槇原敬之が歌う原発ソングの歌詞。 きっと、今までの浮ついた生活を反省してるんだろうが、反省するのは自分だけでいいんじゃないのか?
この気持ちを福島の人や、畜産や漁業や農業に携わる人、それに色々苦労されて子育てされてるお母さんたちにに押し付けられない。押し付けてはいけない。表現が足りてない気がするな、マッキー。。。。これじゃまるで、原発が爆発したのは「浮ついた生活をしていたみんなの自業自得」ソングだ。
今回一番被害を受けてるのは福島の人たち。東京に電気を送るための原発で、被害を受けてる。地道に土を耕してきた人や、海で生きてきた人〜〜それってそんなに簡単なことじゃなくて命がけだ〜〜そういう人たちが被害を受けてる。自業自得なんかじゃない。
しかも物言えない動物たちや植物、海、大地、すべてが汚された。それらはとうぜん、自業自得なんかじゃない。
そもそも原発が爆発したのは、誰かのせいというのなら、こんな地震国で原発を建てれば建てるほど儲かる仕組みを作った自民党政権、それに乗ってウハウハしてきた電力会社、そういうヤツらのせいだ。小出先生の話にちゃんと耳を傾けろってんだ。
それを被曝して日々不安と共に生きる市民に自業自得だ、感謝が足りない、と歌うのは、自分自身はそう反省したとしても、誰かに押し付けるものじゃない。そしてマッキー、あなたはもっと正面からブツかって行ってもいいんじゃない?といいたい。もっとブツけるべき怒りの相手がいるんじゃ?って。これは中途半端な感傷であって、自分がそれに陶酔してるだけ。
ツイッターには「反・脱原発ソング」という名称が付けられていた。そう受け取られるだろう。
みんな怒ってるんだ。みんなすごい悲しんでるんだ。そんなときに、こんな歌はないだろう。
そりゃたとえば春樹先生も、日本人は効率のためにゆがんだ社会を黙認してきた、それで我々自身をも糾弾しなくてはならないと言ったけれど、それと同時に我々は原発にノーを叫び続けるべきだ、今回ばかりは怒るのだということを正面切って言っている。
そこがすっぽり抜けてしまって自分たちが悪かったと反省してるだけではダメだ。
春樹先生が引用していた広島の碑の言葉「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」の強い決意、その先の行動に向かっていかなければ意味がないんだ。
マッキーの歌にはそこが抜けている。