかいうことになって、アメリカンたちと歌いましたよ。大声で。 (あとで友人Uにこの話をしてどれだけ笑われたか…) それで色々なところをまわりました。 あの「You are 16…・♪」と、何と言ったっけ、あの若い恋人たちが夜2人で歌うところ。 あの白いあずまやがあるんですよ。 そこでお年寄り夫婦が代わる代わる何組もそこに入って写真を撮ってる。 私も何度もシャッターを押すのを頼まれましたが、すごく微笑ましかったです。 あの古き良きハリウッドの傑作「サウンド・オブ・ミュージック」は未だにアメリカ人の夢やノスタルジーなんだなぁ、ってひしひしと感じちゃいました。 私だって感激です。 それからモントゼーという湖。 ここにはマリアとトラップ大佐が結婚式をあげた教会がある。 映画のシーンはよく覚えてましたからね、「おおっ、これじゃないか!」 中にも入りましたが、なんだか涙ものでした。 このモントゼーの広場で自由時間だったのですが、なにしろ日本人、というか東洋人は思いっきり私一人なので、ポツンとしてましたが、日本と同じでおみやげ屋さんとかいっぱいあったので退屈はしませんでした。 売ってたアイスも美味しかったし。 そのうち、若いアメリカ人の兄ちゃんが話しかけてきました。 ヨーロッパにいるとよく言われたのですが、そいつも「君は韓国人?」と聞いてきました。 「いいや、日本人」 「そっか、この映画好きなの?」「いやー、大好きでさー。」 何言ってるんだか半分もわかんなかったけど、やっぱりアメリカ人ってヨーロッパの人間とは少し違う。 人にもよるとは思うけど、アメリカ人ってなんか前向きなんですよね。 理想とか希望を信じてて、楽天的。未来に向かって歩くぜイエ〜イ!みたいな。 その点、ヨーロッパ人は「斜陽」っていうか彼らの文化はいくとこまでいっちゃってんのかな〜?って感じがする。 よく言えば落ち着いてるのだけど、なんだか終末を待っているような雰囲気もしてしまう。 約5時間のバスツアーでした。 楽しかった。 さて、本文である音楽祭やモーツァルトの生家とかを見にいかなくちゃ。 《つづく》 ...
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