PS:ここを読んでくださってる方がトピ主になった、
こげなナマの声集もあります。
目の見えない人をお手伝いする方法が分かります。
それにしても目の見えない人はお手伝いできるのだが、耳の聞こえない人をお手伝いするのは難しい。なぜなら外から見ても分からないから。でも手伝いを頼まれたら、たとえ手話、ぜんぜん忘れてるオレでも(爆っ)書けばいいのだから、なんとかお手伝いできるであろうか。。。にしても、手話、忘れてる〜〜〜。ぐえええっ。あの2年は一体。。。。。?
昨日、NHK教育の「福祉ネットワーク」で、このまえ、目白駅から転落して亡くなった盲目の男性のことから、いかに駅が危険かというのを特集しているのを観た。
番組で、ある調査では「全盲の60%以上の人が駅から転落したことがある」、「駅のホームは橋げたのない橋の上をたくさんの人が混雑していて、そこを歩くような感覚」と言ってて。
そして実際に駅で落ちたことのある全盲の男性が出て「僕が落ちたときも誰も、そっちに行くと危ないですよとは声を掛けてはくれず、すごく1人ぼっちに感じて寂しくなった。声を掛けて欲しい。」とすごく訴えていた。
落下防止の柵を作ること、それが大切だが、なかなか進まないなら、とにかく、目の見えない人に声を掛けて欲しい、と言ってた。
なので、ショロッとツイッターにそれを書いたら。。。
そうしたら、どうやら盲人らしい人・・・全盲かどうかは分からないけど。。。。そういう人からそれに反論が来た。
「このデータが正しいとして、40パーセントもの人が転落したことがないわけです。どうかお願いします。盲人=助けが要る人、落ちやすい人という風にだけはなりませんように。盲人と言っても不便度は様々。」
「ですから、目と判断力を生かして様子を見て下さい。そうすれば、不便そうな盲人なのかそうでないかが分かりますよね。声をかける経験は皆さんにとって1年に1度のことでも、私は毎日で、断るのが精神的にしんどかったり…。」
「仕事帰りで疲れていることもある。これは皆さんも同じですよね。」
「私がどうかご理解いただきたいのは結論としてこれだけです。盲人即助けなきゃ行けない人、にはならないように…盲人も色々な事情があり色々な人がいるということを思い出して下さい。お願いいたします。(・_・)(._.) 」
ツイッターは言葉足らずになるから↑こう書かれるのだろう。大丈夫、それは分かってますから!と答えた。闇雲に声を掛けたりしないから、と答えた。
たしかに、別に不便に思ってないのに声を掛けられたらうるさい、と感じることもあるだろう。特に疲れてるときとか。面倒で、腹立つだろう。当然だ。自分でもイヤだ。
でも一つだけ、番組で全盲の人が「声を掛ける人も、声を掛けられる人も、互いに寛容に」と言っていた。
これって、別に盲人に限らない。お年寄りに席を譲る、ということでもある。せっかく譲ったのに逆切れされたり、断られたり。声を掛けたほうもそれでガッカリしたり。。。
どんな場合もお互いに寛容さがあれば、疲れているときに声を掛けられても、逆切れされても、互いに許しあえる。。。その瞬間はムカッと来ても、そのうちに許し合える。。。
なんて書いたら、またその盲目の人においおいおい、って言われるだろうか? 善意の押し付けは止めてくれよっって。。。
大切なのは、判断力、決断力、寛容さ。
なんてのは、別に対・盲人、対・老人に限らず、対・誰、対・どんな場面、であっても人間関係において大切なことだ。
そうだな。盲目の人に声を掛けるってのも、それも人間関係を築くことの一貫であり、そういう風に接すればいいってことだな。
人間関係を築くのは難しい。でも築かないと何も始まらん。