ひぽこんコラム

2016年06月20日(月)

 ここのところずっとお店が不振で、お昼はお客さん来るのだけど、夜になるとパタっと来ない。。。

 元々安い店じゃない。

 でも、世の中、高くてもおいしい店には人が来る。ここも、まずい店じゃない。いや、おいしい店だとは思うんだけど。。。

 でも、お客さんを呼ぶのは大変。

 なので、昨日は対策を色々話し合う。話し合うが、根本的な部分、シェフが頑固すぎて、妥協しないというか、理解してもらえず、中々に難しい。ううううむ。

 なんか、マネージャーとアーティストの気持ち。

 「おい、これをやったらヒットすんだから、やれよ」←オレ。

 「うるせぇ。オレはオレの歌をうたい続けるんだ。オレの方法でっ!」

 みたいな。。。

 とほほ。。。世界中のマネージャーの気持ちがわかる、なう。

 何せ、元々あった看板メニューを今、作ってないのだ!!

 どうしてやらない?と聞いたら、あれこれ言うが、けっこうギャフンだった。。。。

 そ、そんなことか??と。

 なので、その、あれこれ理由を前提にした小手先の技を色々考える。素人なりに、いや、素人だから、素人目線で、こうだったらいいなぁみたいのを考える。

 提案する。

 これからそれを幾つか、少しずつ小出しにしていくが、どうなるやら。

 阿佐ヶ谷も昔はお店もなくてのんびりやっていけたが、今や次々レストランもオープンし、老舗、なんていったって、路地にある小さな店。いつだって忘れられ、捨てられる。

 みんな新しいとこが好きだし。

 ところで昨日から胸に選挙ステッカーの缶バッジをつけて働いていた。小塚類子さんという女性イラストレーターさんが描いて、作ってくれたバッジ。うれしい。おしつけがましくなくて、かわいいのです。

 しかし、和田、店で一人電通してます。

 やれやれ。

追記:このあいだ、お店にかなりぶっ飛んだ女性が旦那さんと来てて、どうやら大金持ちなんだが、しかし、何をしても、何を言っても、何を食べても、胸の前で手を組んだり、両手を頭の上に揚げてひらひらさせて「しあわせですね!」と超笑顔で言う。すごい。。。すごい威力だ。う、うん。この旦那さんはこれと延々付き合ってんだな、と感無量に。以来、店では「しあわせですね!」がはやってんだが、言ってると、あらゆることが飛んでいくので、意外といいのかもしれない。しあわせですね! なにもかも破壊するキーワード。必ず手振りをつける。しあわせですね! 

2016年06月13日(月)

 ツイッターで誰かが空を見上げて、「あ、晴れてきた」とつぶやいていたのを見て、いい言葉だと思った。

 これをタイトルに何か書けないかなぁと妄想中。

 

2016年06月09日(木)

私は別にピーター・バラカンさんに対して何ら感情もない1音楽ファンなのだが、こう、メディアのバラカンさん信仰みたいのが、なんかむずがゆいのだ。

 音楽関係者にこのことを言うと、まあまあとたしなめられるのだが、それもなんか、こう、むずがゆいのだ。

 バラカンさんとは何度かお会いしたことあるし、お話もしたことあり、とても紳士的ないい方だからご本人には何ら落ち度もないし、本当に音楽がお好きなんだろうなと思うが、でも、正直これまでバラカンさんが書いた素晴らしい音楽評論というのは読んだことはとりたててない気がする。ハッとする、この評論があるから、この音楽の魅力が倍増した!みたいなの。

 素晴らしい評論はそれが評する作品自体と同じくは、時にはそれを上回るほどの発見やらがあると思う。

 そういう素晴らしい評論をする先生方は音楽関係にだってほかにもいる。

 でも、メディアはなんかこう、音楽を選ぶなら、いい音楽を語るなら、やっぱ、そこはバラカンさんでしょう? みたいに安易に選んでないか?と思ってしまう。

 ほかにだって素晴らしい音楽を選んでくれる、すばらしい言葉で音楽を語ってくれる先生はいるけど、そんなのいちいち探すのめんどうだし、カメラ写り映えないしぃ。みたいな?

 なんかこう、ぱぱっとかんたんに選べるバラカンさん、みたいになってやないか? バラカンさんのコンビニ化?みたいな???

 なんか、バラカンさんが音楽に真摯であるのに逆行して、バラカンさんに頼んでおけば、というメディア側は、ぜんぜん音楽に対して真摯じゃないって気がしちゃう。

 和田さん、それは嫉妬じゃない?とか言われるかもしれないが、私自身、もう全然音楽関係の人間だと自分を思ってないし、自分が今真剣に考えてることは「どうしたら店に人を呼べるのだろうか?」だしw 正直音楽より相撲だし。

 ただ、そういうメディアの怠慢が、ぜんぶのメディアの怠慢にもつながってるような気がして。なんか、はがゆいのだ。

 ・・・とか書きながら、今、むくみがひどくて、足に温熱器当ててる。。。じゅうう。。。。

 

2016年06月08日(水)

今日から、今日が人生最後の日、と思って生きることにした。

 そうすればうじうじしないかなぁ?と。

 今日が最後なのだから、最後は楽しもう、と。

 そんな感じです。

 明日はない。常に。

 うん。

 でも、本当に明日はないんだよね、誰にも。ないというか、わからない。今日出かけて、そのまま死ぬ人はたくさんいる。

 だから、そう思います。

 明日はない。今日かぎり。

 では、バイトへ。。。

2016年05月31日(火)

体調も今一つで人生に倦んでる今はまた色々嫉妬深くなっている。

 うちのすぐ側に都営団地が何戸もあるんだけど、そこはたいそう古いが、しかし私が今払ってる家賃の半分で、今より倍はある部屋に住めるはずだ。もし、私が子供がいたりして、運が良ければね。

 で。そこにインド人の家族がけっこう住んでるのを見て、う〜むとなってしまった。

 こういう発言は人種差別になるからいけないと分かってはいるが、どうしてインド人家族は住めて、私のような単身者は住めないのか?と思ってしまう。私の方がずっと長く都民税払ってきてるのに、ってさ。

 向こうは家族がいるから、ってだけの理由で。そりゃインド人だけじゃなくて、日本人もいっぱい住んでるんだけど、でも、インド人は目立つから、ついつい、倦んだ目で見てしまう。

 都営住宅もいろいろで、僻地にあるとこもあるけど、うちの近所の都営住宅は鷺ノ宮駅のすぐそばで、すごい便利だし、環境もいい。

 とても住みやすそう。

 でも私のような結婚もできない貧乏なバカ女は、そういうとこには住まわせてはもらえない。以前、中野区役所に聞いたときには、病気になりなさいと言われた。すごいよねぇ、中野区役所は。

 都営住宅に入れる単身者は60才以上、病気、貧乏、だけ。あとは家族がいればいい。でも、応募するから、めったに当たらない。あの宗教団体に属しているとけっこう当たるようにしてもらえるのは前に聞いたことがある。

 ちなみに都営住宅は石原都政以降、一軒も新設されてない。マスゾエちゃんも建ててない。オリンピックのためのあれこれは作るが、都営住宅は一軒も新設しないのだ。

 もう、私のような結婚もできない家族もいないお金も仕事もろくにないバカ女は、ホームレスになって早くのたれ死んでください、ということなのだ、日本国。

 日本死ね、というのが話題になったが、子供いなくてもなんでも、日本死ねは同じ。

 イギリスに行くと公営住宅がものすごい数あるのを見る。貧乏な人はみんなそこに住んでる。

 労働者階級はたいていそういう家に住んでる。

 もう、ほんと、日本、最悪だ。。。

 倦んでるから、もう、最悪だよ。ほんと。

 そして私の人生も、どうしてこうもくそったれなんだろう。くそったれなまま、もう6月だよ。

 くそったれ。

 
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