テレ朝の「モーニングバード」を見ていたら、中国料理の陳先生の息子の、やはり陳先生らしい人が出ていて、鍋を作っていて、そのスープを、アナウンサーらしき女性に一口飲んでもらったのだが、その女性が思い切りむせてしまい、一言「こ、コショーが」って。。。
コショー効き過ぎてんじゃ?!
そんな鍋、誰も食べれないんじゃ?
ダメじゃん?
その後も、その息子・陳先生は、鍋に、魚やタケノコと同時にもやしをぶっこみ、できあがりです〜〜と出てきた鍋の中でもやしが死んでいた……。
息子・陳先生……明らかにダメダメ風であるが、番組内では、おいしい〜〜〜うわ〜〜〜と大盛り上がりを装っておった。しかし皆が(コメンテーター)食べていた分は、前もって作ってあったものみたいだから、裏にこっそり父・陳先生がいて作っていたりして。ありえる。うん。
それにしても。どうして料理人は世襲制なのだろうか?
かえるの子はかえる。料理人の子は料理人。
どうして?
家にデカい台所があるから?
舌が肥えてるから?
食材商店とツテがあるから?
親が裏で糸引いて、自分のアイディアを伝えたいから?
何故?
不思議。
まぁ。土井先生んとこはいいんだがね。うん。あそこは納得。ある意味、父以上の、今・土井先生。
しかし、たいていの場合はあまり納得できないことが多い。
でも、それ以上にナゾ@料理業界なのは…。
女性料理人はなぜどうでもいいエッセイを書くのか……ということ。
なんだか見ていると、女性誌とか、あちこちに「料理家」という肩書きの女性が、「なんてことない日常を綴った」エッセイをお書きになられている。
ほんと、なんてことないことばかりで、その中にこれ作ったとか、あれがおいしいとかいう、ちょっと料理ネタっぽいものが入ってる。
そのエッセイからイメージされるのは「料理上手な、優しくて、清らかな」な女性像。
それって、きっと、男性編集者の妄想からできた企画なんだろうなぁと想像される。男が妄想する料理上手な女……優しくて、清らかで、原節子みたいな女で、あなた、ゴハンできてますよ……みたいなぁ〜〜。そんな夢。料理家の女性エッセイは、その妄想を有形化するためにあるのかもしれん。
そしてそれがいつのまにか定番化した、と。
いつの間にか女性も、読者も、その妄想に引きずり込まれている、と。
それはそれでいいのかもしんない。妄想を楽しめる読者がいるなら、それでいい。
でも、この間読んだ女性料理家のエッセイは、「なんてことない日常のお話」に織り込まれる料理が「トーストに砂糖ぶっかけたもの」だけで、驚愕した。
あんたこれ、いくらなんでも、手抜きしすぎやないか?
なんてことない日常の部分はいいとして、あんたの本業の部分が砂糖ぶっかけただけのトーストって、いくらなんでもだろ?
編集者は男性なのだろうか? 妄想がデカくなりすぎてて、もう、砂糖ぶっかけトーストでもなんでも、最高最高っ!になっちまってんだろうか?
…なんて言ってると、料理下手オバさんの意地悪にしか聞えんのぉ。
