ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

はじめてのヨーロッパ その8 〜プラハ2 - 2003年04月21日(月)

なんだか凹みがちな気分も一晩寝れば変わるもの。
プラハでの朝は爽やかで、屋根裏部屋からポカポカした日差しの中、質朴な家並みがゆったりと並んで見えます。
ヨーロッパに来てから気温は20度ちょっと、空気がなにしろ乾いているので汗もあまりかかないし、快適そのもの。
7時くらいに掃除のおばさんがいきなりカギあけて部屋に入ってきて大いに驚いたけど!

ホテルの朝ご飯はこれまた質素でしたね。
すごく固くて味のないパン。でも紅茶が美味しかった。

私がプラハに行きたかったのは、
ヨーロッパで一番美しい都市だと聞いていたから。
私の最も尊敬する音楽家の生まれ育ったところだから。
ドヴォルザークやスメタナのいたところだから。
そして中学校の時に歌ったスメタナの「モルダウ」をこの目で見たかったから。
…です。

ホテルから今度はトラム(市電ね)に乗り、またプラハ中心部にでました。
駅に行き、すぐそばの小高い丘に壮大で立派な青銅色の博物館、様々な彫刻で装飾された、歴史の重みをずしりと感じさせる建物があるのですが、そこから街を見渡してみる。
うわ〜〜ニュルンベルクどころじゃない! 中世の雰囲気がぷんぷん。
札幌の大通り公園の倍くらいの幅がある通りがまっすぐに広がり、その脇には古いけれど石の清潔な建物が並んでいます。

その先に歩いていくとヴァーツラフ広場という大きな広場があり、その真ん中にはヤン・フスというキリスト教の中でも、特に意志の強い、真実のためにあくまで悪と戦ったという「フス教」とまでよばれた中世チェコの教祖(?こういう言い方が正確かどうかわからないのですが。)の像があります。
よくプラハの観光写真でも見られますが、このヤン・フス像のまわりには若い観光客がみんな座り込んだり、寝そべったりしていました。

ところでプラハを歩いていると、チェコ人というのはドイツ人とはかなり違うのに私は興味津々でした。
非常に大人しい。
暗い、覇気がない、というわけではないのですが、黙々と歩いている人が多い。
そしてみんな目が澄んでいて、その聡明そうな目でなんだかじっと観察されているような感じがします。
それでいて、ちょっと私が例えばトラムの乗り方でマゴマゴしてたりすると、すっと横に人がきてニコッとしながら静かにアドバイスしてくれたりして優しい人が多い。

私は最初そんな感じが不思議だったのですが、あの「ビロード革命」とよばれた1989年の無血で勝ち取ったチェコ民主化のことを考えると、ああ、こういう人たちだからこそ冷静にじっとそれまで長年の、それこそ68年の「プラハの春」やさらにそれ以前からの共産圏からの圧迫を耐え抜いた末に、静かにそして強い意志を持って民主化にこぎつけたんだ、と頭の中がすっと霧が晴れるような気がしました。
もちろん、そんなわかった気になっちゃいけない。
でもプラハの人たちの顔、フス像、それに私の知っているチェコの音楽家 ― 例えば指揮者だったらオーケストラを無理やりあおったりせず、ある抑制をもって音楽を客観的に創っていく、その演奏する人間の個性よりもその曲の良さを尊重する姿勢を持った人が多い − を思い浮かべるとなんだか納得がいくのです。

…などと考えながら歩いているうちに目の前にモルダウが広がってきました。
有名なカレル橋の上に立ちます。
モルダウだ!! これがあのモルダウ!!!

「モルダウ」というのはドイツ語で、本当はブルタヴァ河と言います。
しかし、ああ、中学の頃歌った河はこれなんだ。
ここに来れるなんて当時は夢にも思ってなかった。
私はこればっかりはやったら絶対恥ずかしいぞ!と思っていたのですが、やっぱり抑えられなくて、橋の上でモルダウを歌ってしまいました。(>y<)
でもこの気持ちわかってもらえるでしょう??
川沿いに見える古都の情緒…。

それだけに去年ヨーロッパの洪水でこの河があれだけ氾濫したのをテレビで見た時は、本当にビックリしましたし、悲しかったです。

橋の上で絵を書いているオジサンがいて、話かけてきました。
「日本人?」
「はい。いやここに来れて感激してます。」(英語の通じる人だった。と言っても私は単語並べてるだけだけど。)
「日本人ってここ好きだよね〜。いつもはここ日本人だらけになるんだけど、今日はあんまりいないな。」
「…そうっすか。」
「橋の脇に立ってるあの端の像みてごらん。日本人の像があるから。」
橋には等間隔で色んな人間の銅像が立っています。
「え?これちょんまげしてるし、刀さしてるから侍っぽいけど、でもヒゲが変だし刀は中国刀っぽいんだけどこの人は一体…」
どうも日本人というのはどこに行っても把握しそこなわれているような気がする。

この日私はスメタナ博物館とかプラハ城とかドヴォルザーク博物館を回って、夜は教会でやっていたミニ・オーケストラのコンサートを聴きました。
まあ、いかにも観光客用、という感じではありましたが、何でしょうね?やっぱり本場で聞くとなんだか楽しめる。
仕事を離れてるからですかね?

その後はマクドナルドでハンバーガーを食べて(またかよ!)ホテルに戻りました。

…だってドイツ以上にちゃんとしたレストランは一人じゃ入りにくいし、居酒屋は市民の労働者ばっかりで仕方なかったんっすよー。

《つづく》



...

はじめてのヨーロッパ その7 〜プラハ1 - 2003年04月18日(金)

昨日書き損ねたのですが、外国を一人旅していると一番困るのは夕食をどうするか。
今でこそ「まあ、こんなとこならいっかー。」というような軽いレストランに入ったりはするけど、やっぱりヨーロッパでは少し良さげのレストランには一人では入りにくい。
ホテルのでもやはり夫婦やカップルでないとどうも敷居が高い感じがする。
ホイリゲや飲み屋にもこれまたドイツ人のデカイおっさんたちがワイワイやってる中に一人、というのはう〜ん。
朝はホテルでビュッフェだし、昼は街のどこにでも屋台があるからそこでホットドッグとコーラとかで全然OKなんだけど。

…というワケでニュルンベルクではマクドナルドでした。
ホテルの前にマックとバーガーキングが隣あわせで(良いのか?って感じ)並んでるんですよ。
ヨーロッパのマックってどこに行っても綺麗でしなのが印象的でした。

翌朝は5時起き。
6時のプラハ行きの電車に乗らなければならない。
ところで、よく外国旅行をする人は夜行で寝ながら移動する人が多いですよね。
まあそれは、できるだけ目的地で長い時間遊びたい、ってことだからよく理解できるのですが、私にとっては車窓からの景色をぼんやり見てるのがすごく好き。
私の旅行の醍醐味、ここにありなのです。

それにしてもドイツの電車は時間通りに来てくれて嬉しい。
よく友人からやれイタリアでは2時間遅れて来てなんの説明もない、とかフランスでは早く出ちゃって乗り損ねた、とか聞いてたので、ドイツっていうのはつくづく真面目な民族なのだな、と感心です。
私の乗る列車には「フランツ・カフカ」という名前がついていました。
おー、いかにもチェコに行くという感じ。
国境を越える国際列車なので、フランクフルトから乗った列車より中は広くて重厚な雰囲気です。
朝早くて何も食べてないし、プラハまで8時間もかかるし、途中車内販売とかあるのか全然わからないので、とりあえずホームでパンとコーラを買いました。

結構席はいっぱいで(早く行って良かった…)隣には貴婦人風の大きなおばあさんが座りました。
そのおばあさん、時々話しかけてこられるのですがドイツ語オンリー(ドイツでも若い人はかなり英語教育が徹底しているようで、英語もほぼOKなのですがある年代以上の人はそうはいかない。)なのでたまに「ゼア・グート(very goodね)」くらいはわかるのですが、なんだかさっぱり。
でもドイツ人ってみんな良い人たちです。わかんなくても楽しかった。

8時間は私には全然苦にならないのですが、ひとつ緊張してたのが初めての国境越え。
どういう感じなのだろう? どんなチェックを受けるのだろう?
とりあえずパスポートはいつものごとくシャツの中に首からぶら下がってます。

この日は雨。田舎のぼわっとした風景を眺めて過ごすこと3時間くらい、何もないところでゆっくりと列車が止まりました。
「なにかな?」と思っていると外がガヤガヤしてきて、突然ガラッとドイツ兵士が車内に入ってきました。
「パスポート、プリーズ!」
やっぱり怖いものがあります。銃や剣を持ってますしね。
そんなはずはないけど、それで撃たれたりしたらそれで終わりだし。
まあ私はビクビクしながらも無事終わりました。
バックパッカーの若者たちなんて慣れたものです。ああなりたいなぁ、などと思っていると、ちょっと前に座ってるアメリカ人の2人組の女の子、
「Hey!」とかはしゃぎながらTシャツをガバッとまくりあげ、ブラジャーまるだし。
「おおっ!」ブラの少し下にパスポートが巻いてある。
スゲーな、アメリカ娘、と驚いてる前でドイツ兵はニコリともせずに「OK。」
この対比がなんとも言えなかった。

でも日本人でいるとまあ、ここまでが日本とかよくわかるけど、陸の中に線が引いてあるっていうのはやっぱり不思議。
これなら毎日ちょっとずつずらして領土増やしたってわかんないじゃねーか?
でもそこに兵士がいて、う〜〜ん、なんだかどう考えていいのかよくわからないっていうのが正直なところです。

国境を越えると、一段と木が多くなって深く暗い森に入っていきます。
だから、というわけではないですがいかにも西側から(旧)東に入ったという感じ。
なんか雰囲気が暗く、さびれているという感覚なんですよね。

そのうち今度はうす緑の草原が多くなってきて、田園風景に変わってきました。
プラハが近いんだな、と何となく思っていたら、ほどなく都会的な建物が増えプラハに着きました。

チェコ共和国の首都にしてはあまりきれいでない駅だな、と思いましたがやはり構内は広い。
ただ雰囲気のあやしい、そして危険そうな臭いのする輩がたくさん歩いている。
「怖いな〜。(ホント臆病です)」と思いながらまた“i”のマークを探す。
「あった、あった。」 まずマルクをチェコ・クローネに両替。(当時1クローネが4円くらいだったかな?)
それからホテルについての情報を聞こうとしたのですが、どうもチェコ語のようなドイツ語のような英語でさっぱりわからない。
「うわー、どうしようー」と困っていたら、後ろに日本人の青年が立っていました。
「ホテルはチェドックに行かないとまずとれませんよ」
「あー!チェドックですか! (そういえばそんな話を「地球の歩き方」で読んだ。)」
「一緒に行きませんか?」「助かります。」

チェドック…それはチェコ航空の機関の名前でホテル関係はここがほとんど仕切ってる。
プラハは慢性的なホテル不足(今はどうなのか?)なのでチェドックはマージンとりまくりだし、ホテルに飛び込みで行ってもまず泊まれないと本に書いてありました。

この青年と一緒にプラハ駅をでて10分くらい街を歩くと、小さなオフィスがありそれがチェドックでした。
たくさんの旅行者が並んでいます。
またそこの係が随分威張ってる。
私と一緒の青年は英語ペラペラ、とまではいかなかったけど随分アクティブに喋る男。
なんだか激しく交渉した後、「ちょっと遠いけどわりといいとこがとれました。」
私の番。
話を聞いてるとやけに高い。中心地だと1泊15000円以上ばっかし。
「無理!無理!」と言ってると「じゃあ、ないよ」と冷たく言われるし、
ほんとにいっぱいなのか? 気持ちは疑いだらけだったけど粘っていると
「少し遠いが、その予算でシャワー付のところがある。」との答え。
もうこれ以上話てるのが面倒くさいのでOKしました。

しかし場所を聞いてると本当に遠そう。
「トラムに乗って行ってくれ。」というので「What is トラム?」
するとさっきの青年が「市電のことですよ。」

しかし市電っていってもどうやって乗るのかよくわからない。
ターミナルでじっと観察していると、客は単に勝手に乗ってるとしか思えないし、これに乗ってホントに着けるのか?それに降りるところもなんだかチェコ語のよくわからない地名だったからとっても不安だし。
そんでもってタクシーで行くことにしました。
しかし外国でタクシーに乗るのも初めて。

いったん駅に戻ると、ちょっと危険な輩が近づいてきます。
「うわー、来ないで、来ないでくれ!」と祈る気持ちも空しく、奴らは私を囲みニタニタしながら英語らしき言葉で話しかけてきます。
でも何言ってるかわからないし、怖いし、そのうち「Acommodation」という言葉を繰り返しているのに気がつきました。
恐る恐る「What is accommodation?」と言うと、彼らは急に唖然とした表情をしてクルッと向きを変えるとそのまま去って行ったのです。
とてもこれは謎だったのですが、あとでUに会ってその話をしたら大笑いされて
「絶対、それはみゅう太に恐れをなしたんだよ。」
「なんでだよ?」
「acommodationnという言葉を知らずに外国を一人で旅行してる奴なんて考えられねーよ。」
「てめーが置き去りにしたんじゃねーか。」

こういうことだったようです。

今度はタクシー乗り場で、これに乗って誘拐されて変なところに拉致されないだろうな?とかそれも不安(← マンガの読みすぎだ。)
一人、タクシーの運転手でいかにも人が良さそうな人がいたので、そのタクシーに乗ることにしました。
その通り人は良かったのですが、やはり英語はダメ。
でもこのへんの人はドイツ語は少しわかるらしいんですよね。
それはまさしくドイツに占領されてた歴史からくるもの。(だから当然ロシア語もわかると思う。)

着いたホテルも同じ状況でした。
英語喋れる人がいないんですよ。
どうなるんだ。これから。
しかも屋根裏部屋で、シャワーは廊下で共同で。
なんだか惨めな気分になってきました。

《つづく》



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