ひぽこんコラム

2013年10月06日(日) 火事

 いつも、「ひぽこん」を読んでくださっているみなさまへ。
 昨日、ライターの和田靜香さん(48歳)が亡くなりました。火事のため、煙に巻かれてのことです。

 。。。と、なりかけたんだ、昨日の夜っ!!!!!!!!!!

 昨日の夜、寝ようとしていつものように睡眠薬を飲んだのに、何を思ったか、急に、そうだ、明日の朝のご飯を炊いて、でも、ホットケーキも食べたい気がするから、ホットケーキも焼いておこう!

 なんて思った。急に。

 そしてご飯を炊きながら(土鍋)、ホットケーキを焼いた。

 完成。

 。。。のつもりだった。しめしめ、これで朝、どちらか好きなほうを食べてバイトに行こう!と考えていた。

 寝たのは12時ごろ。ところが3時ごろ、足がしびれて目が覚めた。血のめぐりの悪い私。

 ボオオとした頭で「水での飲むか」と台所に行くと、ピーピー音がして、ガスレンジが光ってる。

 あれ????

 睡眠薬のせいで頭がボオオオとしてる。

 何だろう?

 見ると。。。。

 マジかっ? ウソッ?????

 なんと、ホットケーキの火がつけっ放しだった。。。。

 細い火。

 でも、今のガス台は、一定の時間、温度に達すると自然にガスが消えるようになってる。ガスも漏れない。

 私。。。。。。。睡眠薬でボオオオとした頭でホットケーキ焼いて、焼けたと思って、ガス止めず、そのままだったんだ!!!!

 もし、ガス台が昔のタイプだったら。。。。

 間違いなく死んでいた。

 しかも、火を出して。周囲を巻き込んで。

 なんてこったい!!!

 大変なことになるところだった。

 自分だけ死ぬならいいけど、周囲を巻き込むのはいけないっ。

 事故って、こうして起こるんだ。まったく思いもかけず。予想だにしない場面、時に。

 気をつけなくては。もう二度と、睡眠薬を飲んで何かをしない。本当にいけないっ。絶対に火はつけない。

 大反省っ!!

 人生一寸先は闇。どんなことが起こるかわからない。

 しかし、死にたい死にたい言いながらも、また生き抜いてしまった。まだ生きろということか。

 ぼちぼちやろう。たとえ貧乏でも何でも。

 部屋は今、焦げ臭いです。はい。ホットケーキはカスカスな感じになっていました。しかもそれに気づいたのは、朝です。朝まで、それがカスカスだとわかっていなかったのだから、なんと恐ろしいことでしょう!

2013年10月05日(土) 美談じゃない

 ツイッターにも書いたんだが、あの、おじいちゃんを助けようとして、電車で亡くなった女性の話。人助けは素晴らしいと思うが、それを美談にしてはいけないと思う。

 だって、人助けして自分が死んだら元も子もない。おじいちゃんを助け、自分も無事ならいいけど、それができなかったら、それは美談ではない。それは助けられた方も辛い。助けられたおじいちゃんの残りの人生は苦しい。その家族も肩身が狭い。しかもこっちはジイさんで、亡くなった方は若い女性だ。誰だってジイさんが生きるより、若い女性が生きれば、とついつい思う。そしてその思いがジイさん家族を追い詰める。

 それにジイさんが助かっても、女性の家族は大切な家族を突然失った喪失感に苦しむ。

 もちろん死んだ本人だって、あれっ?だ。

 何一ついいことなんてない。

 自己犠牲なんて、何一ついいことなんてない。美談なんかじゃない。誰かを助けるとか、人のためになる、なんてのは、自分が幸せであって初めて成立することだ。自分が不幸せだったり、自分が死んで、それは成立しない。

 それをさも美談にして。しかも亡くなった女性の家族にあれこれ語らせたりしてるマスコミって、本当に気持ちワルい。さらにそれを表彰しようなどと便乗する安倍なんてクソくらえ!としか言いようがない。

 これを美談にする風潮は、考えすぎかもしれないけど、まるで戦争の時の「お国のために命を賭けます」を連想させる。気持ち悪い。止めてほしい。

 とにかく美談じゃない。今ごろ、ジイさんはどんだけ苦しんでるだろうか? いや、意外と、ホケッとしてたりして? ま、それならそれでいいんだけど。いっそボケてて、な〜〜んも覚えておりまへん、だったら、いいんだけど。

 したら、もう、余計、その女性が浮かばれないけど。。。

 だから、やっぱ、一個もいいことないんだ。

 女性は早く生まれ変わって、今度は自分の命を賭すなんてことをしない穏やかな人生を歩んでほしい。そう願うぐらいしか出来ない。

2013年10月04日(金)

PS:松本ハウスが出る!っていうお笑いライヴに行って来た。おもろかった。。。いや、松本ハウスが、じゃなくて、他の人たちが。。。。爆っ!
 松本ハウスはまだまだ。。。まだまだ本領発揮じゃない。
 他に、TVじゃ見たこともない、おもろい人がいっぱいいた。みんなすごいプロだ。なのに売れないんだな〜〜。不思議。ゲラゲラ笑ったよ〜。どうやらそのライヴ(新宿歌舞伎町でやってるw)毎月やってるらしいので、また観に行こうと思う。だって千円なんだよ〜〜。千円で2時間笑わせてくれるの〜。すごい、すごい。
 みんな、お笑いじゃ食えなくてバイトしてるみたい。1人の人は、甘栗屋の店長ってことをネタにもしてた。
 みんな夢をあきらめないんだよね。だからみんな、すごいパワーだった。圧倒された。

 行って良かった。やっぱり百聞は一見にしかず。書評を書くために松本ハウスの生を見ておこう、と思って行ったんだけど(特に直接それを書くことはないかもしれないけど)、行って、色々得した気がする〜〜。

 そして帰り道。前に中野にいたホームレスのバアちゃんがいたっ!!! びっくり!! でももちろん私のことなんて忘れてるけど。雨降ってきたから、持っていた100円の合羽をあげた。バアちゃんは相変わらず明るくて、「ありがとう、ありがとうね。気をつけて帰ってね」と言ってくれた。バアちゃん、生きてた! しぶといぜ!

 




 今日、主婦パートちゃんが保育園の息子の運動会とかでお休み。ピンチヒッターでチョロッと働いてきたのだが。。。

 なんか。。。店長とアスペちゃんが険悪になってきてる。

 店長がアスペちゃんに疲れてきたのだろうか。。。アスペちゃんがお買い物頼まれて出て、ぜんぜん1時間も帰ってこなくて@近所のスーパーにベーコンとか買いに行っただけなんだが。。。

 ふと気づいて「あれっ? なんで帰ってこないんだ? どこ行っちゃったのかな? 大丈夫かな?」と言ったら

「家帰っちゃったんじゃない? もう帰って来なくてもいいよ」とかいう。

 えっ? うそ。。。前はそんなこと、言わなかったのに。。。

 「『携帯持って出ますから、何かあったら連絡ください』とか言ってたけど、何かあるのはアンタだろ?ってとこだな。アハハハハ」

 なんて言って笑う。

 な、なんかあったのだろうか・・・・・? なんか、またしでかしたのかな?

 アスペちゃん。。。

 でも、アスペちゃんはそんなモワワ〜ンとして空気には気づかず、今度は店長がお使いに出た間に「最近、シフトが時間縮められて、アタシ、困るんです。最初は4時までって約束で働き始めたのに、3時上がりにさせられて。いくら実家だっていっても、困るんです」と、キッとした口調で言う。

 う、うん。そうだね。。。思わず「空いた時間にそこのコンビニでバイトする?」などと言う。斜め前はセブンイレブンww オレもそこと掛け持ちできるな、などと日ごろ思ってるわけですが。ええ。。。。

 しかし。アスペちゃんは「コンビニはイヤですっ」とこれまたキッという。ひぃ〜〜〜。

 アスペちゃん。がんがれっ! ここが頑張りどこだっ。ここで踏ん張らないと、終わっちまう。アスペちゃん。がんがれっ!

 しかし。今日もオレはパンのカットを間違えて、変になってまい、自分で買い取ってきた。。。端っこ。足りなくなってもた。。。ふっ。。。。パンのカットは難しいでする。しかしもう1斤間違えたんだけど、もう、黙って、こっそり置いてきてもた。。。だ、誰か買ってね。。。ごめんね。。。ごめんね。。。パンの厚さがバラバラなんだ。。。。激しく。。。ごめんね。。。。ごめんね。。。。
 
 

2013年10月03日(木) みなさんに謝りたい

私は皆さんに謝らなければならないことがある。

 少し前に、ここに、反原発映画『朝日のあたる家』を応援してる! 反原発映画だからって、上映できる劇場がないなんて、おかしい! みんなで投票して、公開させよう!

 とかって熱くなっていました・・・。

 今日、それ、見に行ってきました。反原発凸凹コンビのシモマンと。。。渋谷アップリンクまで。

 映画はこれです

 ストーリーはこれ↓
 静岡県、湖西市。自然に囲まれた美しい町。その町に住む平田一家。お父さん(並樹史朗)はいちごを栽培。お母さん(斉藤とも子)は主婦。長女(平沢いずみ)は大学生。妹(橋本わかな)は中学生。日本のどこにでもいる平凡な家族。ただ、長女のあかねは、この町が好きではなかった。大きなショッピングセンターや映画館やコンサートホールがない。就職後は都会で一人暮らしを夢見ていた。そんな時、起こった大きな地震。原子力発電所が爆発。避難勧告。1日で帰れると思っていたら、何ヶ月も避難所から帰れない。父は職を失い、母はノイローゼ、妹は病気になる。ようやく許可された一時帰宅も1時間の制限付き。荷物を取ってくることしか許可されない。福島と同じ事態だ。あかねたちの家族もまた、大きな悲しみの渦に巻き込まれて行く・・・・・・。

 が。が。が。

 「いちご栽培農家の一家」というという設定の部分からして???が並ぶ。。。

 原発事故前の朝、いちご栽培農家のこの家の父ちゃんが、摘みたてイチゴを食卓に持って来るのだが、まず洗わない。洗うって。イチゴ農家なら、知ってるだろ? イチゴは農薬だらけだから、洗うって。しかもそれをさもおいしそうに食べる。家族で奪い合うんだ、これが。。。。イチゴ農家なら、もう、そんなもん、飽きてんじゃね? とか思う導入。

 いや、違う。。。。その前の延々続く説明があった。
 映画始まって1分以上。延々と、この家の長女(大学生)による「私の住む街」の説明があんだ。春夏秋冬の街の、これといって何ら特徴のない説明が。それが始まった18秒目ぐらいですでに(な、な、なんか、この映画、ダメかもしれない)の予感が始まった。

 そして、その予感どおりだった。とにかく、この映画、すべて「説明」しまくんだな。ザッツ説明映画!!

 あらゆるせりふが説明くさく。ナレーションは説明しまくりっ。

 しかし映像は語らず。出演者の演技も語らず。しかし多分に情感あふれまくりの臭い臭い音楽がチャララ〜〜〜と流れ、語りまくってくれる。

 さらにさらにっ!
 家族やら近所の人らが繰り広げる日常会話は「売れない劇団」の舞台みたいな空々しさで。。。い、今どき、こんなステレオタイプで、昭和のドラマみたいな、手垢のつきすぎた展開、すんごい久々に観た気がする。
 なにせ、中学生の娘がトイレの扉開けると、お父さんが新聞拡げてウ○コしてて、「お母〜〜〜〜〜さん、お父さんがああああ!」と叫ぶ、みたいなの。。。もう、尻がむずむずするレベル。

 そして田舎の大学生女子の好きな音楽が「ブルース・スプリングスティーンとピンク・フロイドとレッド・ツェッペリン」ときた。。。。

 い、いつの時代だ?

 と、思ったら、2014年という設定だというからビックリ。
 2014年のちょっとトガった気分の田舎の女子大生なら「アーケイド・ファイアーとアークティック・モンキーズとアラバマ・シェイクス」とかじゃね?
 
 んで。2014年。映画の中でも、アフター福島ってことになってんだ。福島の事故はあって、その後で、ってことになってる。
 
 そこへ地震が起こる。震度5。大したことないけど、映画の映し方がまたひどい。。。。ただ画面揺らしてるだけで、画面に出てくるおひな様1個、落ちない。。。

 しかし原発事故が起こる。静岡県だからね。浜岡原発が事故ったってことになる。山岡原発、って言い換えてるけどね。そして政府はまた「ただちに影響はない」っていうんだが、設定はアフター福島だろ?

 だったら、みんな一斉にウギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアって叫んで逃げるだろが?

 しない。だ〜〜〜〜れも避難なんてしない。みんな、のんび〜〜〜〜りテレビ見てる。

 「反原発の闘士」っていう役柄のはずの、実際にも反原発のいしだ壱成も、のんきに主役家族の家に来てたりする。

 おいおい、そこは狂ったように「今すぐ避難してくださいっ! 今すぐっ!」と叫び、娘の手をひっぱり、オヤジに「何するんだっ! オマエは娘に何をしやがるっ! 政府は大丈夫って言ってるだろ!」「お父さん、福島のときもそういいましたっ! 今すぐ逃げてください!」

 とか、死闘を繰りひろげなければダメだろうに?

 そんなことまったくなく〜〜〜。の〜〜んびり。体育館でガイガー測られて、すごいオーバーしてて、シャワーを3回も浴びさせられたわ、なんて笑ってる。。。

 ひいいいいい。。。。なぜアフター福島って設定なのか、不思議になるなり〜〜〜〜。


 いしだ壱成だけじゃなく、反原発御用達の山本太郎も出てくんだが、この役どころもなんだか、中途半端。一応、家族のお父さんを「オレといっしょに沖縄に移住しよう」と説得するんだが、説得に失敗して。そのまま沖縄に帰ってまう。おいおい。。。大事な大事な姪っ子がすでに病気で「アタシ、大人になれるかな?」とか泣いてるのに。。。。

 んでもって、壱成も太郎も、当然ながら、とうとうと、とうとうと、「チェルノブイリでは」とか、原発怖い話を語りまくる。説明しまくるっ。とうとうと。

 一般人がそげにしゃべれるかああああああああああああああああああああああああああああああ?

 そんな一般人、いねぇ〜〜っての! いたら、もう、そんな被曝してる場所から、とっくに避難してるっての!

 そしてこの2人が出るなら、逆に「原発推進の村民」とか、「お役所の原発万歳の人」とか、そういう役で出ればいいのに。山本太郎が「ただちに影響はありません」とか言う役なら面白い。いしだ壱成が「原発は安全だっ。ここはオレたちの村だっ。誰が出ていくかっ!」とか、怒る役とか。東京からやって来る、イヤらしい経産省の役人とか。そういうの演じればいいんだ。そうしたら、皮肉が効いて、面白いのに。。。。そのまんまって。。。

 すべてが中途半端で。すべてが説明だけで。すべてが空回り。

 お父さんは酒びたりのはずが、いつのまにかフツーになってて。

 お母さんはもらった保証金の大半をガイガーカウンターにつぎこんだほどダイハードな原発恐怖症になったはずなのに、のんきにお父さんを元の家に送り出したり。娘が病気になっても、まだ近所の仮設住宅にのんびり住んでいたり。

 その陰には「だってここがふるさとだから」という理由があるらしいんだが、そのふるさとにそこまでこだわる「理由」「感情」がてんで描かれてないから、ぜんぜんピンとこない。

 いや、べつに、どこでもエエんでね?

 と、言いたくなる。 

 どうやら映画を作るにあたって、実際に福島を取材したらしいんだけど、監督ってきっといい人なんだね。だから、もう、いろんな人の話を聞いて、あれも、これも、それも、どれもって、いろんな話を織り込もうとして、散漫になっちまったのかもしれない。

 リアリティを追いすぎて、逆にうそっぱちになっちゃう。そういうことって、よくあるよね。。。

 物語は物語なんだよ。

 日常は日常。まったく違う。その全てを物語ろうとしたら、24時間を描くには、24時間が必要になる。

 でも24時間を2時間で描くなら、それだけ圧縮、凝縮、集中しないと。

 なんかもうね。。。。なんかもうね。。。。

 うまく表現できないでいたら、シモマンが最高のことを言ったね。

「これって、再現ドラマみたいだよね」

 って。

 あああああああああああああ! まさに、それ! それだ! 再現ドラマ!

 それなんだよ〜〜〜〜〜〜〜〜。うん。

 災難に出遭ってしまった家族のあれこれを再現ドラマにしてみました〜ってやつ。物語じゃない。再現ドラマ。

 それを1800円も払って、しかもアップリンクの、狭い、ここは映画館じゃないだろ?という、変な椅子が並べられ、小さなスクリーン吊るしただけの部屋で見させられると、なんかもう、ひたすら「ぼったくり?」という思いしかわいてこなかった。。。。正直。

 反原発なら、なんでもいいってわけじゃない。てか。反原発を描くのだからこそ、もっともっとしっかりと物語として練りこんだものを作ってもらいたい、私はそう願う。脱原発映画を作ろう!という志はすばらしいと思うし、応援したい。でも、肝心の作品がこれだと、その挙げた手はシュルル〜〜と力なく下ろされるのだ。。。

 ああ。みなさん、ごめんなさい。あんなに勝手に盛り上がって。私。大騒ぎしてました。すみません。すみません。でも、盛り上がったから、一体どんななんだろう?と気になって、早めに見に行ってきたんです。こうして早めに報告できて良かったです。はい。

2013年10月02日(水) 統合失調症がやってきた

PS:↓その後、この編集から電話あり。私が書評をやることになりました!! まだ精神科医には依頼をしてはなかったそうです。おおおっ。怒り勝ち?




 昨日の夕方のこと。うちのパン屋でパンを買って、川内ありおさんの実家に遊びに行こうとしてたら、電話が鳴った。出たら、ちょっと前に「この書評をやりませんか?」と営業してた編集の人から。

 本は「統合失調症がやってきた」という、松本ハウス@お笑いコンビの書いたもので、片方のハウス加賀屋が中学生から統合失調症で、ボキャブラとかで人気絶頂の中で再発、闘病し、復活を果たした、その道程を相方の松本キックが書いたやつだ。

 これ、本当に良かった。ものすごい良かった。松本ハウスの、あの切れ芸、ハウス加賀屋が加賀屋でえええええええええええす!とドカ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンと画面に出てくるだけで、もう、画面から本当に飛び出してきそうなほどに迫力あって、すんげええ笑ってたんだけど、あの爆発的なパワーの底に統合失調症があったんだ、と思うと、もう、すごい胸がキュンとした。

 彼が発病したのは中学生のとき。幻聴が始まって、何がなにやら分からなくて辛くて辛くて。その前、本当に優等生だった時代があって、彼は自分を抑圧して、抑圧して、それを解放したはずだったのに、発病してしまった。抑圧と解放と発病。それは順番にやってくるんじゃないんだと知った。

 そして芸人として大成功してる中で発病して、もう、一声も出せないほどにひどくなって、閉鎖病棟に入院して、そこは読んでいて涙が出るような本当に閉鎖されている場所。異様に狭くて窓もなくて、ドアには内側にドアノブがない。つまり、自力では脱出不可能。恐ろしい監獄みたいな場所だ。その息苦しい場所で、彼は部屋の中をグルグルする。隣の同じような部屋には叫ぶ人がやってきて、その叫びを聞かされ続ける。
 医者もひどくて、極度の副作用が出ても注射ばかり打たれて、彼は舌が震えて震えて食事も満足に出来なくなって衰弱してしまう。だけど、奇跡的に医者が代わり、それによって少しずつ良くなる。

 そして、復帰する。
 でも、復帰しても、今もテレビにはあまり出ていない。彼らを見るのはバリバラ(障害者の番組)ぐらいで、フツーのお笑い番組でまだ松本ハウスを見てない。トークショーやら「統合失調者」としてTVや雑誌に出演することはあっても、MXとか千葉テレビとかでしか「お笑い」としてはまだ出させてもらってない。

 いじりにくいとか、そういうのがあるんだろう。あの人は病人、統合失調症の人をどういじったらいいのか、どこまでいじったらいいのか分からない。下手したら、視聴者から抗議がくる、危ない。止めておこう、TV制作社側の思いは、そんな感じじゃないかな。
 
 もちろん、お笑いのレベルが下がったとか今のお笑いに合わないとかもあるのかもしれない。正直、ネタはバリバラで1〜2度見たが、それはフツーだった。でもフツーであり、つまらないわけじゃない。それにフツーのレベルのネタなんてザラだ。てか、ネタなんたもう、ほとんどTVではやらなくて、お笑いの人はみんなトークばっかりだし、今は。だから、トークでからみづらい、ということでまだフツーに「ひな壇」には置いてもらえないのだろう。統合失調症患者への扱いのハウツーがテレビにはない。それが、テレビにおける統合失調症患者のお笑い芸人の現実。人気が出る前にも演劇評論家とやらに「障害者を出しちゃダメでしょう」と言われたらしい。

 で。昨日の編集者は「本はすごく良かった。ので、これは精神科の専門の先生に批評してもらうことにしました」というのだ。

 はっ?
 何それ?
 それ、私が出した企画じゃん。私が言うまで、その人はその本のことを知らず、読んで、感動したとか言ってた。企画だけ盗んで、ライターはサヨナラって、仁義に反するだろ? それはやっちゃダメなことじゃん?

 1回は電話を切ったが、どうしても腑に落ちなくて電話した。そして言った。

 どうしてそうやって統合失調症だから専門家って高いところに上げちゃうんですか? そうやってメディア側が統合失調症は難しいこと、下手なこと書いて読者から抗議が着たら困るから、ここは無難に専門家にお願いしておこうって、まるで腫れ物にさわるようにするから、いつまでたっても統合失調症への理解が進まないんです。松本ハウスがこの本を出したのは、そういう偏見を取っ払い、身近なものとして理解して、という願を込めて出したのに、どうしてそんな風に遠ざけるんですか?

 そう言ったら、そうですねそうですね、と言って。でも、じゃ、サヨナラって。。。。

 なんかもう、脱力して、ガックリして。その媒体は特に弱者の味方です、とうたってるとこなんで、何が味方だよ!と怒りも爆発した。

 実はその前にも、別の媒体で、頼まれてた仕事を大御所ライターの一言で奪われて、仕事なくなる事件なるものもあって、私は今、もう、完全にやる気を失ってる。

 昨日、オカンが電話してきて、「沼津の土井製菓が新しい工場造るからって人を募集してるよ」ってうれしそうに言ってた。私がオリンピックがイヤだから沼津に帰ろうかなと言ってたから、探してきたんだ。

 年内にも東京を去る準備をしたほうがいいのかもしれない。そろそろ潮時?

 そうそう、昨日、この話をブチ怒りながら、川内家で話していたら、そこに来てた友達の1人が「統合失調症って何?」と聞いてきた。そうなんだ。そうなんだよね。みんな、それ何?なんだよね。

 もう、何もかもイヤだ。本当に。全員クソくらえ、死ね死ね死ねという感じだあああああああああ!と、昨日は川内家で叫んでいて、そしたら川内ママが最高においしいご飯を作ってくれて、それを食べてる間は幸せだった。でも帰り道、中野にチャリを置いてあったから、ゴキゴキ30分漕いで帰ってくる夜道の間に、また怒りが猛然と湧き起こって、その極地に至った。

 世界中呪ってやる。全員死ね。死ね。死ね。怒りたけって、自転車を猛烈に漕いだ。

 でも家に帰って来て、また「統合失調症がやってきた」を読んだ。

 そこにハウス加賀屋の思いとしてキックさんが記してる文章を再発見した。
 
 本当のことを言うと、僕は「負の力」で仕事をしていた。恥ずかしい話だけれど、僕は自分が売れたことに、こんな思いを持っていた。「ざまあみろ。僕は病気で、薬を飲んでるし、グループホームにまで入ってたんだぞ。それが、テレビにも出て、お金も稼げるようになった。ぼくのことをバカにしたみんな、ぼくをダメなヤツと笑ったみんな、ざまあみろ!」
 人を怨む、世間を呪う「負の力」。
 これは、簡単に恐ろしいパワーを生み出してしまう。
 どうにでもなれというパワーは、人を圧倒し、魅了することすらある。
 だけど、それは必ず自分に跳ね返ってきて、自分を追い込む危険な刃物だ。
 だから今のぼくは「正」の力で物事を考え生きるようにしている。怨まず、呪わず、感謝する。100パーセントできてる自信はないが、心がけるように努めている。

 
 普段、格言みたいこととか、いいお言葉みたいのとか、クソくらえっ!と、大嫌いだけど、加賀屋のこの言葉は沁みた。

 すごい実感があって。ものすごい苦しみの中から沸いたこの言葉は本当に沁みた。

 これは本当にすばらしい本です。あらゆる人に読んでもらいたい。「統合失調症がやってきた」 イーストプレスから、1300円。書いたのは相方の松本キック。加賀屋が療養中も、ひたすら黙って待ち続け、どんなときも加賀屋の味方で、加賀屋を楽しくイジってくれる人。「今のオマエは『今のオマエ』やから、できることをやったらええんよ。できなことは『できません!』それでええんよ』と言ってくれる人です。

 すげぇ、いいコンビだ。
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